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ギゼラが仮眠室に入ると、前髪をぼさぼさにしたギュルカンがベッドに転がっていた。
「やあレディ。君も休憩?」
ギュルカンはあと三週間と念を押された所長解任の期限をどこ吹く風とばかりに笑みを浮かべていた。
しかしどこまでが彼の演技なのか、何の思惑があるのかギゼラにはさっぱり分からない。
バートはこの男を「単なる石馬鹿」と評したが、ギゼラには胡散臭いことこの上なかった。
ギゼラはギュルカンを無視して魔石の並ぶ壁を見た。
大小の輝きをじっと観察し、明らかに純度の低い小さな粒を一つ二つとつまみ上げた。
やはり。ギゼラは確信を持ってギュルカンに尋ねた。
「ねーギュルカンさん」
「んー?」
「⋯⋯いつから知ってたの」
「何がー?」
「普通の鉱石から魔素を抽出する方法」
背後でギュルカンがもぞりと動く気配がした。
焼却炉の横の林で、ギュルカンは「塀は融点が2500℃」とギゼラに告げた。
マンガンを集めていたギゼラの前でだ。
それは「この施設から魔石を使い逃げ出すことは不可能だ」という釘刺しであると同時に、ギュルカンの秘密の一つを明らかにしたという事でもある。
ロゼファルベッドの起こす炎が2000℃が限界であることを知る研究者はいても、それがマンガンから作れると知る研究者は、現段階の人族にはいない。
いない筈だったのだ。
「⋯⋯考案したのは半年前だよ」
「やるじゃん人族。バートが石馬鹿って言うだけあるね」
「でも、これの功績は僕だけのものじゃない。もう一人関わった者がいた」
「へえ。その人は?」
「殺されたよ」
驚いたギゼラがギュルカンの方を振り向くと、前髪で素顔を隠した男は読めない表情で笑っていた。
遠くから木々の擦れるざわめきが聞こえる。
「⋯⋯」
「僕と同じ研究テーマで競っていた。名をドロテアと言ってね。面白い人だったなあ」
「⋯⋯そう」
ギュルカンは窓の外の塀を見た。
あるいは塀の上に僅かに見える空を見上げたのかもしれない。
「王宮に研究結果を報告しなかったのは何故? 今頃名誉と実績でウハウハでしょうに」
「⋯⋯レディ、一つ聞きたい」
「?」
「普通の鉱石から抽出した魔素を再結晶化した、いわば人造魔石。例えばロゼファルベッドは何に使えると思う?」
問われたギゼラは考えを巡らせた。
「小さなものだしねぇ。普通に考えて、生活魔法かな。お湯を沸かしたり」
「ふふふ、いいねいいね。実に平和だ」
「⋯⋯ま、ここ数十年は平和な世界に生きてるからね」
「そう!平和な時ならいいんだ。でも、道具って使い方間違えると怖いじゃない」
「⋯⋯まあね」
「2000℃だ。2000℃の炎を出せる魔石を、知恵と野心と権力のある男が大量に手に入れたらどうなるかな」
「⋯⋯」
なるほどね。
ギュルカンの言い分は分かった。
人造魔石の製造方法を王宮に報告すれば、軍事目的で量産されるのが目に見えていたと。
その先にあるのは侵略戦争。
他の国にはないこの特異な力は、またたく間にゴルダニア王国に勝利をもたらすだろう。
それは300年前のドワーフ族大虐殺以上の惨劇を嫌でも想起させた。
「北のカルツァイトス。西のモーリブデン。この二国は特に標的になる」
「⋯⋯」
「ここ数年、気候の変化が著しくてウルブリヒト家の領地でも農作物の収穫高が思わしくない。きっと他の領地でもそうだろう。失業率も高く、治安も少しずつ悪くなってきた。貧困に喘ぐ民にとって、豊かな土と穏やかな風のあるカルツァイトスとモーリブデンは楽園のように見えてくるだろうね。あと一年もすれば国全体の世論は戦争へと傾いていく」
ギュルカンは本を音読するようにすらすらとこの国の未来を語った。
「あんたはこの国が豊かになるのを反対したいの?」
「いいや。折角開発したこの技術が人殺しの道具になるのが嫌なだけだ」
「だったらっ⋯⋯────」
ドロテアさんを殺したのは、もしかして。
ギゼラはその言葉をすんでの所で飲み込んだ。
「ふふふふふ、僕は君の思うような悪い事はしてないよ!だってドロテアを殺したのは王族だろうからね!」
「はぁ⁉」
「いやあ、魔石作るの楽しすぎてあの時色々作ったんだけどさ、どうやら物事を、実に写実的な絵の連続で記録し続ける魔石作っちゃって」
「え? ちょ、何それすご」
「本当? レディにそう言われると照れちゃうなあー。でも我ながらすごいもの作ったと思うよ!試しにあの夜一晩動かしてたらさあ、バッチリ記録されてたんだ!⋯⋯ドロテアが殺される瞬間を」
