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9 にじの橋と氷の階段
「翠ちゃん、ほら穴から出られたよ!」
龍男はふりかえって、翠に声をかけました。
出口の少し先に、にじの橋がかかっています。キラキラかがやく橋が、弓なりにむこうへ続いていました。上からだと、すきとおって色がないように見えますが、横から見ると、赤、オレンジ、黄色、緑、水色、青、紫と美しい七つの色にわかれているのが、はっきりわかります。でも、わたる場所は、はばが三十センチくらいしかありません。遠くのほうはきりがかかっていて、橋の終わりは見えません。橋の下は深いふちになっているようです。あまりにも深くて、底が見えません。ツルツルののぼり坂で、いかにもすべりやすそうです。五センチくらいのへりはありますが、さくはありません。落ちたら、二度ともどってこられないでしょう。
「これをわたるの? どうやったら、ここを歩けるの?」
ほら穴から出てきて、龍男の横にならんだ翠が、不安そうな声をだしました。
「氷でできた橋さ。すべるから、翠ちゃん、じゅうぶん気をつけてね。ぼくもこのかっこうじゃ動きにくいから、ちょっと待ってて」
少年は、上着のポケットにつっこんでいたウォーキングシューズをだして、かわぐつとはきかえました。それから、上着をぬぎました。
「きみは、ここをわたったことがあるの?」
龍男がききました。
「まあね」
「じゃあ、どうしたら、これをわたれるか教えてくれよ」
「しゃがんで、橋のへりを両手でつかまりながらあがるんだ。」
「きみが先に行ってくれる? 翠ちゃんがつぎで、おれが最後に行くから。おれたちがついていけるように、ゆっくり進んでくれよ」
「わかった。すべるなよ」
その少年はしゃがむと、両手でへりをつかみ、なれた足どりであがっていきました。少し歩くと、ふりかえって、ふたりにいいました。
「さあ、おいでよ」
翠はごくりとつばをのみこむと、両手でへりをしっかりつかみながら、ゆっくりあがっていきました。それを見て、龍男もゆっくりあがりはじめました。
橋は弓なりになっているので、しばらく上にあがらなくてはなりません。手に力を入れないと歩けません。後ろへすべり落ちそうです。何度か足をすべらせて、本当に落ちそうになったときもありました。
「キャー」
翠が足をすべらせて、悲鳴をあげました。つかまっている手もすべって、後ろへすべり落ちてきます。龍男は思わず手をはなして、翠をささえました。ところが、龍男もすべってしまいました。翠は力を入れて橋のへりをつかみ、すべるのを止められましたが、龍男はバランスをくずしてころんでしまいました。
横むきになってこしですべりおちていきます。両手で右側のへりを必死につかみましたが、足がすべってへりの外へ出てしまいました。上半身を橋の上におしつけ、足を橋の横におしつけて、なんとか落ちないようにしています。こしを強くうち、ひざもすりむいたようで、ズキズキ、ヒリヒリします。へりをつかんでいる手もいたくなってきました。それでも、すべるし体が横をむいているので、せまい橋の上に体も足ももどすことができません。
すると、翠が横をむいて、右手をのばしてきました。
「あたしの手につかまって」
龍男は左手をのばして、翠の手をつかみましたが、心配になってききました。
「翠ちゃん、だいじょうぶ? 翠ちゃんまで落ちちゃわない?」
「しょうがないなあ。翠ちゃん、後ろからぼくの体にしっかりつかまって」
少年があとずさりしてきました。翠は左手でしっかり少年の体をつかみました。
龍男は翠の手をつかみ、翠が達男を引っぱってくれたので、なんとか橋の上にもどることができました。でも、まだ心臓がドキドキいっています。ふと顔をあげると、少年が冷たい目で龍男を見おろしていました。
「気をつけてくれないと、翠ちゃんまで落ちちゃうじゃないか」
こわかったせいか、少年の冷たい目のせいか、龍男は寒気をおぼえました。それに、こしとひざと手がいたくてたまりません。とくに、ひざがズキズキします。それでも、がんばって一番高いところまであがってきました。ところが、くだりはもっと大変そうです。どうおりても、絶対にすべります。どうやっておりたらいいのでしょう?
