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「うわおいマジかよない!ない!ないんだけど!」
霜が下りそうな朝のことだった。
ギゼラは顔を青褪めて自身の胸を弄った。
ここは人族の国、ゴルタニア王国の王都にある孤児院だ。
ギゼラは昨日の昼からこの孤児院の世話になっている。
「一晩泊まっただけなのにー⋯⋯」
繰り返すがここは孤児院だ。
まさか寝ている未婚の女の部屋に入り、胸ぐらに手を突っ込むなどという野蛮な行為をする人族の子どもなど、ここにはいないと思っていたのに。
やられた。認識が甘かった。
人族にとってはただの高価な装飾品に見えるだろうが、あれはギゼラにとって、ドワーフ族の出自を証明する大切な家石の入ったブローチだ。
これがないと村に帰れない。
一般的なドワーフ族によくあるように、他の種族に対して排他的なギゼラの村は、村に入るために自身をドワーフ族と証明するものが必要だ。
その証明するものが、ドワーフの各家庭にのみ製法が伝わるそれぞれの家石である。人族で言う家名や家紋だ。
ギゼラの家石は金属光沢の美しい紫色の秘石ライツェンタールだ。ミスリルの台座を使ってブローチに仕立てているが、目立つ場所に飾ることはない。
何故かと言えば防犯上の問題だ。
ドワーフ族ほど石の加工に秀でていない他種族にとっては、小さなブローチ一つであっても家が建つほど珍重される。それ故村を出るときは盗られないよう注意し、肌身離さず持っているのがドワーフ族の習わしである。
ギゼラもその習わしに沿い、胸元にこっそりと忍ばせておいたのだが。
「⋯⋯うっさいわよギゼラ。あんたの貧相な胸なんて、最初っからないじゃない」
同室のシンリーが眠そうな声を上げた。
「なんだと誰か断崖絶壁⋯⋯いやシンリー起きてたの? もしかして誰が盗っていったか知ってる?」
「ああ、あんたに不釣り合いなブローチなら、あの悪たれどもが持ってったわよ。あんたもどうせお貴族様から盗んだんでしょ、元から無いものを惜しんでんじゃないわよ」
悪たれどもと言うのは、ダニエルとピーターの事だろう。
ガリガリに痩せて肌が青黒い、それでいて目がギラギラと輝いている異様な二人だ。
「いやいやあれがないと家に帰れない⋯⋯」
「帰る家がある奴が何で孤児院にいるのさ。馬鹿言ってないで黙りな。まだ起きるにゃ早いよ」
シンリーはそう言って汚れた薄い掛け布団に包まった。
ギゼラには帰る家がある。両親も弟も健在で、中々に裕福なドワーフ族の家庭に生まれたのだ。
ドワーフ族の者が何故人族の国の孤児院に放り込まれたのかと言えば、全くの偶然としか言えない。
たまたま魔石探しに人族の国に訪れ。
たまたま辻馬車と護送車の交通事故に巻き込まれ。
たまたま泥と馬糞に塗れたみすぼらしい姿になり。
たまたま交通事故に遭った護送車が孤児院行きで、混乱の中、荷台に載せられていた孤児に間違われ。
手持ちの荷物も換金したばかりの金貨も何もかも無くし、心身ともに疲弊したギゼラは仕方がないと腹をくくって一晩だけ厄介になる覚悟で孤児院に泊まったのが昨夜の事だった。
ちなみに自らがドワーフであると孤児院の院長に説明する気はなかった。ドワーフ族の掟で、余程逼迫した状況で、一番信頼出来る者にしか、正体を伝えてはならないのだ。
「まだ間に合うかな⋯⋯」
「さあね。闇市はここんとこ、太陽が登りきる前までやってるけど」
「ならまだ間に合う!シンリーありがと!」
ギゼラは脱兎の如く寝台から飛び起きて孤児院の門を後にした。
闇市と言われる盗品の取引場は大体スラム街の一番臭い場所にある。
過去幾度となく闇市に参加したギゼラは、経験と勘で一番近くにある闇市の場所を探した。
+++++
「さあさあ、お立ち会い、世にも珍しい魔石だよ!見てみなよこの輝きを!これこそかの有名な、賢者の石だ!」
だみ声を張り上げた小太りの中年男性が、手に赤い石を転がしている。
人混みからはどよどよとした声が漏れる。
ギゼラはそれを横目に見て、「なんだ、辰砂かー」と呟いた。
辰砂とは東の大国で産出されやすい、ただの石だ。
もちろん使い道は多様にあるし、それなりに高級品だ。しかし「魔石」と銘打つと話は違ってくる。
