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ギゼラの後ろに立っていたのは、豊かな白髪を琥珀色の髪飾りでゆるく結んだ男性だった。
たっぷり綿の入った上質な絹マントを引きずりながらこちらに近付いてくる。
手には白い羊皮紙の束を持っていた。
「それ、製造方法書いた奴?」
「ああ。貴様が騒ぎを起こしてエーミールを閉じ込めた時点で場所を移動させることにしたよ。ははは、大立ち回りを演じたものの全く徒労であったことよの。⋯⋯しかしその容姿で、よくエーミールを誑かしたものだ」
男は奇妙なものを見る目でギゼラを見た。
「殿下には絶世の美女に見えてたんじゃないですかねー」
「はっはっは、あやつも困った奴よ。まあ良い、誰に雇われたか吐くつもりはあるか」
「さーあねー」
「ふむ。中々の忠義者と見える。────⋯⋯殺れ」
男は低い声で後ろの兵士に命じた。
兵士は音もなく忍び寄りギゼラの腹に槍を突き刺す。
「⋯⋯ぐぅっ‼」
「貴様っ!」
ギゼラに突き刺したはずの槍先は折れ、思い切り込めた力が自身の腕に返ってきた兵士は我慢できずに武器を落とした。
「あーもう痛い痛い痛い!予告なしに殺しにかかるなんて卑怯じゃない!」
「黙れ!何だ貴様、腹に鋼を仕込んでいるのか」
「残念!生身の肉体ですー」
「⋯⋯なるほど、平民にも稀に生まれるという魔力持ちか。身体能力を強化しているな」
「そういう事にして下さい!大体の剣や弓は弾き返しますから!じゃ!」
ギゼラは槍先を折り窓に向かおうとする。
が、飛び降りようと窓枠に手をかけた所で、別の兵士が飛ばした鎖分銅が首に絡まった。
「ぐえ!」
「まあそう急くな。それにな、何も魔力持ちは貴様だけの特権ではないぞ」
白髪の男────ゴルタニア王国現国王、ベルドリヒ・ジュリアス・ゴルタニアは鎖を力任せに手繰った。
「⋯⋯っ、馬鹿力っ⋯⋯」
首の骨が嫌な感触で動いた。
ギゼラは首に巻かれた鎖を千切ろうとしたが、それはただの鉄のはずなのにびくともしなかった。
なるほど、これが魔素を身体に留め置ける体質、俗に言う魔力持ちか。
道理で先程のライツェンタール石の効果が薄かった訳だ。
ライツェンタールの魅了効果は、魔力持ちの持つ魔素と溶けあい中和する。
琥珀色の髪飾りを揺らす男をギゼラは睨めつけた。
「物質強化だ。触れられる範囲だけだがな」
「へえ。触ったとこだけなんて、ちんけな魔力量」
「黙れ‼ 魔石があればそんなもの、どうとでもなるわ!」
「大体人族に魔力がほぼ無いって事はさー、人族の身には過ぎた能力なんだと思わない? 持っているもので満足しなよ。人造魔石なんて作らないで」
「何を言う。人造魔石こそ、知恵や技術という人の能力の賜物ではないか」
「その知恵や技術で!魔法使う以外の道探せっつってんの!」
「ええい黙れ黙れ黙れ!身体強化はそれで仕舞いか? 貴様が罵った我が能力の前で、膝をついておるぞ!」
身体強化の魔法など一切使っていないギゼラは、呼吸もままならず意識が遠ざかっていった。
あーもう、息が苦しい。目がチカチカする。
大体こんな危険なアルバイト、断って逃げれば良かった。
どこかで逃げ出すタイミングがあった筈なのに。
あの変なお貴族様の馬鹿みたいに陽気な笑い声。
きっとあれが私の精神を乱したんだ。
責任とって欲しいんだけど!
労災認定しろ!
「ハハハ、このまま窓で吊るし首にしてやろう。貴様の仲間に対する見せしめだ」
ゴルダニア王はギゼラの頭を掴んで、そのまま窓に放った。
あとコンマ数秒でギゼラは首の骨を折り、苦しまず祖父母の元へ行けるだろう。
ギゼラは明瞭ではなくなった視界の中で空を見上げ、あの男の口のような三日月を眺めた。
⋯⋯ん?
あれ、今日曇りじゃなかったっけ。
そうだよ雨降りそうだったのに。
何あの三日月、違う、あれ口じゃん。
口?
あんな浮ついた口角の上がり方、一人しか知らないんですけども!
