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ひまわり
僕はどうにも、体育というものが苦手だ。入学してからまだ三回しか授業は行われていないのに、体育の篠崎先生には、もう何度叱られたことだろう。体育教師を続けていけるのか心配な歳に見えるのに、それに反して、運動能力は高く、声が大きくて苦手な先生だ。準備運動でも
「バカやろう!こうやって、もっと捻るんだよ!」
と叱られ、ボールをキャッチし逃すと
「バカやろう!脇は閉めて、胸で受けるんだ!」
と、一言目にはバカやろうと言われる。僕は篠崎先生が嫌いだった。どこが悪いかは教えてくれるが、個人の運動能力には違いがある。みんながみんな、篠崎先生の運動能力と同じってわけじゃない。
今日もまた、体育の授業だ。今日は、剣道の防具をつけるための練習の時間らしい。体操服に着替えて、剣道場に移動する。剣道場に入ると、汗臭さと畳の匂いで、なんとも形容し難い異臭がする。クラスの男子全員が整列し、体操座りで待つ。篠崎先生が入ってくるのと同じくらいに、校内に授業開始を告げるチャイムの音が響き始める。チャイムが鳴り終わるのを聞いて、篠崎先生が点呼をとる。ここでも、必ずと言っていいほど、ほとんど全ての人が
「バカやろう!声が小さい!もう一度だ!」
と怒られる。僕以外の人も、篠崎先生が苦手なようだった。僕の番が来る
「佐々木!」
「はい!」
精一杯の声で返事をする。それでも篠崎先生はいつものように
「バカやろう!声が小さいんだよ!もう一度!佐々木!」
「ひゃい!」
大きくしようとして、裏返る声。周りでは吹き出す子や、顔をあげずに肩を震わせている子がいる。恥ずかしい…
「よし、次!笹原!」
満足したように次の子を呼び始める篠崎先生。聞こえているのに声を大きくする必要性を感じなくて、でもそれに逆らえない。理不尽さに少し腹が立つ。そんなことを考えている間に、点呼が終わる。みんな、点呼だけなのに疲れた顔をしていた。
「よし、今日は前回言った通り、防具の付け方を教える!一時間でしっかりマスターしろよ!」
そう言いながら、倉庫から防具一式を出す篠崎先生。
「よし、それぞれ、一組ずつ持っていけ、場所をとるから、さっきみたいに詰めて整列しなくてもいいぞ!」
そう言われ、みんな一斉に立ち上がり、各々で防具を取りに行く。僕は少し出遅れてしまって、余り物の防具を選んだ。僕より大きいものだった。まぁ、学校の備品だし仕方がない。大きな防具を持って、元の位置に戻る。最後の僕が座ったのを見て、
「まずは胴をつけるからな、先生のお手本をよく見とけよ!」
と篠崎先生はそう言って実演を始める。退屈だ…
その後、結局、胴の着け方だけでバカやろうと二回言われ、僕は将来使わないだろう防具の着け方を覚えた。終わりのチャイムが鳴って、篠崎先生がハッと時計を見る。
「もうこんな時間か、よし、整列しなくてもいいからそのまま聞け、来週はいよいよ、少し実技に入るからな。あ、タオルを持ってこい。洗面所とかで手を拭くサイズのやつ。号令係、終わりの挨拶!」
そう言われて、号令係が挨拶をする。体育の時間が終わると次は生物の授業、生物が終わると現代文の授業、それが終わると、帰りのホームルームだ。
ホームルームで担任の先生が言う。
「そろそろ、部活に入ってもいい頃だと思うぞ。部活に入って、青春しろ!」
とか言ってる。まぁでも、入学してひと月経って、学校生活にも慣れてきた。僕は先生の話を半分くらい流しながら、部活について考える。確か、オリエンテーションの時に気になったのは、写真部とプログラミング部。ホームルームが終わったら見学に行ってみよう、そんなことを考えていた。明日の連絡があり、今日の掃除当番が発表される。僕は幸いにも、今日の掃除当番ではなかった。ホームルームが終わって、みんな各々に友達と集まって、部活について話をしている。僕は一人、カバンを持って廊下に出る。まだ、校舎を覚えきれていないので、エントランスに行って案内表示を見る。プログラミング部は週二の活動で、今日はやってないはずだ。とりあえず、と写真部の部室を探す。部室は、別棟の奥の方。まだ別棟に行ったことがなかった僕は、少しワクワクしながら向かう。
