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澄香がスタジオに着いたのは、一時半だった。地下へ階段を降りる最中から、かすかにドラムの音が聞こえていた。
ドアをくぐると、髪を金色に染めた大剛の母親が、快く迎えてくれる。軽く世間話をした後、澄香は明かりもまばらな廊下をくぐって、ドアを開けた。
冷房よりも早く、ドラムを叩いている大剛が目に入る。首にかけたタオルはぐっしょりと濡れていて、空になったペットボトルが床に転がっていた。
大剛はイヤフォンをしていたけれど、入ってくる澄香を見て、慌てて演奏を止めた。
「いいよ、続けてて」
澄香の言葉に大剛は一瞥して、スマートフォンを確認した後、また演奏を繰り返す。何度も同じところを重点的に練習していた。
澄香も水色のケースから赤いベースを取り出して、シールドをアンプに繋ぐ。チューニングをしていると、大剛の「あぁもう」という声が聞こえて、思わず顔を上げてしまう。
額から噴き出した汗が、スネアドラムに落ちていた。
「ちょっと俺飲みもん買ってくるわ。川辺さんは何かいる?」
「いや、私はもう買ってきてるからいい。それよりどうしたの? この時間は、別のバンド入ってなかったっけ?」
「なんかドタキャンされたんだって。それで何ならって、叩かせてもらってる」
「いつから?」
「二時間前から」
大剛は、事もなげに返した。
澄香はチューナーを外して、アンプの上に置いた。足でエフェクターの電源を入れながら言う。
「練習するのはいいけどさ、あまりやりすぎないでよ。メインはこれからなんだから、へばってたら意味ないでしょ」
「いや。俺がバンドで一番下手なんだから、練習しないと。迷惑かけたくねぇし」
ああ、こいつはいつも真っすぐだ。澄香は静かに思う。
ドラムの上手さだけなら上はいくらでもいるが、副部長を任されているのは、この人柄によるところが大きい。
「じゃあ行ってくるわ」と言いながら、ドアの向こうに去っていく大剛を、澄香は黙って見送った。ディズニーのキャラクターがプリントされたファンシーなTシャツが格好つかない。
澄香はアンプに楽譜を置いて、スマートフォンのメトロノームアプリを流しながら、一人練習を続ける。替えたばかりの弦が、人差し指のマメに当たってチクリと痛む。それでも、ただただリズムに合わせて弾いていると、無心になれるような気がした。
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