コーヒータイムシンドローム

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「大きい水槽だね~、ブルーの光が綺麗だね。」 「うん。」 「なんか反応薄いな~。水族館苦手?」 「地元の水族館だし、今さらそんなめずらしくもないからね。 それに、東京の水族館のほうが、もっと大きくて、めずらしいのがたくさんあるんじゃないの?」 「それはそれ、これはこれだよ。引っ越してから水族館きたかったんだけど、一人だと中々行けなかったから、今日は、うれしいよ。」 緑がそうやって笑いかけると、慎二は胸の奥から、熱い気持ちがこぼれそうになるのをこらえて、茶化すように、 「こんなフツーの水族館でいいんだ。物好きだな。」と答えた。 「何その上から目線?」緑が笑いながら返した。  水族館の水槽には光が射し、薄暗い空間に佇む二人を部分的に照らしている。 深海の生物が展示されるエリアに行くと、そこはお互いの表情が見えないくらいに暗く、慎二は自分の照れた表情が見えない暗さにほっとする思いだった。 すると暗闇で膝にいきなり衝撃が走り、慎二は大きくよろけた。 子供が走り出して、ぶつかってきたのだ。 子供の母親が、「こらっ、ちゃんと手をつなぎなさい!すいません。」と、二人の間に入り詫びると、「いえ、大丈夫ですよ。」慎二は会釈とともに返した。 緑が 「子供って暗闇になると、テンション上がるよね、なんかはしゃいでてかわいいね。」 というと 「ぶつかられた俺の心配はしてくれないわけ?」 「ああ、じゃあ転んだり迷子になったりするから、手をつなぎなさい!」 緑が手をつなぎなさいと言う瞬間より速く、慎二から手をつないだ。 慎二は緑が子供に笑いかけるのを見て、大事な事を聞いていない後ろめたさを感じた。  二人は水族館を見終え、夕方になると、いつもの居酒屋で夕食をとることにした。緑は水族館の非現実な空間から、日常に帰ってきたことに幾ばくかほっとした。とても楽しかったのに、早く帰りたくなる衝動と、ずっと遊んでいたい、楽しいことだけしていたいというわがままな感情のせめぎあいに疲れてしまう事がある。 お酒を飲んで、会話もつきて心地よい沈黙に浸っていると、 「緑さんは、これからどうするとか、どうしたいとかあるの?」 慎二からボールが投げられた。 「ああ、やっぱみんなそう思うんだね。それよく言われるよ。」 「気分を害したらごめん。」 緑は笑いながら、 「大丈夫、働き盛りの健康な大人がバイトってのも中々危なっかしいよね。」 「俺も契約社員だから人の事どうこういいたいわけじゃないんだ。ただ、」 「ただ?」 慎二が黙ってしまい、緑は自分が不機嫌になったと、慎二が誤解しているのではと思い、 「水島くん、私べつに怒ってないよ?付き合ってるんだし踏み込んだ質問大歓迎!」 「いや、怒ってないのはわかってるよ。大丈夫。聞きたいのは、緑さんはこの先絶対に子供がほしいとか、家庭を持ちたいとか、そういうのあるのかなって。俺らいい年なのに、ノリと流れで付き合いはじめたじゃん。今すごく楽しいけど、楽しいだけでいいのかなって。緑さんはどう思ってんのかなって。」 「水島君、まじめだね~。さすが先生やってただけあるね・」 「それどういう意味だよ。」 「いや、聞いて。最近私もこれからの事を考えてたら、最終自分はヒョウの柄のニットを着こなせるのだろうかって所にいきついたんだよね。」   慎二はいつも緑の予想外な言動に意表をつかれる。ヒョウ柄のニット?人生設計の話じゃなかったのか?でも緑は、酒で少し顔を赤くしているものの目は酔っていない、言動とは裏腹に真剣そのものだ。その目を見ながら、慎二が黙っていると緑が話し出した。 緑の話は、今のバイトと、アパレルの仕事で再就職した時の給料と経費のバランスについてだった。 「今はさ、まかないあって、服もジーパンなんだけど、例えば再就職するとするじゃん。この土地で再就職なら、企画とかじゃなくて店舗での販売になると思うんだよね。それでアパレルは自社製品購入しなきゃだから、それもお給料から引かれるわけよ。で、年齢的にブランドはマダム向けになる。マダム向けブランドの服って定価が高いから社割が効いても、多分万単位になってくるの。で、そういうとこの服って独特で、ヒョウ柄じゃなくて、リアルなヒョウの柄のニットなんだよ。はたして私は着こなせるのか?って疑問だよ。」 「ヒョウ柄ってそういう事?はははっ」 「笑いごとじゃないよ~。でもああいう服、ブランドって一定のお客様がついててくれるし、服に使われる糸や縫製の質もいいんだよ。」 「そんなの見てもわかんないよ。」 「まぁ男の人はそうだろうけど、高い質とお値段でブランドイメージを守るってのもあるんだよね。だから、再就職イコール手取りが増えるってわけでもないってのが、私の見通しなんだよね。」 緑は話し終わると、手に持っているグラスの中の酒を飲み干し、慎二のほうを見た。   慎二は、少し間を空けてずっと思っていた事を切り出した。 「俺はさ、この年で付き合ってるのに、結婚前提とか約束できない自分の状況がちょっと情けないっていうか。ずっと気になってて。緑さんと一緒にいて楽しいだけでいいのかなって。緑さんはどう思ってんだろうって。」 「ごめん、楽しくて浮かれてたから、あんまり先の事考えてなかったよ。でも水島くんがまじめに思っててくれてうれしいよ。ありがとう、その気持ちだけでうれしいよ。」 「俺も緑さんが就職の事そんなに具体的に色々考えてるのに驚いた。」 「養ってくれって、言われるって思って心配してた?今はバイトだけど、前の仕事の退職金を崩さないようにしてるし、何とかはなってるよ。」 「養えまではいかないけど、結婚願望あったらどうしようかって思ってた。俺も社会復帰したてだし。家庭を持てるほど安定してないから。」 「ほんと先生だね、進路指導みたい。主婦に憧れもあるけど、水島くんにどうこうしてとは思わなかったよ。」  緑が笑いかけると、慎二も微笑み返し、その後二人はお酒を追加注文し、その夜は二人ともしたたかに酔っ払い、緑が「ねぇホテル行こう。」と誘った。そして二人千鳥足でタクシーに乗り込み、ラブホテルに寄って過ごした。
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