長崎くんのこと 1(イラスト付き)

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長崎くんのこと 1(イラスト付き)

   9252b121-9999-4cd2-b2ad-b8ba85d9dbf1      決定打は流れ星が落ちた事だった。  最近ではすっかり馴染んだ絶望感と共に歯を磨いていると、遠く夜空に光の尾が降り注いだ。  その時、自分が何を思ったのかは覚えていない――というか未だに理解出来ない。が、僕は勢いよく玄関ドアを開けると、気が付いた時には全速力で路地を駆け抜けていた。  どんなに走ったとて流れ星に追いつける筈もなく、徒労の先には天体の欠片さえ見当たらない。  ちなみに流れ星が大気圏に突入して発光した小天体だと僕が知っていたのは、ウィキペディアで読んだ事があるからだ。何で、そんなものをググったのかは忘れてしまったが。  吸い寄せられる様にして追いかけた衝動を疲労に変えて家に戻ると、飼い猫のクロ助が居なくなっていた。  これが、最悪を極める僕の人生にとどめの一撃が刺された顛末だ。    「何してんの?君」  倒置法で呼びかけられて顔を上げると、見知らぬ男が僕を見降ろしていた。  公園の薄暗い街灯だけでは詳細を読み取れないが、男が自分とは違う世界に住むスマートな風貌だという事だけは何となく分かった。  逆にイケメンが一人で何してるんですか?という言葉を飲み込みながら「流れ星を追いかけたら猫が居なくなったから探してます」と、僕は時系列に対して忠実に答える。  「なにそれ。全然、分かんないんだけど」  「ですよね」  力なくベンチに座り続ける僕の横に、男は何故か並んで腰を降ろしてきた。  一瞬カモられるのかと身構えるも、自分にこれ以上取られる物なんて無い事に気付く。最も本気でカモるならば、文字通りもっと良い鴨を探す筈だ。  こんな風に自己評価が底辺の僕は、ナンパかなと淡い期待を抱くより先に被害妄想からの自己否定に走ってしまうのだ。全くもって自分が嫌になる。  「あの、僕に何か御用でしょうか?」  真意が分からず問いかけるも、男は僕の質問に応じる様子を見せない。それどころか「名前なんていうの?君」と、またしても倒置法で尋ねてきた。  「何で知りたいのかは分かりませんが、僕の名前は長崎」  負けじと(?)体言止めで答えると、隣で男がひっそりと微笑む気配が伝わる。  「長崎くんか」  「...はい」  「長崎くんの猫は、この公園で居なくなったの?」  「違います。家に戻った時にはもう居なくなってて。まぁ、僕の事が嫌になって家出したんだと思いますが。でも、僕は彼が好きだったから、こうして闇雲に探し回ってる感じです」  ベンチの前の時計塔を見上げると、針は既に午前二時を指していた。かれこれ三時間近く十二月の寒空の下、クロ助を探し回っていた事になる。  時間の経過を確認した途端、急に寒さを自覚して思わずくしゃみが出た。  「身体...冷えてるじゃん」男がいきなりすり寄って来て、スマホを握りしめる僕の手に自身の手を重ねてくる。  驚いてビクリと肩を震わせると、男は愉快そうにケラケラと笑った。  「こういう奴が居るから気をつけな、長崎くん」  「...は?」  「ハッテン場なんだよ、ここ。長崎くんみたいな可愛い子が一人でいたら、パックリ食べられちゃうよ。文字通り」  男の下品な物言いに僕はうんざりする。そういう事か。カモでもナンパでもなく、単に揶揄われたのだ。冬の真夜中に暇人もいたものだ。  「ご忠告有難うございます。だけど、心配には及びません」  少しだけ湿って骨ばった手を跳ね除けながら、むっつりと続ける。  「ここは僕の家の近所とまではいかないけど行動範囲内です。だから、そういう場所だという事も勿論知ってます」  いきなり不機嫌になった僕の様子に、男は少し驚いたようだ。半開きになった口元を見ているうちに、何だかヤケクソな気分になってきた。  「そもそも僕はゲイだし、こう見えてバリタチなんでパックリは違うッ。それに、猫だけじゃなく仕事もクビになって恋人も居なくなったから、ここで少々な事が起きようが何でもどうでもいいッッ」  勢いに任せるように、下品な表現を交えながら要らない情報をぶちまける。  身に起きた不幸は、言葉にしてしまうと意外に簡潔に纏まるものだ。けれど、それは間違いなく二十六年間をかけた僕の人生の徒労であり、それをこんな見知らぬ男にしかぶつけられない自分が何だか悲しかった。  突然ヒートアップした僕を暫しポカンと眺めると、男は唐突に自己紹介を始めた。  「俺の名前は黒川っていうんだけど」  「はぁ。黒川さんですか」言いたい事を言ったら、何だか毒気を抜かれてしまった様だ。意味不明な流れに僕は茫然と鸚鵡返しする。  「そう。黒川 健(くろかわ たける)。で、長崎くん、ここで少々な事を起こすには寒過ぎるからさ。どうせなら、ホテル行こうよ」  この誘いは、カモとナンパと揶揄いのどれに当たるのだろうか。  意図を図りかねて黙り込む僕を、黒川がベンチから引き立てる。同じ寒空の下にありながら湿り気と共に温もりを帯びたその手に触れるうちに、僕はボンヤリと理解する。  ああ、これは同情だ。
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