月夜に開く、物語の扉。

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 幼い頃から深月は、祖父の書斎の扉を開ける瞬間が好きだった。  扉は深い焦げ茶色の木で出来ていて、祖母が丁寧に拭いているから艶々している。取っ手もよくあるドアノブじゃなくて、アンティークに燻したゴールド。ネジで止めるタイプなのだけど、そこも形がお洒落で、手をかけるだけでドキドキする。  そんな扉を開けば、さらにワクワクした。  分厚くて重たそうな本の数々。英語が何かの外国語の本は、読めないけれどなんだか格好いい。  よく分からない難しそうな本は、上の方にずらりとかしこまっている。  中段は辞典や図鑑。科学とかの専門書もある。字ばかりだとちんぷんかんぷんだが、図や写真を眺めているだけでも楽しかったものだ。  さらに下段には海外ファンタジーや映画化されたような書籍など、比較的親しみやすいものが揃えてある。本が好きな深月も読めるようにと、祖父が用意してくれたのだ。  祖父母の家に遊びに来る度に、深月が書庫から一冊、本を抜き取って代わりに読み終えた本を戻す。これを繰り返していたからだ。  祖父なりに子供でも読めるもの、と考えてくれているのだろうが、本当は少し難しいものが多い。  けれど深月は、ちょっぴり背伸びして難しい本に挑戦することが、小さな自慢になっていた。それに祖父が用意してくれた本の数々は、学校の図書室のラインナップとはまた違っていて、宝石を発掘するような気持ちにしてくれた。  そうしているうちに、学校で習う漢字が増え、小さな文字の本を読むことにもすっかり耐性がついた。  深月の背も伸びて、踏み台を使わなくても、背伸びをすれば上段の本を手に取れるようになった。  代わりに祖父の書斎を訪れる数は減った。  中学三年生、受験も卒業も終わった春休み。  学歴上はまだ中学生だけど、後ろを歩く在校生たちとの距離はなんだか遠い。前を行く高校生たちの背中は、ほんの少し先で揺れている。  同年代の他の子に比べると遅い、大人と子供の狭間のような変化しかけの体と同じ。宙ぶらりんの状態。  今まで馬鹿みたいに追っかけてきていた勉強の強迫観念も、駆け足に通りすぎた頃。  そんな十五歳の春休みに、深月は祖父母の家へ一人で泊まりに行った。  部活と受験の忙しさから、祖父母の家へ行くのはしばらく疎遠になっていた。だから本当に久しぶりだった。  祖父母は変わらずに深月を迎え入れ、包み込むような笑顔を見せてくれた。  夕飯も食べ終わり、用意された屋根裏へ上がる。何度か小さく床を鳴らして進んでから、ふと足を止めた。 「あれ?」  止まった深月の右手には、祖父の書斎の扉。  屋根裏の小さな窓から、月の蒼白い光が差し込んでいる。今夜は満月で、まだ屋根裏の照明のスイッチを入れていないのに、板張りの床の木目が見えるほど明かるかった。  その月明りに照らされて、こんなところにないはずの祖父の書斎の扉がある。
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