コーヒータイムシンドローム

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「タイムマシンってあると思います?」  それは何の前触れもない問いかけだった。水島 慎二(みずしま しんじ)35才、のいつもの生活に、未知の要素が飛び込んできた。ここでいういつもの生活とは、近所の喫茶店で一人コーヒーを飲むことだ。  毎日ではないが、出勤前の楽しみだ。塾の仕事は夜22時に終わるので、喫茶店に行きたければ出勤前に行かなければならない。慎二はいつからか、ウェイトレスの女性がいつもの人と変わった事に気がついていなかった。 ここでは本を読んだり、今日の授業の準備のノートを見直したり、ただ漫然とした時間を過ごしていた。慎二はそれが好きだった。  塾の仕事は夜も遅いし、授業の準備も時間外にしなくてはならない。決して割りのいい仕事ではない。だが、勉強を教える事に特化できるこの仕事は、以前教師をやっていた慎二にとってありがたかった。今の塾は保護者対応には、別の専門の職員がおり、慎二は授業に専念できる環境だ。    公務員の座を手放した事の後悔や不安がないかといえば、それは嘘になる。慎二なりに理想の教師像もあり、志もあった。だが、体が動かなくなってしまった現実の前には、理想や志なんてものは儚く消え失せてしまう。教師を続けていけない事が、ただ一つの事実であり現実だった。最良ではないが、こうするしかなかった、選べる選択肢がなかったという事だ。 でもどんな生活でも人は楽しみを見つけ出すもので、この喫茶店はその一つだった。 慎二はコーヒーを飲んで、カップをソーサーに置き、いつもの喫茶店の女性店員に落ち着いてこう答えた。 「ありますよ。僕はタイムマシンに乗った事あります。」
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