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深々と頭を下げてくる辺りから、誠実さがよく伝わってくる。尋常じゃない潔癖で常にポーカーフェイスだけど、心の温かい人だ。
「いえ。明日もお引っ越し頑張ってください」
私も真似るように深いお辞儀を返した。
帰っていく川出さんを見送った後も、私は暫く共用廊下に佇んでいた。
外は気持ちの良い風が吹いていた。大きく息を吸い込みたくなる爽やかな夕方だ。
これから302号室はどんな部屋になるのだろうと想像を膨らませながら、私は隣の301号室に帰った。
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3連休の最終日、最低限の家事をこなす以外はゴロゴロと自堕落に過ごしていた。小説を一冊読破出来たし、好きなゲーム実況者の生配信動画も最初から最後まで見届けた。うたた寝をして日頃の睡眠負債も減らせた。
夜が近づき、洗濯物を取り込まなきゃとようやく起き上がる。早くしないと衣類が湿気ってしまう。
晴天のお蔭で、厚手の衣服はカラッと乾いていた。
物干し竿から洗濯物をかき集めながら、ふと隣の部屋に目を向けた。目隠し兼緊急時用の隔て板があるから、当然向こうの様子は分からない。
もう引っ越しは落ち着いただろうか。昨日荷物を運び入れたのなら、今日は室内の整理まで終わっているかもしれない。
そういう訳で、私は1日ぶりに302号室を訪れることにした。単なる冷やかしではなく、一応ちゃんと用事もある。
一昨日と同じように玄関のチャイムを押すと、ドアが開いて川出さんが姿を見せた。
「吉田さん。どうかされました?」
川出さんは、突然押し掛けてきた私を不思議そうに見下ろした。
「引っ越しお疲れ様でした。荷ほどきは出来ました?」
「ひとまずは。あとは空の段ボールをゴミに出すだけです」
それならもう、これを渡しても差し障りはないだろう。私は背中に隠していた平たい箱を差し出した。
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