「⁉ それは確かなの?」
「ああ。あの日ドロテアは人造魔石の製造方法やそれに関する研究報告の一切を持っていた。自分の部屋の金庫に厳重に保管する為にね。実は秘密裏にこの研究成果は王家に伝えられていたんだ。あの時、既に事態は研究成果の公表をいつにするか決める段階まで来ていた」
「じゃあ、何でドロテアさんは殺されなきゃならなかったのさ」
「⋯⋯ここが貴族の難しい所でねー。ウルブリヒト家やそれに近しい侯爵なんかは、穏健派と呼ばれる第一王子派だ。もちろんこの技術の軍事転用は慎重にしていきたいと再三口にしていた。でも、それが良くないと思う人もいたんだなー」
「⋯⋯えーと、第二王子派、とか?」
「正解!ま、筆頭は現国王陛下なんだけど」
「ちょっと待てぇぇぇ!王様戦争したいの⁉ ほぼ確じゃん!戦争ほぼ確じゃん‼」
「そーそー。でも魔石研究所の所長はねー。あ、僕のことだよ。穏健派でしょ? NO軍事転用派でしょ? ついでにドロテアも同意見だったからさあ」
「⋯⋯なるほど。邪魔者が消された、と」
「あと製造方法記した書類も奪われたんだよね!むしろ襲撃したのはそっちがメインの目的だったんじゃないかな」
「はっあああああ⁉ 今戦争始まるじゃん!やばいじゃん‼」
「それがねー。秘密裏に書類だけ持っててもダメなんだ。量産するには作る道具が欲しい訳だから。高温用錬成窯なんて大きなもの、すぐ用意出来ないよね。王立魔石研究所ぐらいだよ、魔石を作る道具のある場所。でも僕が所長だったら軍事転用出来ないよね。僕はもちろん、僕のお父様たるウルブリヒト公爵がNOって言うから」
「⋯⋯そうか!だからギュルカンさんが三週間後にクビになるって話になるのか!」
「そーそー、王立魔石研究所の頭をすげ替えて、国王&第二王子派の人選で据えた人に人造魔石の成果を発表させようっていう話。そしたらオールOK。いつでもGO」
いつの間にか国を二つも三つも巻き込む騒動のど真ん中に立っていたギゼラは目眩を覚えた。
「製造方法を記した書類は今どこに?」
「第二王子の寝室の箪笥にでも仕舞われてるんじゃない」
「そんな!」
このままでは本当に戦争が始まってしまう。
ギゼラは額の汗を拭った。
「だからさー。君に行ってほしいんだよね。第二王子の寝室」
「⋯⋯は」
「書類、取ってきて☆」
「────はーぁぁぁぁぁ!!?」
「僕、あと三週間は王家に見張られてるから、下手な動き出来ないんだよねー。だから代わりに、お願い!この通り!」
ギュルカンはそう言って手をついて頭を下げた。
「待って待って待って何がどうしてそうなった」
「第二王子ってガチのロリコンなんだ」
「その性癖今知りたくなかった‼」
「君の容姿なら絶対イケると思うんだよね」
「胸だな? この平面を見て判断したな?」
「古今東西、為政者にハニートラップはつきものだよ」
「無理無理無理無理‼」
「何で何で? レディって成人女性でしょ? 90近くも生きててそういう経験ない?」
「ないないないない無理だよむーりー!」
「むうー。コレ使っても?」
ギュルカンは手元に紫色のブローチを出した。
それはギゼラの家石、ライツェンタール石のブローチだ。
「⋯⋯ぐっ」
魅了の魔石、ライツェンタール。
高純度のそれは、使い方によってはどんな醜女も国を傾ける美女になる。
製作者であるギゼラがその効果を一番信頼していた。
「⋯⋯たかが色仕掛けで、王宮の最深部にどう侵入しろと」
「クリストフが協力するよ」
「え、クリストフて⋯⋯あっさっきの第一王子か‼」
「うん。僕らグルなんだ」
「うへぇぇぇ⋯⋯」
何だよ犬猿の仲に見えたのに。
これだからお貴族様連中は底が見えない。
ギゼラは見えないものが大嫌いだ。
「もう、ちょっと待ってよ」
ギゼラは強い目眩を覚えた後、窓の塀を眺めた。
光も届かず風も吹かない。何とも見通しの悪い景色だ。
くそ、こんな所に閉じ込めやがって。
「わーかりましたよ、やってみますけど!」
「やったぁ!うふふ、話の分かるレディだと思ってたんだ」
「調子のいい事で」
「そんなことないよ。初めて会ったときには、女神が遣わした奇跡だと思ったよ!」
「遠くの島国じゃ、こういうのは鴨が葱背負ってきたって言うんだけど。知ってる?」
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