校舎と違って、少しボロ…いや、趣のある木造建てだった。両サイドに教室のある長い廊下を歩く。別棟には、文化部が集められているようだった。教室の上にある目印を見ながら進む。中に本が沢山見える文芸部、今どき珍しいブラウン管のテレビのある映画研究会、読めない文字で何かが書き殴られている紙が散乱するエイリアン研究会、天体模型とプラモのUFOが綺麗に展示してあるUFO研究会…、エイリアンとUFOは合併していいんじゃないか、なんて勝手なことを思いながら、それらの部室を通り過ぎて写真部に辿り着く。中には一人、誰かがいるようだった。部員だろうか。ノックを二回して、ドアを開ける。ガチャッという音とともに、
「こんにちは、一年生なんですけど、見学がしたくて…」
と言い、中にいる人物に驚いて声が詰まる。写真部の部室にいたのは、篠崎先生だった。
「あぁ、佐々木か。写真部の部員は今外だぞ。もう少ししたら顧問が来るから、待ってたらいいんじゃないか。」
似合わない、カメラを持った篠崎先生が言う。篠崎先生はどう見ても体育会系だ、写真部ではないはず、それにさっき顧問が別にいると言った。何か事情があっているだけに違いない。そう思って、
「わかりました、顧問の先生が来るまで待ちます。」
そう言い、部室にあったパイプ椅子に座らせてもらう。パイプがギィ、と音を鳴らして、部室には静寂が漂う。写真部の部室には、おそらく賞を取ったのであろう、先輩の作品が大きく展示されていた。古い、大きな、向日葵の写真。青空を背景に写る向日葵は、見ているだけでまだ来ない夏を彷彿とさせる。でも、なんだか悲しそうな写真だ、と僕は感じた。なぜだか分からないけど、その向日葵は強そうだったけど、気丈に振舞っているような、どこか切なそうな気がした。
ガチャッと音が鳴って、知らない先生が入ってくる。
「篠崎先生、お待たせしました。あら、こちらの生徒さんは…」
そう言ってボ僕の方に目をやる先生。ぺこりと会釈して、
「一年生の佐々木って言います。見学させてもらいたくて来ました。」
そう言う。
「あら、入部希望者さんってことね!いらっしゃい、写真部へようこそ。あ、篠崎先生、ちょっと待っててくださいね。今うち、新入部員入らないとまずいので。」
チラッと篠崎先生を見て言う知らない先生。
「えぇ、構いませんよ。急に来たのは僕ですしね、僕はこの向日葵の写真を見ていますから、気にしないでください。」
いつもとは違う、丁寧な喋り方をする篠崎先生になんだか違和感を感じながらも、知らない先生の方を向く。
「うちはね、見ての通り部員が少ないの。今は三人でやってるわ。もうすぐ引退する三年生一人、二年生二人ね。男の子は三年生だけ。」
頷きながら先生の話を聞く。
「あ、で、紹介し忘れてました。私が顧問の渡辺です。それで、入部しようとしてくれてるのよね?」
「はい」
と言って頷く。
「うちは他校と違って、文化部だけど兼部ができないの、注意してね。」
そう言われ、プログラミング部も考えていたことを思い出す。
「あの、一応今日は見学に来たんです。プログラミング部にも興味があって…」
と正直に言う。そういうと、先生が少し考えて
「んー、今日はプログラミング部は開いてないしね。」と言う。
「じゃあ、うちの入部試験に落ちたらプログラミング部を考えるといいと思うわ。受かっても、入部を強制したりはしないから。」
入部試験?と首を傾げながら、渡辺先生の説明を待つ。
「うちはね、幽霊部員とかを入れないために、入部試験があるの。課題って言ってもいいかもしれない。まぁ、写真撮ってきて先輩たちに見せるだけなんだけどね。」
と先生が言う。確かに、入れるかも分からない部活なのだとしたら、先にこちらの入部試験を受ける方がいいだろう。僕もそう思い、
「今日、できますか?」
と聞いてみる。
「できるわよ。ちょっと待ってね。確かこの辺に…」
