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HERO その3
「…良かったね、落ちなくって…」
「うん…」
「でも、助けてあげなくて大丈夫かな…。もし、また、落ちそうになったら…」
「…落ちないよ…きっと」
「そうかな…」
「あぁ、きっと、大丈夫。せっかく、自分の力だけで妹の為に風船を取ろうって頑張っている邪魔はできないよ」
「そういうもの?」
「そうだよ…誰だって、大切な誰かのヒーローになりたいんだから」
「…そっか。…うん、じゃぁ、ちゃんと見守ってあげないとね」
彼女と彼は、二人並んで少し先にいる兄妹の様子を見守る。
時には、手を指し伸ばして助けたい衝動を唇に力を込めては我慢し、時には男の子の一挙手一投足を我がことさながらのように拳に力を込めて。
危なっかしい動きではあったけれど、少しずつ兄の男の子は風船へ確実に近づく。
がんばれ…がんばれ…あともう少し…
心の中で呟いていたはずの応援が、いつしか、言葉となって口から零れだす。
彼も彼女も、そのことに気付かず、ただ一点、男の子の動向だけに完全に意識を向けていた。
枝葉の間に絡まっていた紐も、真剣な表情で少しずつ外していく。
えい、と、声が聞こえる。
それと同時に、男の子は見事に風船を手にした。
「「やった!!」」
隣で互いに上げた声に気付き、反射的に顔を向け合わせる。
こうして、しっかりと正面から顔を向け合わせたのは、いつぶりか?
二人の顔に、僅かに朱が滲む。
そして、まるで示し合わせたかのように同じタイミングで自らの顔をまた、男の子の方に向けた。
「良かった、ね」
「あぁ…良かった」
素直にあの男の子が風船を取れたことが嬉しくて出た言葉ではあったけれど、その中には照れ隠しも入り込んでいる。
それに、二人とも気付いているからこそ、余計に気持ちが落ち着かない。
「後は、木から下りるだけだな…」
「うん、そうだね」
その微妙に揺れ動いている空気を振り切るかのように、彼が口を開いた。
それに彼女も同調する。
あの男の子が無事に木を下りて、泣いている女の子に風船を渡す事が出来たら、その後にきちんと彼と向き合おう、彼女はそう思う。
果たして、男の子は用心深くソロソロと木から地面へと下り立つ。
その兄の元に向かって、泣き顔だった妹が抱きつくごとくの勢いで走り寄る。
誇らしげに妹に風船を差し出す兄。
それを満面の、喜びで輝かんばかりの笑顔で両手を掲げるように風船に手を伸ばす妹。
詳しい会話は、聞こえはしない。
けれども、容易にその内容は分かるようだった。
そして、風船を受け取った妹の手を兄が自分の右手で優しく繋ぐ。
「…あの男の子…ちゃんと、ヒーローになれたね…」
「あぁ…」
「良かった…本当に…」
「そうだな…」
急に、左手が温かさで包まれる。
驚き、彼女が目を向けると、自分の左手が隣に立つ彼の右手に繋がれていた。
ドキン…と、一つ大きく心臓が跳ねた。
「俺たち…」
「…うん…」
ドキドキなんてものじゃない。
ドクドクと脈動が感じられるほどに、全身が、細胞が、大きなうねりを生み出す。
繋がれていた彼の右手に、グッと力が籠った。
「…あんな子供達がいる家族…作らないか?…一緒に」
握られていた手に向けられていた彼女の視線が、一気に上向く。
彼は、太陽を背にして、強い視線で彼女を見つめていた。
眩しさが目に入る。
けれども、風船を見つけられなかった時とは違い、彼の肩越しから注がれるそれは、真夏の太陽光の鋭さが昇華されて柔らかく包み込んでくれるような穏やかで温かな秋の光だ。
「…うん…そうだね。…それも、いいかも」
彼女の目が優しい弧を描いて、微笑む。
その目尻には、キラリと小さく光るものも見え隠れする。
彼もまた、嬉しさが滲んでいる目を細めた。
「『いいかも』じゃなくて、『絶対にいい』だろ?そこは」
「う~ん、ちゃんと私と子供のヒーローになってくれるんなら…かな?」
「なるに決まってる」
繋いでいた手が強く彼に引き寄せられる。
ポスリ…と、彼女の身体が彼の胸の中にぴったりと納まった。
「絶対だよ?」
『もちろん』という言葉は重なる唇が受け止める。
二人の背後で、高い金属音を響かせながら野球のボールが空高く、秋の陽光を受けて白く光り輝いていた。
【HERO】 END
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