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「⋯⋯っエーミール殿下!お恥ずかしいところを」
「いや、いい。楽にしなさい。顔色が悪いようだが」
「ええ、少し酔ったようです」
「アルコールはまだ君には早いよ。飲んでしまったのかい」
「⋯⋯はい」
「なら、休憩室で休んでいくといい。他の者が使っていない所を探そう」
「そんな、殿下にそこまでしていただく訳には参りません」
「いいんだよ、ゲストをきちんと楽しませる事も主催者の務めだ」
エーミールはギゼラの背に手を当てて、少々力を込めてダンスホールの入口から遠ざけた。
おいおい本性見せるの早くないか、ロリコン殿下。
ギゼラは苦笑した。
────"やあ!アンネリーゼのお兄ちゃん枠から連絡だよー!首尾はどう?"
「⁉」
「⋯⋯ど、どうした」
「いえ、ちょっと胸が痛くなりまして⋯⋯」
「そうか、随分と繊細なんだね。────少し入れすぎたか」
"ははははは、本音が漏れてるぞエーミール殿下。さっきはびっくりしたよアンネリーゼ。でも、その方が話題になったし殿下も食いついたし、君の可愛い一面も見れたし万々歳だね!"
"あんまり大声出すなよギュルカン。聞こえるぞ"
"大丈夫ダイジョーブ。あ、ちなみにね。右の耳飾りが僕らの声が聞こえてくる方で、左がそっちの音を聞き取る方だよ!聞こえてるかな? 聞こえてたら左耳を二回小さく叩いてね!"
ギゼラはなんとも言えない顔で左耳を二回叩いた。
エーミールは、そんなギゼラの肩に手を寄せて奥の間へと案内した。
「こちらなら誰もいなさそうだ。ソファに横になっているといい」
「ええ、本当にありがとうございます殿下」
「いいんだ。ギュルカンを呼んでこようか?」
"はーい僕ここにいるよー!"
「いえ、こちらで少し休ませて頂ければ大丈夫です」
「そうか⋯⋯なら、そうしたまえ」
エーミールはそう言って、休憩室の扉を締めて鍵をかけた。
「────え? で、殿下?」
「その口紅、素敵だね」
「えー、と。ありがとうございます」
「どこの店かな? 今度連れて行って欲しいくらいだ」
「これは⋯⋯特注品ですの。ギュルカン様が特別に用意してくださったものです」
「ふぅん、ギュルカン、ギュルカンねえ。ねえ、あの男のどこがいいの?」
そんなのこちらが聞きたい。
前髪を下ろしたら掴みどころのない不思議ちゃん、前髪を上げたらツンケンしている嫌味男。
良いところあるだろうか。
"ひどいなあ、僕良いところ沢山あるよー"
心を読まないで欲しい。あと黙れ。
エーミール殿下が近くに寄ってきた。
「その⋯⋯全て素敵だと思いま」
「何が目的だ」
「え」
「とぼけるなよ。あのギュルカンが女連れだと。王家の間諜に見張らせていたが、そんな報告が上がっていない。エンバレク家などという聞いたこともない家も怪しい。どこもかしこも不自然過ぎる」
「⋯⋯は」
「おまけに不自然な程に美しい女だ。クリストフが何故怪しまないか、理解に苦しむね」
"めちゃくちゃみくびられてるな、私。まあ馬鹿王子のふりをしていたのは否めないけど"
"でもライツェンタール石効果かなり効いてるねぇ。不自然に美しい女だって。うふふ、可愛いレディがどんな女性に見えているやら"
おい男二人。
早くも計画頓挫しそうなんですけども。
助けないの? 助けてくれないの?
どうすんのこれ?
「あ、あの⋯⋯」
「誰の差し金だ? 口を割れば命だけは助けてやる。ふふ、命だけはな」
「待って、ちょっと!」
エーミールはさっきからはあはあと息遣いが荒かった。
なにこれ。
"うーん、ちょっと盛りすぎたかな"
"思考を放棄するような媚薬だったのだが。頭空っぽの時にマトモな事を言うエーミール、逆に頭がどうかしているんじゃないか"
お前らのせいか!
おいなに媚薬盛ってんだ!