そう言って、高い棚をごそごそ漁り始める先生。あった、と言って、先生が取り出したのはちょっと型遅れのデジタル一眼レフだった。
「これ、自由に使っていいから。校内で写真撮ってきて。先輩たちは十七時半くらいに戻ると思うから、それより前に戻るといいかもね。」
そう言って、一眼レフを手渡された。確かこれって、中古でも五十万はくだらない気が…、そう思い、受け取る手が震える。でも、こんないいカメラで撮れる機会なんて滅多にない。
「わかりました。じゃあ、行ってきます。荷物はここに置いて行ってもいいですか?」
「いいわよ」
「ありがとうございます。」
そう言って、部室を出る。何を撮ろう、僕は入部試験だということをほとんど覚えていなかった。自分じゃ買えない、いいカメラを貸して貰えただけ、それで写真が撮れるだけで幸せな気分になる。何を撮ろう、そう考えて、ワクワクして別棟を出る。撮るものが決まらなくて、僕は校内を散策する。野球部の練習風景、学校から見える川、落し物のペン、色々なものを見て回る。中庭でふと、足を止める。花壇に水をあげている女の子がいた。その光景に、校舎を写さずして、女の子と花とジョウロだけを撮りたい、と頭にイメージが浮かぶ。園芸部だろうか、そんなことを考えている間にも、女の子は水やりを済ませていく。
「あの!すみません!」
大きな声で女の子に声をかける。驚いて振り向く女の子に事情を話す。
「写真部の課題で、写真撮ってるんですけど、あなたが花に水をあげる姿を撮りたくて…。いつも通りのことをやってもらっていいんです。顔は写しません。なるべく邪魔にならないようにします。」
そう言って、頭を下げてお願いする。女の子は
「いいよ」
と言ってくれた。
「ありがとうございます!写真、あとで見せますね。」
僕はそう言って、女の子から離れる。作業に戻ってもらうためだ。女の子は、ジョウロに水を汲みに行く。蛇口を捻って、勢いよく出てくる水をジョウロに溜める。その姿にまたグッときて、僕はカメラを構える。ファインダーを覗いて、女の子の顔が写らないように注意しながら、三枚、写真をとる。ジョウロに水が溜まると、重そうにそれを持って、花壇の方に歩く。先端にシャワーにする部品をつけて、女の子は花に水をやる。日常、といった感じだった。でも、僕にはそれがなんだか美しく見えて、顔が写らないように、校舎もなるべく写らないようにして、シャッターを切る。水やりは十分ほどで終わった。仕事が終わった女の子が僕の方へ来る。
「どう?撮れた?」
と言われ、僕はカメラを操作する。自分でもまだ出来を見ていないが、カメラにはどう写っただろう。ワクワクしながら、撮った写真を女の子に見せる。女の子は難しい顔をして
「んー、私には芸術はよく分からないけど、いいもの、撮れた?」
と聞いてくる。僕は自分の方に画像を向けて、見てみる。そこには、水が溜まるのを待つ女の子、両手でジョウロを持って花に水をあげる女の子が写っていた。僕はなんとなく、
「うん、撮れた。ありがとう。」
そうお礼を言って、女の子と別れる。中庭のベンチに座って考える。あの時僕はふと、あの子を撮りたくなった。あの光景が、とても美しく思えて。でも、カメラに写ったのは、カメラの性能もあって、確かに綺麗だが、僕が見たものほどでは無い写真。少し、納得がいかなかった。考えている間に先輩たちが帰ってくると言われた時間が迫ってきてしまった。急いで、走って部室に戻る。カメラを大事に抱えながらも、廊下を走るな、というポスターを無視して、部室まで走る。ノックを二回して、ガチャッとドアを開ける。そこには、三人の制服を着た上級生と篠崎先生、渡辺先生がいた。
「おかえり」
と渡辺先生が言う。手を差し出されたので、借りていたカメラを両手で渡す。
「現像してくるね、ちょっと待ってて。ほら、みんな、後輩が来たわよ。自己紹介でもしときなさい。」
渡辺先生が去っていった後、少しの間、沈黙が流れる。僕はというと、なぜ篠崎先生がここにいるのかが不思議でたまらなかった。
「じゃあ、僕から。写真部の部長の園崎です。よろしく。」
