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Chapter.1
のどかな日曜の昼下がり。
とある喫茶店の四人掛けテーブルで、男女のカップルが向かい合わせに座っている。二人とも神妙な面持ちで、少しの間の沈黙に対峙していた。
「一緒に、住む……?」
その発言にきょとんとする紗倉華鈴に気付いて、
「あ、一緒にって言っても二人きりじゃなくて、いや、二人でやねんけど、二人じゃないっていうか……」
塚森一緑は慌てたように付け足し、テーブルの上に置かれたコップに口を付け、水で唇を湿らせてから言葉を続ける。
「前にも話したと思うけど、男七人で同居してんねんよ、シェアハウスで。つっても、危ない奴はおらんよ? おっても俺が、守るし」
照れくさそうにうつむく一緑を、思案顔で華鈴が見つめていた――。
――そもそもの発端は、華鈴の姉がした“提案”にある。
都内の大学に通うため、華鈴より先に上京して一人暮らしをしていた華鈴の姉から遅れること三年。同じように上京した華鈴は、その姉の部屋に転がりこむ形で同居していた。
華鈴が上京する際、二人の両親が出した条件が“姉妹での同居”だった。
大学を卒業し就職した姉と仲睦まじく暮らしていたが、ある日姉は“かねてより交際している男性と一緒に住む”と華鈴に告げた。
それは、華鈴に一人暮らしをしろ、という宣告と同義語だった。
華鈴はまだ学生で、親の仕送りとバイトで得た資金で生活している。貯金もなくはないが、急に一人暮らしができるほどの蓄えはない。
住む家を探すのにも時間や手間がかかる上にいまは3月。折しも引っ越しシーズンで住居も業者も探すのに苦労する。なにより不安だ。
どちらかというと過保護な両親からは、一人暮らしをするくらいなら学校を辞めて実家に戻れと言われるに違いない。
あと一年もすれば就職して独り立ちできるし、あの苦しい受験勉強はなんのためだったのか、と猛反発する構えではあるが、家が決まらないことにはどうにも……というような内容の、愚痴めいた近況報告を聞いた一緑は、少し考えてから言った。
「一緒に、住む……?」
嬉しさと戸惑い、そして、両親にどう説明するのか。そもそも男性だけが住むシェアハウスに女性の自分が住んでも良いものなのか。
様々な感情と疑問が一瞬にして駆け巡り、華鈴を無言にさせた。
一緑はそれをどう捉えたのか、少しの緊張と照れの混じった表情で、「あ、一緒にって言っても二人きりじゃなくて……」と二の句を継いだのだった。
思案を終えた華鈴は相好を崩し、
「ありがとう。嬉しい」
照れ混じり言葉を返した。
「もし、女性禁制じゃなかったら、住みたいな……一緒に……」
華鈴の言葉に一緑も顔をほころばせた。そして二人ではにかんで。
「じゃあ、管理人に聞いてくるから、ちょと待ってて?」
一緑はそう言ってスマホを持ち、席を立った。
華鈴はうなずいて、その場に残る。
目の前に置かれたティーカップに口を付け、冷めてしまった紅茶を飲む。
すぐ横にある窓の外からは明るく、暖かな陽射しが入り込んで店内を照らしている。
心地良い暖かさと店内のざわめきに身を預けていると、ほどなくして一緑が戻ってきた。
焦った様子で椅子に座ると「ごめん、いまから時間ある?」早速といった感じで切り出した。
「うん、もちろん」
いまいる喫茶店には買い物がてら立ち寄っただけで、陽もまだ高く時間には余裕がある。
「予定変わって悪いんやけど、いまからうち来られへん?」
「えっ、おうち?」
「うん。なんや『審査したいから会わせろ』って」
「審査って?」
「うちの管理人がさ、『とにかくすぐ連れて帰って来い』って…。あかんかったら断ってくれてええんやけどさ」
「や、うん。大丈夫、だけど」
急な誘いに、華鈴は戸惑いながらも承諾した。
審査という言葉に、思わず自分の身なりを確認してしまう。デート用の服装だから人に会うのに問題はないと判断をしつつも、スカートのシワを伸ばしたりしてみる。
「じゃあ、もう行けそう?」
「うん。大丈夫」
横の椅子に置いていたバッグを持って、華鈴が席を立つ。
一緑も同じようにして伝票を取り、足早にレジへ向かうと手早く会計を済ませて、店の扉を開け華鈴を店外へ誘導した。
「ありがとう。ごちそうさまでした」
「うん」
一緑はにこりと笑い、華鈴の手を取った。
一緑の手は窓から射し込んでいた陽射しと同じくらい温かで、姉の急な提案のせいで少しささくれ立っていた心が、穏やかに癒されていた。
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