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後半はほぼ紅茶の味を感じられなかった。空になったカップを置くと、私は川出さんにある提案をした。
「家まで送ります。嫌だと言われても付いていきますから」
「女性に送られるとは、貴重な経験ですね」
身分証から通帳まで幅広く取り揃えておいて、この人はスリに狙われたら恰好のカモだという自覚があるのだろうか。
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私たちは、川出さんの職場の最寄り駅から3駅目で電車を降りた。
駅を出てから2分程歩くと、川出さんは遠くの一点を指差した。
「あの灰色の建物が僕の住むアパートです。お蔭様で、無事に到着できそうです」
川出さんが指し示す先にあるアパートは、コンクリート造りの4階建てだった。
驚くほど素晴らしい立地だ。駅近で、しかも道すがらにスーパーとコンビニもあった。
「凄いですね。社宅ですか」
「ええ、一応は」
話しながら私は、アパートの見た目にふと違和感を覚えた。
物干し竿に何も掛かっていない部屋が多い。
これは時間帯のせいもあるだろうが、それにしても、カーテンまで無いのは何故だろう。もし住人がいるとすれば、室内が無防備に丸見えだ。
「この社宅、随分と住人が少なそうですが」
「会社の厚生制度見直しにより社宅が廃止になるので、あと半年で取り壊されるんですよ。噂では土地が売却されて、分譲マンションになるそうで」
「ああ、だから退去済みの部屋が多いんですね。川出さんはもうお引っ越し先を決められたんですか?」
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