長い前髪をピンでとめたているが、制服の着方が明らかに校則違反な先輩がそう言う。篠崎先生もいるのに…、すごい先輩だ。褒めてるわけじゃないけど。
「次私ね。二年の田川です。よろしくね。」
茶髪は校則違反だから、きっと地毛なんだろう。綺麗な、ところどころ金にも見える髪をした大人しそうな女の子が挨拶をする。
「中川です。よろしくお願いします。」
もう一人の清楚そうな黒髪の、いかにも優等生といった感じの先輩も挨拶をしてくれた。
「一年の佐々木です。入部を考えてます、よろしくお願いします。」
そう言って、ぺこりと頭を下げる。また、沈黙が流れる。
「えっと、じゃあ…」
そう言って口を開いたのは、篠崎先生だった。
「体育科の篠崎です。しばらく写真部に写真を習いに来てます。よろしく。」
授業とは全く異なる、真面目そうな自己紹介をする。そうか、写真を習いに来てるからここにいたのか、と僕の疑問が晴れる。ガチャッと音がして、
「おまたせ」
と渡辺先生が入ってくる。
「少なかったからすぐ終わったわ。」
そう言って、僕が撮った五枚の写真を机に並べる。先輩たちが興味ありげに首を伸ばす。
「なんでもっといっぱい撮らなかったの?」
と茶髪の…田川先輩が尋ねてくる。
「あんないいカメラを持ったのは初めてで、何を撮るか、選んでしまいました。」
そう、答える。
「ふーん」
そう言って、先輩はまた写真に目を移す。
「これ、なんで撮ろうと思ったの?」
中川先輩が尋ねてくる。
「うまく言葉で表現出来ないんですが、自分の中でグッときて…。その光景が、美しくて、写真に収めたいと思ったんです。」
そう答える。これも、入部試験のうちなのだろうか。課題を提出して目の前で添削されるってこういう気分なのか、緊張で体が強ばる。
「あ、じゃあ僕からも質問。君的に、この写真は百点満点中何点?」
園田先輩が難しいことを聞いてくる。僕は少し考えた後、聞かれたのはこの写真についてだ、と改めて思考を巡らせる。
「六十、ですかね」
と答える。
「なんで?」
と聞いてくる園田先輩。
「この写真自体は、それなりに綺麗に撮れたと思うんです。でも、それはカメラの力があったからだと思っています。僕の腕が未熟だから、あの綺麗な光景を表現しきれなかった。だから、六十です。」
「なるほどね」
と頷く先輩。篠崎先生も興味深そうに写真を眺めて、話を聞いている。
「佐々木くんの入部に反対の人、いる?」
と園田先輩が言う。先輩二人は首を振った。
「じゃあ、入部試験は合格ってことで。」
と園田先輩が軽く言う。ほっとしながらも、
「入部試験、どこで合格になったんですか?」
と尋ねる。園田先輩は、少し考えて
「まず、佐々木くんはあのカメラの使い方を、教えなくても分かってるんだよ。だから、カメラのこと、好きなんだろうなって思って。それから、あの写真。確かに、綺麗だった。これで満足しているようなら、と考えたけど、佐々木くんは満足していなかった。だからかな。まぁ、あとはフィーリング。」
そう言われて、なるほど、と思う。
「すごいな」
とポツリと、篠崎先生が言う。驚いて、先生の方を見ると、自分の手に持ったカメラを見ながら語り始めた。
「俺もな、写真撮りたいと思って教わりに来たんだよ。でも、佐々木のような写真はまだ撮れない。いいカメラらしいのに、いい写真が撮れないんだ。」
と言う。あまりにもしおらしく、いつもの篠崎先生らしさを感じなかったので、僕はつい、声をかけてしまう。
「カメラ、見せてもらってもいいですか?」
篠崎先生は少し驚いたけど、大事そうにカメラを渡してくれた。パッと目を通して、ファインダーを覗く。カメラ自体も高価なものだし、古いものだ。でも、軽く見た感じだと、機能に全く問題がない。写真初心者では、このカメラの具合はありえない、そう思って、
「このカメラの持ち主は、写真が好きだったんですね。」
と言って、丁寧に返す。先輩も渡辺先生も、僕たちのやり取りを黙って見ていた。篠崎先生は、大事そうにカメラを受け取って、口を開く。
「死んだ嫁さんのカメラなんだ。」
切なそうにカメラを見ながら言った。
