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「君の名はアンネリーゼ・エンバレクだ。アンネリーゼは田舎から出てきたばかりの没落寸前の男爵令嬢って設定だ。デビュタントとして王城のダンスパーティーに出向いたら、第二王子エーミール殿下と出会って恋に落ちてくれ。あ、パーティーには僕がエスコートして行くよ」
「嫌だなぁー、今から気が重い」
バサバサ、しゅるしゅると布の擦れる音がする。
ここは魔石研究所の所長室の隣にある仮眠室⋯⋯ではなかった。
大人の男二人と小柄な女性一人がみっちりと詰め込まれた馬車の中である。
カーテンの内側では男二人が女性の服を脱がせたり着せたりと忙しい。しかしそこに漂う空気は色あるものとは程遠かった。
「ダンスが始まったらクリストフも一緒になって君を褒めちぎりにかかる予定だよ!さぞかし皆の注目の的になるだろうねえ。すると、エーミール殿下は確実に君を口説いてくる。兄であるクリストフには敵愾心を持っているし、君は彼前ではストライクゾーンど真ん中の好みかつ世間知らずな女の子になってるからね」
「最低だな発案者!誰だ考えたの⋯⋯んぶっ」
馬車の中の男その一ギュルカンは、ギゼラの背中のリボンをぎゅっと絞り編み上げのバランスを整えた。
男そのニ、ダビドは真面目な顔をしてギゼラの唇に紅を伸ばす。研究所の実験用鉱石の一つを粉状に挽いて蜜蝋や植物性顔料と混ぜた即席の口紅だった。
貴族の女というのは、四六時中こんな服を着せられているのか。ある意味尊敬する。
この腰の絞り方が流行っているらしいが、今のトレンドは無呼吸という事なのだろうか。
ギゼラは突如として現れたくびれと胸元の膨らみをわさわさと触った。
うん、ゴワゴワとして気持ち悪い。
人族女性の平均よりも隙間が多いスペースに、かなりの詰め物をしたのだ。
武装かよ。武装だな。
「ギゼラ様、お美しゅうなられましたよ」
「そりゃどうもっ」
「話を続けるよ!きっとエーミール殿下は君をどうにかして会場の脇にある休憩室に連れて行こうとする。だから僕とクリストフが目を離した隙に、殿下に連れられて休憩室まで行ってくれ。部屋に入った後に僕らがエーミール殿下を呼び出すから、タイミングを見て部屋を抜け出して、国家機密用の文書保管庫に向かって欲しいんだ」
「ちょい待ち、経路を書いた王城の見取り図ある? なーんか計画ボッコボコな気がするんだけど」
「見取り図はコレだよ。目を通したら燃やしてね。そうだ、コレもどうぞ。きちんと着けていって」
馬車の中でパーティー用の変装を終えたギゼラに、ギュルカンが小さな箱を見せた。
中を確認すると、それは小ぶりな魔石がついた指輪と耳飾りだった。
どちらも紫色の石を加工したものだ。
「⋯⋯こりゃまた」
「この指輪、紫の魔瑪瑙だよ。君の位置情報がわかる仕組みになってるんだー。主にダンジョン探索に使うアイテムだよ!」
「知ってる超知ってる。これ開発したの二十年前の私」
「へえ!じゃあこっちの耳飾りは分かるかい?」
「⋯⋯風の魔石、クルアンダームねぇ⋯⋯。この耳飾りから音でも聞こえてくる訳? 目的地まで誰かが指示出す為に」
どちらも希少な魔石だったが、台座にはめられた小さな石は遠目に見れば普通の宝飾品としか見えない。
「察しが早くて助かるなぁ!そのとおり、行きも帰りも王宮を把握してるクリストフがナビゲートするよ。符丁で指示を出すから今覚えてね!」
「無茶な要求ばっかりする!くそ、これに見合うバイト代は出るんでしょうね⁉」
「そうだねぇ、少なくとも三つの国の国民の命が救われるかな」
「国民の命を堂々とバイト代に換算しないの!」
「だってー。レディはなにか欲しいものある?」
「⋯⋯平穏な生活」
「じゃあ10年分の報酬はばっちりだね!期待してるよー」
「⋯⋯成功する未来が見えない」
ギゼラが宝飾品を指と耳に飾るとようやく男二人に解放されたので、ため息をついて腰を下ろした。
そんなギゼラの横で、ギュルカンは整髪料を手に取り自身の前髪を上げた。
相変わらず髪を上げると強面だ。
髪を整えるギュルカンをじっと見ていたギゼラは、今更ながら彼の瞳の色が深い紫色だと認識した。
自身の胸元にあるブローチと同じ色なのだと。
ギゼラは深く、深くため息をついた。
「まあ、やるだけやるかー。これで戦争回避出来たら儲けもんってな」
「言い忘れたが、その下品な物言いが露呈しないように口数は減らしておけ」
「チッ!こっちのギュルカンマジ殴りたい」
「無駄だ。────そろそろ出るぞ。私の腕に君の手を重ねなさい」
二人はダビドの先導で馬車を下り、目撃したパーティー参加者達を驚愕させる事となった。
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