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所長付きの小間使いとして魔石研究所で働き始めたギゼラは、数日の間よく働いた。
特に目立った事ではないが、書類の焼却処分の際に出る紙留めの処理や、実験に使われた使用済み鉱石のクズや欠片の分別など、細かく丁寧な仕事はかなり評価されていた。
「ぶへぇ〜、つっかれたぁ」
ギゼラは昼休憩に食堂からパンとチーズをもらい、外で一人ご飯と洒落こんだ。
これまでギュルカン付きの小間使いという事や職員に珍しい女という事が相まって、研究所内の他の職員に質問攻めにされていたのだ。
ギゼラはパンをかじりながら指で金属を捏ね、焼却炉の近くの林の影に身を隠した。
(皮が剥がれかけている白樺から北に数えて1、2、3歩。うむ、今日も異常なし)
ギゼラは目的の場所の感触を足で確かめると、立ち止まることなくその辺りをうろついた。
念の為、他の者に場所を悟られないようにだ。
土の中には、初日からこっそり集めていたクズ石や分別しにくい小さな金属が眠っている。
今はまだ材料が足りないが、もう少しまとまった量を稼げれば錬成窯を拝借して魔石が作れる。
人族は感知出来ないが、実は普通の岩石や鉱石に魔素は微量に含まれている。
そのままではもちろん利用出来ない。しかし小さな欠片を集めて錬成窯で処理をすれば、純度の低い魔石一つ分なら十分作れる。
火の魔石と呼ばれるロゼファルベッドはマンガンという金属を融点まで熱する事で抽出出来る。
マンガンの融点はかなり高く、高温用錬成窯がないと融かす事は出来ないが、幸いここは石の研究所だ。
最高品質の実験道具が多数あるので、魔石作りにはお誂向きだった。
(いくら硬い塀でも、2000℃以上出す魔石の火で熱すればどっかに穴が開けられるだろー)
魔石を使った痕跡など残したくなかったが、背に腹はかえられない。
ギゼラは近日中に魔石を作ると決めた。
これも逃走経路の確保という目論みの為である。
「探しものか、ギゼラ君」
「びぃっ!」
ギゼラが製錬の手順を確認しながら空を見上げていると、背後から冷たく重い声がした。
「お、おやウルブリヒト様!本日はお日柄もよく────」
「探しものなら手伝ってやろう。そうだな、先程拾ったこれは違うか」
そう言ってローブのポケットから取り出したのは、小さなマンガンだった。
「⋯⋯えーと、違う、かなーぁぁぁ?」
「そうか、私の勘違いか。ところでこの林にクズ石が不当に廃棄されていたのを見つけたのだが」
「へえー、それはそれは酷いことをする人がいたもんですねー捨てるの面倒だったんですかねー」
「ああ。見つけたものはすぐに回収したが問題はあるか?」
「ないデス。なにもないデス」
「昼の休憩はあと僅かだ。所長室の書類整理とゴミの焼却処分を忘れるな」
「⋯⋯へいへい」
なんだこの所長。
私に監視でもつけてるのか。
ギゼラはギュルカンの背中に向けて舌を出した。
「────これは単なる世間話だが」
「わっ!なんですか」
「この建物や塀に使われている金属の融点は2500℃だ」
「へぇ、そりゃ⋯⋯え?」
ギゼラがギュルカンを二度見すると、彼はポケットから手を出して小さく手を振った。
「⋯⋯あいつ、とんでもない手札持ってるじゃないか」
ギゼラは舌打ちした。
+++++
残りのパンとチーズを無理やり詰め込んだギゼラは、ぶすくれた顔で所長室に入った。
────おや。
所長室の机の前には見慣れない青年がいた。
柔らかなブロンドの、深い青を瞳に宿した青年だった。
青年は一瞬訝しげにギゼラを見たが、その後目を見開いてじっと観察し始めた。
これは⋯⋯お貴族様その二、だな。
ギゼラは警戒しながらその青年を見つめた。
「お待たせしました、殿下」
部屋のドアが開き、ギュルカンとダビドが入ってきた。
ギュルカンは先に部屋にいた青年の前を横切り、来客用のソファに腰掛けた。
そして青年の着席を促し、ダビドは茶の用意を始めた。
「全く待ったよウルブリヒトの。で、だ。先月通達した通り、思うような成果を上げられたか?」
ギゼラの耳が確かなら、青年は今「でんか」と呼ばれた。
でんかって殿下?
殿下って、もしかしてこの国の偉い人ランキングを上から数えた方が早い人の事?
ギゼラは顔を青褪めさせ、顔を下げて一歩退いた。
この態度は間違っていない筈だ。人族なら、平民が貴い顔を拝見することすら不敬なのだから。
「⋯⋯ビスマス鉱を化合した整腸剤の実用化については三日ほど前に書面をお送りしましたが」
「ハッ!薬草で事足りる素材を、何故わざわざ苦労して土から掘り出さねばならぬ。これ如きで何の功績だとほざくのだ。大体魔石はどうした」
「国からの魔石の支給は滞っております。これでどう研究をせよとの話なのでしょう」
「現物が無ければ採掘の研究をせよ。いいか、ロゼファルベッドとライツェンタール、それを最優先に確保する術を見つけろ」
「火の魔石と⋯⋯魅了の魔石、ですか」
「あまり勘ぐるな。内容によってはそこの女の口を塞がねばならぬ」
「あれは気にしないで下さい。ダビド以上に口の固い娘だ」
「ほう。余程信頼を置いているのだな」
「それなりの弱みを握っているだけです」
「あのような稚い娘に横暴を働くとは。貴様に鉄の血が流れている噂はどうやら真だったとみえる」
「赤い血液には鉄の元が混じっておりますよ、だれしもね」
「⋯⋯あと三週間以内だ。三週間以内に功績を上げよ。でなければ貴様は所長の座を降りてもらう」
「心得ております」
「殊勝な言葉だな。用件はそれだけだ。私はもう出る」
「かしこまりました。門までお見送り出来なくて残念です。何せ仰せつかった難題を解かねばなりませんから、時間がございませんので」
「気にするな、貴様の仏頂面などこれ以上見たくない」
「────クリストフ殿下、お待ちを!」
お茶の用意が終わったダビドが慌てて王子様の後を追いかけていった。
ギュルカンは何事もなかったかのようにダビドの用意した茶を飲み干した。
「⋯⋯私は少し仮眠をとる」
「へーへーお好きに」
ギゼラは仮眠室に入っていくギュルカンを見送り清掃作業に入ろうかと思ったが、ふとある事を確認したくなり引き返した。
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