「俺は亭主関白で、古い頭の人間だと思う。嫁さんにも、それを押し付けてた。嫁さんの、最初で最後の頼みだったんだ。カメラごときにって思ったけど、買ってやった。家事も育児も頑張ってくれてたから。俺は、全く協力してなかったから、後ろめたさも少しあったと思う。」
ポツリ、ポツリと篠崎先生が話す。
「サプライズで買って、プレゼントしたら、嫁さん、泣いて喜んだんだ。一生大事にするっつって。カメラを買ったんだから、何が撮りたいだろうって思って、日曜日は俺が家事をするようになったんだ。子供たちは自立していたし、自分の身の回りの事をするだけで良かった。嫁さんは、毎週、ありがとうって言ってどこかに出かけて、帰ってきたら撮った写真いっぱい見せてくれたよ。でも、この間の土砂崩れで、俺を置いていっちまったんだ。」
淡々と話す篠崎先生の目には、涙が光っていた。上を向く篠原先生。確か、ニュースでも山間部で土砂崩れがあって、犠牲者が二人いると報道していた気がする。
「嫁さん、ヘソクリで金庫買っててな。その中に、そのカメラと撮った写真だけあったんだ。」
上を向いたまま、篠崎先生が言う。
「ここに来てわかったよ、この向日葵の写真は、嫁さんが学生時代に撮ったやつだ。見たことがある。俺に、毎年、父の日のカードをこの写真使って、作ってくれた。」
上を向いていたが、涙がこぼれる篠崎先生。みんな、静かに話を聞いていた。中川先輩はハンカチを目にあてている。沈黙が流れる。僕は篠原先生によかったらどうぞ、とティッシュを差し出す。ありがとう、そう言って篠崎先生は涙を拭いた。そこで、今まで黙っていた園田先輩が口を開く
「篠崎先生、向日葵の花言葉、知ってますか?」
篠崎先生は、涙を拭きながら首を振る。
「色によって花言葉が変わるんですけど、黄色の向日葵の花言葉は「あなたを見つめる」なんですよ。綺麗事かもしれませんが、奥さんはきっと、篠崎先生を見守ってくれていますよ。」
それを聞いて、また泣き出してしまう篠崎先生。いつもの、運動神経抜群で、気の強い篠崎先生ではなかった。夫として、泣いていた。そこで僕は、最初に感じた切なさの正体がわかる。奥さんはきっと、篠崎先生へかはわからないけど、人への想いを写真にこめたんだ。壁に飾られた向日葵をもう一度見る。篠崎先生夫婦の馴れ初めは知らない。でも、別の人への好意で撮った写真を、毎年自分の夫へ渡したりはしないだろう。勝手に、そう考える。無意識に
「奥さんはまだ、ずっと篠崎先生のことを大切に思っていると思いますよ」
と零れる。篠崎先生は、泣いていた。下校のチャイムが響く。それを聞いて、無理やり泣き止む先生。そして、いつもの先生に戻って、
「ありがとな、また、写真教わりに来るから、その時は教えてくれ。嫁さんの見ていた世界を、見てみたいんだ。」
と言った。みんなで頷く。
「あ、あと、俺が泣いたことは他言無用な、嫁さんの事も…」
と弱気なことまで言い出す。
「言いませんよ。」
田川先輩がそう言って、みんな頷く。それを聞いて、篠崎先生は
「ありがとな、じゃあ、チャイムも鳴ったし、みんな暗くなる前に帰れ!」
そう言って、いつもの調子に戻る。園田先輩が
「あ、僕、今日撮ったやつ現像してから帰ります。」
と言うと、
「バカやろう!暗くなる前に帰れって言ってるだろ。明日やれ明日!」
と園田先輩の方からドアに向かってしっしっと手を振る。僕は先生のバカやろうが嫌いだったけど、今はそこまで嫌と感じなかった。追い出されるように、部室を出される先輩たちと僕。篠崎先生の隣で渡辺先生が
「気をつけて帰るのよ」
と言った。先生の声に振り返った先輩たちの目は赤くなっていた。僕もきっとそうだろう。
「はーい」
とそれぞれがバラバラに答えて、それぞれの家路につく。帰り道、僕は明日、入部届を出しに行こうと思った。プログラミング部も興味があったけど、やっぱり、写真は人の想いが入り込む、素晴らしい芸術だと思ったから。僕もいつか、あの向日葵の写真のような美しい写真が撮りたい、そう強く思ったから。
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