「今度はおしりをついて足を前にだし、かかとでしっかり地面をおさえながら、両手で橋のふちをつかんだまま、ゆっくりすべりおりるんだ」
少年がいいました。そして、かかとでブレーキをかけながら、ゆっくりおりていきました。そのつぎに翠がおりていくと、すべったときにぶつからないように、かなり間をあけてから、龍男もおりていきました。こしとひざと手がいたいので、とてもつらいです。
ようやく下までおりてほっとしたところですが、目の前に氷の階段が立ちはだかっていました。いったい何段あるのでしょう。がけのような急な坂を、ずっと上までのぼっていくのです。一段がとても大きいので、一段あがるだけでも大変そうです。一番上がどこなのかさえ、よく見えません。地上にいるときほどつかれないとはいえ、さすがにもう、身も心もくたくたです。体じゅうがいたい気がします。でも、いまさら帰れません。先へ進むしかないのです。
「じゃあ、どっちも助けられるように、今度はぼくが真ん中にいるようにするから、翠ちゃん、先にのぼってくれないか? ゆっくりでいいから」
「わかったわ。でも、休息メーターが夜をさしているから、少し休んだほうがいいんじゃないかしら? あたしたち、つかれているし」
翠が大きな階段を見あげながらいいました。
「そうだね。翠ちゃんがそういうなら、少し休もう」
三人は氷の階段の前にすわりました。翠が果物の入った袋をだして、少年にすすめました。
「食べない? つかれがとれるわよ」
少年は果物をじっと見つめました。それから、だまってひとつ、つまんで口に入れました。
翠がききました。
「ねえ、あなた、名前はなんていうの? あたしは翠よ。こっちが龍男くん」
「名前なんか、どうでもいいじゃないか。それより、ぼくが見はりをするから、ふたりはねろよ」
少年がそっぽをむいていいました。
龍男は翠にささやきました。
「あやしいな。こいつのことは、絶対に信用するなよ。じゅうぶん注意しろ」
龍男と翠もひとつずつ果物を食べると、横になって休みました。龍男はねむらないつもりでいたのですが、つかれていたせいで、いつのまにかねむっていました。ふと目をさますと、少年は落ちつかないようすで、ぶつぶついいながら、うろうろ歩きまわっていました。
「どうかしたのか?」
龍男がききました。
少年はびくっとして、それから、あわてて答えました。
「なんでもない。ひまだから歩いていただけだ」
翠も目をさまし、少年に休むようにいいました。しかし少年は、「だいじょうぶだ。ぼくはつかれないんだ」と答えました。龍男は、ますますあやしいと思いました。
さて、いよいよ階段をあがることになりました。翠、少年、龍男の順です。一段一段よじのぼるようにしてあがるので、とてもつかれます。ゆっくりゆっくり、すべらないように気をつけながら進みました。
翠と龍男は、女王のいげんのある顔と「お願いしましたよ」という声を思いだして、がんばりました。汗もかかない、息も切れない。でも、まちがいなくつかれてきていました。足が重く、なんとなく息苦しいのです。
もう、帰りたい! なんで、こんなところまできてしまったのかしら? あたしは、どうして浄化の木の実をとりに行くなんて答えてしまったの?
どうして、ぼくみたいな子どもが、こんな大変な思いをしなくちゃならないんだ? もう、いやだよー!
