0人が本棚に入れています
本棚に追加
HERO その2
ほぼ直線のような歩道なのに、彼女は彼の姿を見失ってしまった。
それは、時折、歩道へ盛大に はみ出しているセイタカアワダチソウであったり、ススキの群生が彼女の視界を邪魔してしまっていたからだ。
そうだとはいえ、何百メートルも走った訳ではない。
その邪魔をしている草々の横を通り過ぎれば、彼の背中は見える筈なのだ。
それなのに、彼女の視線の先に続く真っすぐな歩道に彼の背中は全くその姿を留めてはいなかった。
大きく息を乱し、肩で小刻みに息を切る彼女は、途方に暮れたように足を止めた。
その時だった。
今まで聞こえてきていなかった誰かの声が聞こえる。
耳をそばだててみると、それは、どうやら幼い女の子の声のようだ。
しかも、それは泣き声だ。
迷子にでもなっているのだろか?
彼女は、とるものとりあえず、その幼い泣き声が聞こえる、歩道から少し外れた草木が生い茂る空地の方に足を向けた。
「…あっ」
背の高い雑草を避けて入ったすぐの空き地で、何かにぶつかりそうになって小さく声を上げる。
ぶつかりそうになったのは、見失っていたはずの彼の背中だった。
彼女は、一瞬、息が止まる。
「…(しっ)」
自分の背後に気配を感じて振り返り、彼女に気付いた彼は自分の人差し指を口元に向けて静かにするようにと伝える。
そして、視線と口元に当てていた指とで一点を指さす。
指し示された方向に、彼女は素直に顔を向けた。
そこには、一本の中ぶりな大きさの木が立っている。
その木の真下で、大きく声を上げて泣きじゃくる一人の女の子。
この女の子の声こそが、先程、彼女の耳に入ってきたものだろう。
そして、その場には幼い女の子だけでなく、その木を必死でよじ登っている一人の男の子の姿があった。
「何が…」
…あったのか?という、彼女が感じだ疑問に答えるように、斜め前に立っていた彼が口を開いた。
「…あの木の少し上の方に、風船が引っ掛かっているんだ。それを今、あの男の子が取ろうとしていて…おそらく、木の下で泣いている女の子のものだと思う…」
「風船…?あ、ホントだ…。きっと、ちょっとした弾みに風船の紐を手から放しちゃったのね…」
「たぶん、そうだと思う…、小さな泣き声が風に乗って聞こえてきたと思ったら、空を飛んでいく風船が見えてきたから…」
「もしかして…さっき、『風船だ』って言って、急に走り出したのって…」
「ごめん、事情を説明するよりも先に足が動いてた…」
「そうだったんだ…そっか…うん…そうなんだ…」
さっきとは違う涙が滲みそうになる。
あぁ、そうなのか、そうだったのかと、幾度も彼女の胸の中にその想いが逡巡する。
昔からそうだった。
彼は、言葉ではなく、いつも行動が先に行く。
そして、それは、大概において、自分のことでではないのだ。
誰かを思って、誰かの助けになろうとして…そういう人間なのだ。
今だって、彼は昔と一向変わることなく、少し先で泣いている女の子の風船を何とかしてあげたいとそれだけを思って、ここに走り着いた。
「…あっ」
小さく声を上げた彼が即座に体を前へと押し出そうとする。
彼女が木の方に顔を向けると、男の子が必死で木の枝に捕まりながら、体勢を立て直しているところだった。
きっと、足か何か滑らせて落ちそうになってしまったというところだろう。
それでも、彼は諦めずに少しずつ身体を元の位置に戻していっている。
「おにいーちゃーーんーー」
泣いてばかりだった女の子が、木に登っている男の子に向けて精一杯の声を張り上げた。
その声に気付いた男の子─お兄ちゃんは、木の下で泣きべそをかいている女の子─妹に向かって、ニッと白い歯を見せて笑い返した。
大丈夫、そう、伝えるかのように。
【その3に続く】
最初のコメントを投稿しよう!