魔石とは、かつてこの世界が魔界であった頃の地層から出てくる特殊な鉱石だ。
魔素と呼ばれる魔界特有の元素が結晶化したもので、魔力をほぼ持たない種族であっても魔法が使用出来るようになるという特殊な性質がある。
しかし、魔石を採集するためには古い古い地層を掘り当てなければならず、そのため深い洞窟やダンジョンの最奥に潜るしか入手方法がない。魔石採集専門の冒険者もいるほどに供給が少ないのだ。
そんな貴重な魔石は、お貴族様からいただいた物が集まる闇市でも出回る事は珍しい。しかも希少性の高い賢者の石────シニアイトを、手のひらに複数転がせるほどあの男が入手したとは誰も考えないだろう。
つまりあれは粗悪な偽物以外の何者でもない。
ギゼラはすぐさま他の石を取り扱う店を探そうと視線を逸らそうとした。のだが、
「ほぉ!これがかの有名なシニアイト!」
場違いな程に朗らかな声が辺りに響いた。
「え、騙される奴いた」
ギゼラは舌なめずりをする小太りの売り子と、鬱陶しい前髪をかき分けもせず辰砂をじっくり眺める男を見つめた。
「黄金を湯水の如く製錬し、不老不死の水を溢れさせるという賢者の石が、まさかこんな所にあったとは!」
「何と一粒たったの金貨百万枚さ!お兄ちゃん、これでも安くしてるんだぜ」
「安いねえ、一体どんな理由があるのだね?」
「へへへ、ここだけの話だぜ。この石はよ、純度がかなり低いんだ。だから金じゃなく銀しか製錬出来ねえんだとよ。ホレ、証拠を見せてみるぜ」
そう言って男は辰砂の粒を蒸留装置付きの簡易製錬窯に放り込んだ。これも見世物の一つらしい。
「⋯⋯え、ちょっ!」
ギゼラは思わず大声を上げていた。
たちの悪い物売りに騙されかけている哀れな青年の末路を高みの見物と決め込んでいた衆人の視線が、一気にギゼラに集まった。
「なんだいお嬢ちゃん。ママとはぐれたのかい」
小太りの男はギゼラを小馬鹿にした顔で笑った。
「おっちゃん、悪いこた言わないからやめた方いいよ!人死に出したくないでしょ」
「おや、剣呑な話だ。どういう事だい、そこの小さなレディ」
青年はにこにこと笑って首を傾げた。
ギゼラは見た目こそ人族の12.3に見える出で立ちだが、実年齢は95と、ドワーフ族のれっきとした成人女性だ。
しかし自身がドワーフという事実や実年齢などは公にする事が滅多にないので、普段は小さな子ども然として街を歩いている。
他種族の、特に男に侮られる事はよくあった。
そんなギゼラは、見た目年齢の割に合わない鋭い眼光で小太りの男を見遣る。
「この場で人死にが出たら、どこの闇市でも永久追放だよ。その辺分かってやってる? ⋯⋯とは思えないけど」
「なんでぇ、舐めた口聞くガキじゃねぇか。その年で随分貫禄ある口ぶりだなぁ」
ははははは、と下卑た笑いが起こった。
ギゼラは額を手で叩き、やれやれという顔をした。
「だからーそれ、毒なんだよ。窯の火を一回止めて!事によってはここの闇市の元締めに話をしなきゃならないよ」
ギゼラがそう言うと周囲は失笑した。
どこの小娘が、この巨大な闇市を取り仕切るトップに口利き出来るというのだ。
誰も彼もがギゼラを嘲笑するような素振りを見せる。そんな中、場違いに陽気な声で青年が言葉を発した。
「ハハハ!何とも勇敢なレディだねぇ。本当にここの元締めとお知り合いかい?」
「私が知ってる人ならねー。ここの元締めは今マーティン? それともバートかな。今どこにいるかわかる人いる?」
ギゼラが闇市のトップの名前を口にすると、周囲はにわかにざわめく。
闇市の元締めのファーストネームなど、相当親しい関係でないと呼べないものだ。
何も知らない下っ端が、イキって名前を口にした瞬間首と胴が別れを告げたのは一週間前の出来事だった。
「────マーティンなら一昨年引退したよ。今は俺のシマだ」
その時、群衆をかち割って肩を揺らし、大柄な男が姿を現した。
豊かな髪を整髪料でべったり撫でつけた、額に傷のある壮年の男だった。
「バート!随分大きくなったねぇ」
「ギゼラ、あんたは変わんねぇな」
バートと名乗った男はくつくつと低く笑った。それと同時に、咥えている葉巻のきつい匂いが辺りに漂った。
