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裏社会に血と暴力はつきものである。
バートの屋敷の地下でもそれは例外ではなく、今日も今日とて私刑が行われていた。
鉄と脂と糞尿の臭いが交じる石畳の部屋で、バートは痩せこけた狐のような男の尻に踵を落としねじ込んでいた。
「よお、腹空かねぇか」
「へ、へぁ、はら⋯⋯?」
「ここらでちぃと休憩しようや。特別製だぜ」
バートは部下に目線を送った。
狐のような男はうつ伏せだった体勢を起こされ、無理やり口をこじ開けさせられた。
「や、やめぇっ!らにを⋯⋯」
「俺ぁな、大の辛党なんだ。昼飯にゃいつもこいつの酢漬けを食ってる」
バートは懐から赤い色の瓶を取り出した。
「ひ、やめ、」
「外国から取り寄せてる香辛料だ。ピモンっつってな」
瓶の蓋を開けると、鼻に焼け付くような刺激がすぐに襲ってきた。
慣れていない者には死を見るほどの劇物だ。
「今回は特別に、刻みたてを振る舞ってやるよ。特製サラダだ、多めに食え」
「あが、や、おねがいしま、やめ、」
「バァァァァァァット!!!」
バートが男の顔に刻みピモンを塗りつけようとした時、勢いよく扉が開いた。
駆け込むように現れたのは切っても切れない腐れ縁の女、ギゼラだった。
「わたしのハンマー!見つけてくれた⁉」
「おいどうした、邪魔すんなよこっちゃ仕事だぞ」
「どうでもいいよ、私の今後がかかってるの!」
「そういやお前、あの坊っちゃんから逃げられたのか?」
「今がその瀬戸際っ⋯⋯くそ、あの指輪も途中で気付いたからいいものの、あと一日でこの国出なきゃ」
「何の話してんだ。お前の荷物ならこの男が持ってたから取り返しといたが」
「やったぁデキる男は違うね!流石ボス!尊敬しちゃう!」
「おや、こんな男がお好み?」
「まさか!私の理想は年上の⋯⋯」
「食わず嫌いは良くないよー!付き合ってみれば意外と良いってこともあるじゃない」
「ん?」
「え?」
ギゼラが顔を青ざめさせながら背後を見る。
蘇った死者を見るような眼差しで。
「やあレディ!」
「出たぁぁぁぁ‼ 幽霊!お化け!ギュルカン!」
「酷いなあ、君を追って身一つで出てきた男に対して」
「追うなっつったでしょぉぉぉぉぉ!」
バートはため息をついて手のひらの劇物を男の顔に擦り付けた。
「お前ら仕事の邪魔だ、上でやれ」
+++++
「もう、あの指輪はどうしたのさ」
「⋯⋯カラスの足に括って⋯⋯」
「だからかぁ。途中で森の方に行ったから、ここにたどり着くの遅くなっちゃったよ」
「どこで起きたんだ⋯⋯」
「えーと、一服盛られてから半日後、かな?」
「早すぎるね⁉ クリストフさんは三日って言ってたのに!」
「何だよ、人が死んでる間にあいつと随分親しくなったみたいじゃないか」
男の処罰を終えて私室に戻ってきたバートは、目の前の光景に目を覆った。
いつものように前髪を下ろし、にまにまと笑いを浮かべているギュルカンが長椅子に座り、その膝にギゼラがちょこんと座らされているのである。
腰にはギュルカンの手が回り、逃げられないようにぎっちりと固められている。
「とりあえず逃げないから離して⋯⋯離して下さい⋯⋯」
「嫌だよーそんな事言って逃げるでしょー」
「いやほんと逃げないから⋯⋯」
「もう、じゃあちょっとだk」
ギュルカンの手が緩んだ瞬間、ギゼラは床に滑り降りてカサカサと床を這いバートの足元にやってきた。
「バート何あれあいつ超怖い」
「基本的には良い奴だよ、基本的には」
「基本って何⋯⋯」
「ほら、やっぱり逃げたじゃないか!ひどいなあ」
「逃げてない!バートの方に来ただけ!」
「もー、年下は守備範囲外ってさっき言ってたのにー」
「何の話だって!くそ、誰かこいつにもう一回毒を盛ってくれないかな⋯⋯」
「くれぐれも俺の家にある奴は使うなよ。それで、お前ら二人とも。この一週間で何があったか聞かせてもらおうか」
バートは珈琲を準備する為にギゼラを軽く蹴り飛ばした。
+++++
二人から話を聞いたバートは、神に祈りたくなった。
いつの間にか国のトップがすげ替えられていたなんて極秘情報が、あまりにも唐突にもたらされたからだ。
「これで国の情勢が一気に変わるぜ。潮目だな。俺も商売変えるか」
「出来るの? バート」
「いざとなれば田舎に隠居するか。ついてくるか、ギゼラ」
「馬鹿言わないでよ。何でバートに」
「聞いてみただけだよ。それに厄介な連れも出来ちまったしなァ」
ギゼラは憎々しげにギュルカンを睨みつけた。
ギュルカンはそんな視線を受け流して珈琲を味わっている。
「初めての王都の外、楽しみだなぁー」
「いいのかよギゼラ。こいつ連れて行って」
「⋯⋯うん、諦めた。何も実家に帰る訳じゃないし。人族なんてすぐ死んでいくし。あと五十年ぐらいなら耐える。そう耐えればいいんだ」
ギゼラは死んだ目で遠くを見つめた。
「⋯⋯五十年後か。流石に俺はフォロー出来ねぇぜ」
「何のフォローなの⋯⋯」
「お前が馬鹿みてぇにべそかいた時、拭う奴がいた方がいいと思ってよ」
「馬鹿言わないで!何で泣くの」
「連れ合い無くしゃ誰だってそうなるだろう。人族だろうとドワーフ族だろうと」
バートは苦笑しながら葉巻の端をかじりとった。
マッチの火が灯り、辺りにきつい臭いが漂う。
「つ、つれ? つれあ、い?」
連れ合いって何だっけという顔で目がブレブレになるギゼラに、バートは首をひねる。
「⋯⋯お前、あの坊っちゃんが何で着いてきてぇか分かってねぇのか?」
「あはは!バート、いくら君でもそれ以上言ったら馬に蹴られちゃうからね!」
ギュルカンは人差し指をバートの葉巻に向け、一気に燃焼させた。お陰で唇が火傷し髭が焦げたので、バートは強かに拳で殴っておいた。
「⋯⋯?」
ギュルカンは頭が疑問符でいっぱいのギゼラに近付き頬に手を当てた。
ギゼラは呆気にとられた顔でギュルカンを見る。
黒い前髪の奥には、ライツェンタールのように深い紫色の瞳があった。
「遠くの島国の言葉ではね、"人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまえ"って言うんだけど。知ってる?」
了
後書き
お読みいただきありがとうございました‼
一旦ここでお話は終わりますが、
そもそも何故ギュルカンがギゼラに目をつけたのか?
その後のギゼラとギュルカンの旅の様子は?
バートは何者?
などといった内容を、そのうち書いていきたいと思います。
むしろこっちが本編のような気がします。
投稿出来る日が来ましたら、その時はまたよろしくお願いいたします!
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