「え、エーミール殿下。殿下こそお顔の色が悪くてよ」
「少し興奮しているだけだ」
「そ、じゃあこのソファお使いになって」
ギゼラが素早くエーミールの手首を握りソファに押しやると、エーミールは苦しげな表情を浮かべた。
「くそ、何かを盛ったな?」
「さあどうでしょう」
「答えろ!」
「あっ」
エーミールはギゼラの背中のリボンの端を勢いよく引っ張った。
しゅるしゅると衣擦れの音がして、ドレスに隠された秘密が露わになろうとした。
「お戯れが過ぎますわよ、王子様」
前を押さえながら呟くギゼラに、エーミールは憎悪と嫉妬の眼差しを送った。
「紫のドレスで、中は黒の下着⋯⋯余程あの男、ギュルカンの色に染まっているのだな」
「そんな訳ないでしょう」
「⋯⋯口を割らせる為なら、多少痛い目に遭わせても仕方がない。そうだろう?」
エーミールはギゼラの手首を握り返し、馬乗りになった。そのまま力強く服を引っ張る。
彼の目は瞳孔が昏く開いており、変に熱が籠もっていた。
「ふふ、ふ⋯⋯いい。清楚な美少女のふりをしてとんだ悪女だ。何もかも暴いて屈服させてやりたくなる」
「やだ、変な性癖」
「何とでも言え!さあ裏に誰がいる? あの能無し所長だけではあるまい」
「刃物は反則じゃなくて?」
「安心しろ、剥ぐのは服だけだ。今のところは、な」
エーミールは胸元から取り出した小型ナイフをギゼラの首に宛がった。
ピタピタとナイフで叩く音を鳴らし、首に巻いたチョーカーに刃先を当てた。
ぷつ、と糸が切れる。
繊細なレースが施されたそれが床に落ち、ギゼラの首元が急に涼しくなった。
「さあ次はどこを脱がせるか。ここか? それとも⋯⋯ここ?」
エーミールの刃がギゼラの臍にたどり着いた時、ギゼラは身体を捻ってエーミールの下を素早く這い出た。
「脱ぐ手間省いてくれてどー、もっ‼」
「ふぐゥッ‼」
ギゼラは男性一番の急所を躊躇なくつま先で蹴り上げた。
悶絶するエーミールに、紫色のドレスを取り払ったギゼラは無感情に言った。
「生憎、これ下着じゃないんです」
「お、お前っ⋯⋯」
「お大事に、ロリコン王子様」
+++++
休憩室の扉を物理的に破り、ギゼラは耳飾りに手を添えながら廊下をひた走る。
ドレスの下に隠した侍女用のお仕着せ服をなびかせながら。
「おいこら聞こえてますかクソギュルカン‼早くも計画破綻仕掛けてますけども!」
"はいはーい。聞こえてるよ!大丈夫だよ、そのままクリストフの指示に従ってー"
「馬鹿言わないでよ!ロリコン王子は気絶させて縛って来たけど、バレるのは時間の問題でしょ!」
"ギゼラ殿。我々も作戦変更して場所を移している。どうにか天井の隙間から潜り込んで寝所の近くまで向かってくれ"
「あーハイハイ分かりましたよ!行きますけども!」
ギゼラはぐるりと辺りを見回した。
天井まではギゼラ五人分の高さ。
足がかりに出来るものはなく、ずらりと兵士の鎧が飾られているだけだった。
「ならこっちに!」
ギゼラは鎧が持っていた槍を折り、窓を開けた。
夜風がギゼラの耳元を揺らす。
もうすぐ雨の降りそうな、湿った風だった。
"どうした?"
「目的地はどこですか!」
"窓から位置を確認してるのか? 北側の、国旗が立っている塔だが⋯⋯"
「見えました!了解!」
ギゼラは折った槍先を壁に突き立て登った。
「流石王宮!飾り鎧すら良い素材使ってますね」
"いやそれ実践にも使えるし⋯⋯ギゼラ殿、何をやっているんだ? 天井を壊してるのか?"
「はい屋根到着!あとは塔まで一直線!」
"嘘だろ⁉"
ギゼラは屋根伝いに走って北へ向かう。
このまま走れば北の塔だ。
"しかしギゼラ殿、北の塔へは上からは⋯⋯"
「っ‼」
全速力で走っていたギゼラは、既のところで足を止めた。
ギゼラが蹴った屋根瓦の欠片が、カランと音を立てて下に落ちる。
「なるほど⋯⋯セキュリティはばっちりだ」
北の塔は、そこにたどり着く為の通路が一つしかなかった。
すなわち一階の厳重に警備されている入口である。
王直属の騎士団が、猫一匹でも逃がすまいと辺りをうろついている。
"というか事前に見取り図で確認しなかったのか?"
「あの一瞬で覚えられるか!」
"⋯⋯きみ、エーミールといた時より口調が荒っぽいぞ"
「あれはそれっぽいお芝居ですよ、いいじゃん悪女っぽくて。それよりもそこの第一王子様。あの旗、強度はどれくらいありますか?」
"旗? の強度?"
「あーもう、旗立ててる棒は強い力で引っ張ったら倒れますか? 倒れませんか⁉」
"それはまあ、嵐でも折れなかった位だが⋯⋯"
「ならいいや!ギゼラ、いっきまぁぁぁっす!」
"何だ⁉ 何をしている!"
ギゼラは胸元の膨らみから銀の細縄を出した。
何も知らない者であれば、それは細い柔らかな絹の縄に見えるだろう。
しかし実際は違う。
研究所のクズ鉱石の欠片を焼却炉で融かし、糸状にしたものを撚り合わせた縄だ。
脱獄⋯⋯ではなく研究所を脱出するために使えるのではないかと思って作っていたのだ。
助走をつけて走ったギゼラは、先端に重りの分銅を結びつけた金属縄を旗目掛けて投げた。
その距離はギゼラの身長六人分。
助走をつけた跳躍だけでは足りないが、その足りなさを縄が補ってくれる。
「っしゃ!絡まった!」
分銅をつけた縄は狙い通り棒に絡みついた。
縄を引っ張り倒れない事を確認すると、ギゼラはそのまま屋根を飛び降り、縄を頼りに振り子の如く塔の壁に足をつけたのだった。
「一番上の部屋までたどり着きましたよ」
"そんな⋯⋯信じられない"
「どこ探せばいいんです?」
"部屋の奥に本棚がある。それを左にずらせ。隠し金庫が出てくる"
「うっしゃ、ミッションコンプリート間近!これで人族の国とはおさらばだ!」
"人族? それはどういう"
「あ、やば」
ギゼラは咄嗟に口を覆った。
バートの「これだからお前はポンコツなんだ」という声が聞こえてくる。
くそう、気が緩んだんだ。いいじゃん。
何だよバートなんて15で揚げ菓子拾い食いして腹壊したくせに。
「と、ところで金庫ありましたよ!番号は?」
"ああ、それは────"
「探しているのはこちらか? そこの侍女」
「‼」
ギゼラの背後から、しわがれた男の愉悦に混じった声が響いた。
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