「ごめんね、レディ。ちょっと遅くなった」
「げぇっほ!うぇっ、げっ、おぅえっ‼」
いきなり肺に空気が入り、盛大に咳き込んだギゼラは床に倒れ込んだ。
どうやらまだ死んだ訳ではなさそうだ。
ギゼラを庇うようにして立っているギュルカンは、王直属騎士団の制服を着ていた。
「ちょ、どっから、うぉえっ」
「ははははは!ちょっとそこの王様の側近に紛れてたんだ。いやあレディが良い動きをしてくれてたから、混乱に乗じる事が出来たよ!ありがとう!」
「おとっ、囮か!人を囮にしやがったな!うぼぇっ」
「結果的にそうなっちゃったけどねー。でも出来ればレディが盗み出してくれたらそれが一番良かったんだよ」
「よく言うよ、スッカスカな計画立ててたと思ったら!っげぇ」
「誰だ貴様!」
ゴルダニア王が剣を突きつけると、前髪で見事に顔を隠したギュルカンは笑った。
手には羊皮紙の束を持っている。
「やあ王様。僕は知恵の力で発展してきた人類の歴史を否定する気はないよ」
「ならば返すがいい。その紙束があれば、我が国、ひいては人類全体の発展が約束されているのだぞ」
「いや〜でもねえ。身に余る力に溺れて最悪な末路を辿るような気がしてならないんだよね」
「馬鹿を言うな。領土を拡大し国民を豊かにさせるだけだ」
「その領土の拡大に、どれだけ血が流れるかな? 僕らの国の血はもちろん、他族の命は」
「弱きものどもだったという事よ。言うなれば自然淘汰だ」
「そんな自然淘汰の先に、何があるっていうのさ。人族だけでどうやってこの世界が成り立つ?」
「御託はもういいだろう。殺れ‼」
ゴルダニア王の号令に動く兵士はいなかった。
正確に言えば、動ける兵士がいなかったのだ。
「い、いつの間にこれだけの兵士をっ」
「うふふふふ、あなたがレディに構ってる間に、ちょっとね」
ギュルカンは腕の魔石を見せびらかすように掲げた。
「魔石!一介の人間が斯様に多くの魔石を所持しているなどと⋯⋯そうか人造魔石だな? この魔石の作り方をどこで知った‼」
「ヤダなぁ、僕が考案したんじゃないか。もう一人の研究者とね」
「な⋯⋯まさか、貴様ギュルカンか⁉」
「あったりー☆あ、やっぱりドロテアの亡霊って名乗った方が良かったかなぁ。ホラ、復讐に来たぞーって」
「亡霊などと、馬鹿げた事を」
「ホントだよー。ドロテアも恨んでるよー」
「は!我が国の発展を望まぬものが何をぬかすか。これは国家に対する冒涜だ。あの女は殺されるべきだった!」
「‼」
王は胸から小型のナイフを取り出した。
それをギゼラの額に目掛けて投げつける。
ギュルカンは咄嗟にギゼラを庇った。
「げっほ、うぉぇっ⋯⋯いやあんな小さなナイフ、刺さりゃしないですけど」
「でも痛いだろ?」
ナイフはギュルカンの手首に刺さり、刺さった場所から血がつたい落ちてきた。
「いや自分の事心配しなさいよ。魔石のブレスレット落ちたよ今」
「おや? 本当だ、困ったナァ」
「ちんけな小娘一人庇いだてするからだ。貴様の魔石は壁に縫い止めてやったわ。あとでゆっくり使わせてもらおう。貴様らを葬った後にな」
ゴルダニア王があざ笑うと、ギュルカンは締まりのない口元を引き締め無表情に向き直った。
「魔石のない貴様に、魔力持ちの私では勝ち目などなかろう!大人しくその紙束を渡せ。そうすれば楽な処刑にしてや────⁉」
ゴルダニア王の台詞が終わる前に、ギュルカンの指先から突如として青色の炎が起こった。
薄い炭となった羊皮紙が、起こった熱気で部屋の中で舞う。
「な、な、何を⋯⋯どうやって‼魔石はもう持っていないのだろう? どこに、どこに魔石を隠していた。それとも貴様、もしや」
「さあね、ドロテアの亡霊がいたんだよ」
「あ、あ、私の⋯⋯私の魔石がっ⋯⋯!嘘だ!私のっ⋯⋯‼」
ゴルダニア王は奇声を発して大剣を振りかざした。
距離は近い。避けることも跳ね返すことも出来ない。
「ちょ、ギュルカン危なっ」
「レディ。ちょっと危ないから大人しくしててね!」
ギュルカンがギゼラに覆いかぶさる。
次の瞬間にはごぽりと痰が絡んだような音が聞こえ、生暖かな液体がギゼラに降り注いだ。
「ギュルカン、だいんむぐぅ!」
大丈夫か。
そう問おうとしたが声が出なかった。
急に重くなったギュルカンと床に挟まれて身動き一つ取れなくなったのだ。
「ごめんごめん、痛かった?」
声の主はギュルカンらしい。どうやら生きているようだ。
ならば、この大量の血液は⋯⋯
「遅くなって悪かった、ギュルカン」
「ぎりぎりだったね!」
「⋯⋯服を汚してしまったな」
「借りた服だし、いいんじゃない?」
ギュルカンが立ち上がると、どさりと重いものが転がる音がした。
それはベルドリヒ王の骸だった。
「レディにはちょっと猟奇的かなぁ。見ない方がいいんじゃない?」
「いやもう見ちゃった⋯⋯見たくなかったなあ断面図」
「すまない、ここまで手こずる予定では⋯⋯」
そう言って血に濡れた剣を振り払ったのは、ゴルダニア王国第一王子、クリストフ・ジュリアス・ゴルダニアだった。
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