麗しの皇子は鉄壁の護衛をお望みです

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 早く帰ってきたシランを侍女のルナは殊更明るく迎えた。何かあったのだろうということはフォルカーに背負われていることからわかっているようだ。 「冷たい飲み物をお持ちしますね」  軽く湯を浴びて寝る用意を調えたシランに飲み物を用意するために出ていった。 「何か言うことがあるのだろう?」  シランは寝台からフォルカーを呼んだ。 「近寄ってはいけないと言ったことを覚えていますか?」  コクリとシランは頷いた。艶のある黒髪がサラサラと流れて俯いた顔を隠す。 「あの王兄は危険なのです。未だに王位を狙っている。少しでも機会があれば陛下に牙を剥くでしょう。あなたのことを知らなかった王兄は、あなたの背後に期待して求婚しようとしたのです」 「私の……ルーウェイの?」 「ルーウェイは、今は平和主義でとおっていますが、元々は武勇の国でした。狼のいる切り立った山が間にあるからマルク王国とルーウェイは一度も戦ったことはありませんが、背後から襲われれば危ないんです」  切り立った山を越えて進軍しても後ろを他の国に叩かれれば自国が危険になる。そちらと和平を結んでなだらかな中原を侵攻した方が利となることは明らかだった。 「ルーウェイはマルク王国にそんな気はない。というより、マルク王国との立地を考えれば下手に手に入れてしまうほうが危険なんだ。山を挟んで二つに武力をわけることになるから。しかも簡単に超えられる山でもない」  シランは、自国のことをあまり話さない。頭が悪いという触れ込みで来たせいもあって、首を傾げていていれば追求されずにすんだ。結局後宮に入ることもなく、王族へ嫁ぐわけでもないのでシランへの警戒はそれほどされていないのが現状だ。 フォルカーはシランを馬鹿だと思ったことはない。たまに呆れることはあるが、それは人間関係の稚拙さに対することだけだ。自分を護るためわかってやっている分にはいいが、自然と媚びるような仕草をしてしまい、ヘッセルのようにのぼせ上がってしまう人間もいる。それで自分が困ることになるのだから愚かだと思う。しかし、シランの立場からすればそれも仕方のないことなのかもしれない。 「シラン様、私は教育係でもあります。私が近づいてはいけないと言った人には理由があるのです」  フォルカーを見つめる視線には、反感が籠もっていた。 「私は犬ではない……。贈り物とは言われていても人だ――」 「そんな風に思ったことはありません。あなたを護るために必要なことなのです……」  シランの瞳が訝しげに細められる。フォルカーの真意を探ろうとする目だと気付く。 「王兄には近づくなとしか言わなかったではないか。いつも本当に駄目な時は細かく説明していたはずだ。何故、今回は言わなかった」  シランなりにフォルカーの説明を聞いて程度をわけていたのだと気付く。自分のトラウマが関わっていたと言えば良かったのかもしれない。だがフォルカーは言葉を惜しんだ。 「王兄があなたに目をつけると思っていなかったのです」  それは本当のことだ。ハインツは少ないなりに味方もいる。母親がマルク王国の出身だからだ。王宮にくることは年々減っていたが、情報だけは集めていると思っていた。シランの後ろ盾がないということは王宮内では周知されているから目をつけられるはずがなかかったのだ。ただ綺麗なだけの贈り物の皇子など王兄に報せる価値もないと思っていたのだろうか。 「私は後ろ盾も何もない、陛下が許してくれなければ貴族として面子を保つことも出来ない……。価値などない――。陛下や王妃様は飼い犬に噛まれたとお怒りだろうか?」  犬ではないと訴えたシランが、自分を犬に例えるほどショックを受けていることがフォルカーにも伝わった。  自分の立場の不安定さに怯えているのだ。まだ成人して間もないのだから無理もない。フォルカーは宥めるように首を横に振った。 「王太子様が庇ってくれたから大丈夫です。陛下はそれくらいでお怒りになるほど心の狭い方ではございません」  今頃シランを餌にハインツを揶揄ったことを王妃に怒られているだろうがそれは言わない。 「あの方には嫌がらせしかしてなかったのにな……」  シランが不思議そうに呟いた。 「兄上と呼ばれて、内心では喜んでいますよ」 「嘘だ――、そんなわけない。皆、嘘ばっかりだ。フォルカーも本当はもう護衛などしたくないのだろう? 近衛の生え抜きだったと聞いた。こんな価値のない我が儘ばかり言う皇子の世話などしたくないんだ。今回は渡りに船だったのではないか? だから言わなかったのではないか?」  カーゼル王太子は、もうシランを危険視していない。惑わされるのではないかと不安だったのは、性格を知らないからだ。一年でシランはヘッセルとの距離を正確に保ち王太子夫妻の信頼を得たのだ。リオン王が悪戯をしかけたのも、シランが彼の不興を買うとは思われていないからだ。 「まさか――」  自分が疑われるとは思ってもみなかったフォルカーは一瞬思考を途切れさせた。混乱から戻った時、シランは激昂した気持ちを無理矢理飲み込んでいた。 「すまない、親切にしてくれているのに、私は本当に情けないな……。聞かなかったことにしてくれると嬉しい」  シランに謝罪までされて、言い訳する機会を失ってしまった。 「おやすみ。いつも迷惑ばかりかけてすまないな……」  ねぎらいは、別れのようにも聞こえた。 「シラン様!」 「疲れた……。明日は遅くまで寝てても文句はあるまい。そなたもゆっくり休め、護衛殿」  シランは、寝具の間に潜り込み頭まで隠れてしまった。話したくないのだという無言の訴えに、フォルカーは諦めて部屋を出た。夜間はフォルカーの代わりの護衛が部屋の扉を護っている。隣りに小さな部屋を与えられているフォルカーは、一度部屋に戻った。  着替えるために鏡を見ると、十も老け込んだような随分と疲れた顔になっていた。 「こんな気持ちになるのは初めてだ……」  シランの諦観した顔を思い出すと無性に腹が立った。こんな風に追い詰めてしまった周りと、何より自分の言葉の足りなさに。大事なものを作ってこなかったフォルカーにはシランの心を護るためにどうすればいいのかわからなかった。言葉が足りないこともわかっているが、どう言えばいいのかも。仕事だと割り切れていた頃までは良かったのだ。シランも今ほどフォルカーに期待していなかった。  茶化すように言われてきた『護衛殿』という呼び方に反発を覚えたのも初めての事だ。 「酒でも飲むか……」  元々好きなわけではないので、護衛を受けてから酒を飲まなくなった。弱いわけではないので気分転換にいいかもしれないと兄からもらった蒸留酒を手に取る。 「つまみは……もらってこよう」  明日は午後からの仕事だ。午前中、シランは疲れて寝ているだろうからフォルカーも半休をとっている。  酒瓶とグラスを片手に城の食堂を覗き、知り合いの料理人からつまみになりそうなハムやチーズを一皿わけてもらって庭に出た。シランの住む高位貴族の賜っている部屋のあたりは東屋がいくつも点在していて庭を楽しむことが出来るようになっている。さすがに無位の自分が東屋で寛ぐわけにもいかないので、通路や部屋から見えにくい場所にあるベンチに座って酒を飲み始めた。  月は嫌味なほど煌々と美しく輝いていた。
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