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黒川くんのこと 1
もう既にお気づきかとは思うけど、俺は別に猫でも何でもない。単なる成人男性、黒川 健、二十六歳。
ちなみに言うと身長は百八十を二センチ程超えていて、長崎くんより十二センチくらい目線が上になる。
キスするのにちょうど良い身長差って訳だ。なんて、些末な話だね。
勢いで長崎くんの家に押しかけ同棲みたいな事をして、これまた勢いで出て来てしまった。
猫を否定しておきながら、やってる事はまるで自分勝手な野良猫みたい。
そんなこんなで、長崎くんと離れて早くも二週間。正体を伏せて近づいた俺の連絡先など知る由も無い彼からは、勿論だけど音沙汰無し。
――いや、正体はバレたかもしれない。
飛び出した先に鉢合わせたあの忌々しい元恋人...じゃない、高田に雇われた偽の恋人。今頃、俺がしでかした物騒な一件を長崎くんに繰り広げている頃かも。
いや、それどころか仕切り直しみたいな感じで長崎くんと付き合いだしてたり...。
駄目だ、思考がついついダークな方向に。
無理も無い。だって、ビジネスホテルでの生活も今日で十二日めだ。その間、誰ともまともに会話していない。声を出すのは、コンビニで電子マネーの種類を告げる時くらいだ。
俺には、今現在住民票に登録すべき住所が無い。ホント、野良猫かよって感じだけど。
あの夜の公園で長崎くんを捕まえた時、俺は既に借りていたマンションを引き払っていた。つまりは、端から長崎くん宅へ押しかけるつもりだったのだ。
我ながらすごい見切り発車。ストーカーも顔負けの思込の激しさだ。
こちらも既にお気づきかと思うが、俺は以前から長崎くんを知っていたし、高田と彼に雇われていた長崎くんの恋人役の男も存在は認知していた。
そう、俺は黒猫というよりは、この物語におけるちょっとした黒幕みたいなものだね。
結論を言おう。そう勿体ぶるような話でもない。
長崎くんの告白に出て来た代理店勤めのライター、そいつが俺だ。
何やら凄い人みたいに長崎くんは語ってくれていたけど、別に全然凄くない。だって肩書がコピーライターってだけで、普通にサラリーマンだもの。
しかも、手が届かない人みたいな設定も嘘だ。だって俺、長崎くんと何度か打ち合わせで同席してるしね。
別に大御所ぶる訳ではなく――いや、大御所じゃないからこそ雑用でクソ忙しかった俺は、大概打ち合わせに途中参加だった。
意味も無く大人数が集うその会において、長崎くんは常に「僕は末端の制作会社の者なんで」と言わんばかりに気配を消していた。発言も上司任せでいつも俯いてメモを取るだけで、最初は俺も「なんだコイツ」とか思ったものだ。
が、彼から共有される議事録はいつも驚く程分かりやすく簡潔に纏められていた。更に、成果物も殆ど戻しの必要が無い完成度で上がってくるのだ。
そんな長崎くんの仕事ぶりに、俺は多少なりとも彼を蔑んでいた自分を反省した。同時に個人的にも興味が湧いた。
そんな心境の変化もあって次はちゃんと名刺交換しようと思った矢先に、なんと俺は地方での案件を押し込められた。
そう、長崎君との打ち合わせに顔を出す機会を当面失ってしまったのだ。
けれど、地方に居る間も俺は同僚からプロジェクトの進行を共有して貰っていた。
完パケに向けて上げられる長崎くん制作物は相変わらず完成度が高く、納期を零す事など決して無い。
俺が立てたコンセプトが徐々に形になっていく。その様はまるで自分の想いに長崎くんが応えてくれているような、そんな遠距離恋愛のラブレターみたいな錯覚を覚えた。
基本的に思い込みが激しいのだ、俺は。
なんやかんやで地方での仕事を収めるのに半年近くかかった。そうして東京に戻って来た俺は、長崎くんを取り巻く事態が一変している事を知るのだった。
その後の行動は、恐ろしく早かった。元々仕事は迅速かつ的確が自分のモットーだ。
長崎くんを陥れた張本人である高田に、俺は直ぐに辿り着く事になる。と言うか、向こうからすり寄ってきたのだ。
「前任の長崎から引継ぎました高田です」
下卑た笑みを浮かべながら要らぬ自己紹介を述べるその男は、食い気味に俺に名刺を突き付けてきた。会議室で終始俯いていた長崎くんとは大違いだ。
そうして、そっと俺に耳打ちしてきたのだ。吐き気がするような生臭い息を吹きかけながら。
「俺、長崎さんに襲われたんですよ。もう噂も広まってると思いますけど。あの人ゲイだし、黒川さん、狙われたりしませんでした?」
で、俺はピンときた。
臭い息のこの男がクサいと。
「ゲスな報告有難う。お礼に教えるけど、俺もゲイだから。しかもお前と同じクソビッチなんだ」
顔色を変える高田を見て、俺の勘は確信に変わる。
裏どりしてやろうとちょっと動いたら、高田の兄と長崎くんの接点が直ぐに出て来た。金という大人力は偉大だ。
調査会社とゲイ仲間の協力により、俺は高田と長崎くんの恋人役の男が落ち合う飲み屋に居合わせる。二人が話す様を録って言質を取ろうと目論んだのだが、そんな建設的な展開にはならなかった。
長崎くんに起きた事の顛末を盗み聞きしているうちにムカついてしまったのだ、もの凄く。
で、ここまでの大人力って何だったの?と思うアホさ加減でブチ切れた。
そこからは、もう単なる力業。
高田を外に連れ出してボコりながら、現在の長崎くんの様子を聞き出したのだ。
これが、あの夜の公園で偶然を装いながら長崎くんの前に姿を現した俺の実態。
ミステリアスな演出をかましてただけに、ダサいでしょ。
「あーあ、馬鹿なのか俺は」
見上げる月がボンヤリと霞む。しかも、泣くって――。
馬鹿で思い込みが激しい俺は、未練がましくも例の公園に来ている。しかも、あの時長崎くんが腰掛けていたベンチに涙目で体育座りというダサさの上塗り。
イケメン風にスマートな登場を見せた俺は、どこ行ったって感じだ。
「つか、さむっ」
冬の寒空を再び見上げる。と、欠けた月の脇を白い光が走り抜けた。
――流れ星?
落ちたその先を追うように立ち上がった瞬間、焦がれたあの声が背中に降りかかる。
「黒川さん?」
恐れと嬉しさと恥ずかしさで振り向けない俺は、流れ星ってマジで願い事叶えるんだなと場違いに納得を覚えた。
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