翠と龍男がそんなことを考えていたら、空から声がしました。
「つかれただろ? もう、やめて帰ろうよ。ぼくにつかまれば、すぐに家へ帰れるよ」
上を見ると、大きな鳥のような生き物が泳いでいました。大きな羽をはやし、二本の足があり、くちばしもあります。羽を動かして泳いでいます
「おまえはなんだ? どうしてそんなことをいうんだ?」
龍男がききました。
「ぼくは女王の使いさ。さあ、ぼくが連れて帰ってあげるよ」
その生き物は答えました。
龍男には、ほら穴にいた、にせの女王の使いだとすぐにわかりました。あのおそろしい化け物のことを思いだすと、とてもいっしょに行く気にはなれません。
「さあ、ぼくの足につかまって。あっという間にもどれるよ」
「いやだ! おれ、がんばる」
つぎに、その生き物は少年を見て、こういいました。
「このうらぎりもの! いまさら、人間の仲間になれるもんか!」
「ほっといてくれ! あっちへ行け!」
少年がどなりました。
その生き物は、フンと鼻をならして少年からはなれると、翠にも「家へ連れて帰ってあげる」といいました。でも、翠もことわったようです。
すると、その生き物はおこりだしました。顔が赤くなったようです。
「ぼくが親切にいってあげてるのに。いいから、早くつかまれよ」
それでも翠が無視していると、いきなり翠の頭を大きな足でわしづかみにしました。そして、翠を持ちあげようとしています。翠の足がうきあがりました。
龍男はあせりました。でも、足元はすべるし、あいだに少年がいるので、身動きできず、どうすることもできません。
少年が気がついて、あがりはじめた翠の足を引っぱりました。ところが、その鳥のような生き物は、ものすごく力があるようです。少年までうきあがりそうになりました。龍男は少年の体にしがみつき、下へ引っぱりました。
さすがに三人は持ちあげられないとわかって、その生き物は翠をはなしました。いきなり翠の重さがうでにかかって、少年はしりもちをつきました。
翠が上から落ちてきます。
「キャーー!」
足をつかまれていたので、翠は大きく半円をえがいて、まっさかさまになりました。氷の階段の下に頭が落ち、階段のかべに横から顔をぶつけそうになりました。手でかべをおさえて、なんとか顔はぶつけずにすんだようです。でも、翠はさかさまに宙づりになっています。
「いやー、助けてー!」
翠がさけびました。
「翠ちゃん、落ちついて。じっとしてて。じゃないと、みんな落ちちゃうよ」
龍男が翠にいいました。
翠の重さで、少年まで落ちそうになっています。龍男はまだ少年のこしにうでをまわしていたので、少年をしっかりだきしめて、力をこめて引きよせました。少年は翠をしっかりつかんで、ふたりで翠を引きあげはじめました。
ところが、ふたりの手がふさがったのを見ると、鳥のような生き物がもどってきて、くちばしで龍男と少年の頭をつつきはじめたのです。それでも、龍男はがまんして、いっしょうけんめい少年を引っぱりました。少年も顔をゆがませて、いたみをこらえながら、力いっぱい翠の足を引っぱっています。
ようやく翠を階段の上にもどすことができました。
「ハア」
龍男は大きく息をついて、階段の上にすわりこみました。
「チェッ」
鳥のような生き物は、あきらめて、どこかへ行きました。
龍男が頭に手をふれてみると、うっすら血がにじんでいるようでした。少年の頭にも血がにじんでいます。
「ありがとう」
翠が青白い顔でお礼をいいました。
「ごめんなさいね。ふたりとも、ケガをしちゃったわね」
「ううん、いいよ。それより、翠ちゃんはだいじょうぶ? 一段ずつ、ぼくが翠ちゃんを持ちあげようか?」
少年がききました。
「だいじょうぶよ。無理しないでゆっくり行くから」
翠は少年に、にっこりしました。
それを見て、龍男はなぜかムカッとしました。
翠はふるえる足で、ふたたび、ゆっくり階段をのぼっていきました。氷の階段なので、気をつけないと、すべってころんでしまいます。すべったら、一番下まで落ちてしまうかもしれません。すでに、にじの橋は、はるか下のほうです。
そこへ、またさっきの鳥のような生き物がもどってきました。頭をつつかれそうになって、龍男はうでで頭をかばいました。すると、うでをつつかれました。うでをつつかれながらも、龍男はがんばりました。少年や翠の頭やうでもつついて、鳥のような生き物はようやくさっていきました。
龍男は階段の上で、フウーとため息をつきました。やっと頂上が見えてきました。あと少しです。
そのとき、前を歩いていた少年が、龍男をふりかえりました。
「おまえがじゃまなんだ。悪いけど、ここから落ちてくれないかな?」
「え? どういうこと? へんなじょうだんはやめてよ」
龍男は少年の顔を見あげました。でも、少年はまじめな顔をしています。本気のようです。龍男は顔から血の気が引くのがわかりました。階段の下は、底も見えないほど深くなっています。ここから落ちたら、二度ともどってこられないでしょう。大ケガをして、死んでしまうかもしれません。
少年がゆっくり龍男のほうへ手をのばしました。
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