「その葉巻まだやってるの? いい歳なんだから無理しないの」
「けっ、ババアに言われちゃおしま────」
「バァァァト? 今何て言ったのかなぁぁぁ?」
「ちっ何でもねぇよ!そんで、何がどうしたよ、この騒ぎは」
バートは片眉を上げて尋ねた。目線の先にはあの小太りの男がいる。
「へ、へぇ!旦那⋯⋯いやね、このガキが俺の商売にイチャモンつけてきやがりまして」
「商売ってのはよ、売りモンに真っ当な値段つけて売ること言うんじゃねえのかよ」
「へぇ!あの賢者の石をたったの金貨百万で売ろうってのに、邪魔しやがるんで」
「だーかーらー、それ辰砂!普通の石!そんであんな窯で加熱したら水銀が蒸発するでしょ!この辺に散るでしょ!その蒸気がヤバい毒だっつってんのにー!」
「へぇ、なる程なあ」
バートは睨みを効かせて男の手首を引き寄せた。そして手の中の石をじっくりと見つめる。
男の手は震えているが、逃げる素振りは見せなかった。
「⋯⋯ま、これもお前の勉強代だったな」
「どういう事です、旦那」
「察しが悪いな、こりゃ賢者の石の偽モンだよ」
「えええええ!そんな馬鹿な!」
「東の大国では、確かにこれを不老不死の妙薬として王族が使っていたそうだが。なんにせよこの石は断じて魔石なんかじゃねぇよ。大体純度が低いから金じゃなく銀が出てくるなんて話あるかよ。ちったぁオツム使え」
「そ⋯⋯そんなっ⋯⋯!」
小太りの男も誰ぞに騙されて掴まされたのだろう。
金貨百万枚とは言わないが、これだけの数の辰砂ならどこかで需要があるだろう。金貨一枚分くらいには。
男にそう告げると、今度こそ膝を土について項垂れてしまった。
「一体どれほど騙されたのだろうか、彼は」
「商売ってのは怖いねェ。あんたも気をつけなギゼラ」
「そんな危ない橋は渡りませーん」
「そうだなぁ、あんたは堅実にボロ儲けしやがるからな」
バートは葉巻を持ち替えてカカカカ、と笑った。
「やあ、レディ」
ギゼラとバートが肩を並べて談笑していると、先程の可哀想な青年が声を掛けてきた。
騙されかけたというのに終始顔は朗らかで、口角は上がっている。
「何だお坊っちゃん。まだいたのか」
「お坊ちゃんとはご挨拶だなぁバート」
「青いケツに殻くっつけたヒヨコが何ぬかしやがる」
「知り合い?」
ギゼラが青年を見上げると、バートは苦笑しながら答えた。
「まあな、俺が世話してやってんだ」
「むー。あのぼったくりの店を吊し上げろと頼んできたのはどこの誰だい?」
「へぇ⁉ じゃあさっきのは⋯⋯」
「ふふふ、あれはお芝居だ。どうだい、あの親父見事に引っかかっただろう。僕としてはもう少し情報を聞き出したかったんだが⋯⋯」
「私が邪魔しちゃったのか。ごめんごめん」
「イヤイヤ気にしないで欲しい。お陰でもっと良いものを見つけたんだ」
青年はハハハハ、と声高に笑った。
闇市特有の退廃的な雰囲気にそぐわない、妙に毒気の抜かれる笑い声だ。
「バート、この人大丈夫? 躁病患ってるんじゃない?」
「変な奴だが頭は確かだぜ」
「僕はいつでも正常だよ」
「そんな事よりバート、ブローチ見なかった?」
「ブローチ? ブローチってまさかお前っ⋯⋯!」
「そうそう、あのブローチ。何やかやあって、近くの孤児院の子に盗まれちゃって」
「馬鹿な事したもんだな。あの悪たれどもか」
「ダニエルとピーターって言ってたけどねぇ」
「やっぱりだ!あいつら最近手癖が悪すぎるぜ。飯代代わりの林檎や芋なら目をつぶったが、アレはいけねぇ」
「あの子達、どの店によく行くの?」
「さぁなぁ⋯⋯俺もそこまでは分からん」
「レディ、レディ」
「ちょっと黙っててー。明け方前に売りに行ったから、運が良ければまだ店先にあるかも」
「レディ、ねえねえ」
「坊主は黙ってろ。この辺で貴金属取り扱うならダリューンか、ペンドラゴンか⋯⋯」
「おーい、聞いてくれないか」
「「だから黙ってて(ろ)って⋯⋯」」
バートとギゼラが同時に青年を睨みつけると、青年はにんまりと笑いながら、指で摘んだ小さな宝飾品を二人に見せびらかした。
「探してるブローチって、コレ?」
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