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エピローグ
今の状況を例えるなら、まるで自分はシンデレラだと茉莉は思った。
継母たちにいじめられて。佐藤先生にいじめられて。
舞踏会に行きたくても、行けない。学校に行きたくても、行けない。
ドレスがないから。佐藤先生に会うのが怖いから。
じゃあ、ドレスは何だろう。
王子様に、ガラスの靴も。後は、午前零時に解ける魔法も。
茉莉はそんなことを考えながら、天井をぼんやりと眺める。
魔法にかかって3週間が経った。そろそろ一月も終わる。
「王子様は生徒たちかな……」
茉莉のことを慕ってくれている、求めてくれている、そんな生徒たちはこの状況だと王子様に例えられるのだろう。
じゃあ、ガラスの靴は茉莉がいない時間だろうか。
王子様はガラスの靴にピッタリ合うシンデレラを探している。
生徒たちは茉莉がいない時間を持ちながら、茉莉を探しているということになるだろうか。
なんて、そんなおとぎ話の世界と現実を合わせるのはどうかと思うが。
時計を見ると、時計は午後1時を指していた。茉莉はベッドの上でゴロゴロしながら、カレンダーを眺める。
———魔法はいつ解けるのだろう。
自分の意志次第でどうとでもなるが、心の灰が消えても、隠れている傷は消えない。
このまま永遠に魔法は解けないんじゃないか。
そんなことを想像しながら、カップラーメンを食べると、ため息を吐いた。
———今、生徒たちはお昼を食べて、わいわいはしゃいでるんだろうな。
———あ、次の授業は数学だ。1年5組の授業。
———どこまで進んでるんだろう。
———データ分析はもう終わったのかな。
———5組だとデータ分析は、志賀君と、橋本さんと、田中君が特に苦手なんだよね。
———心が折れてたりしないかな。
———皆、分かったかな。大丈夫かな。
カップラーメンの湯気が目に染みて、茉莉は目を瞬かせると、箸を置き、また天井を仰ぐ。
一月が終わる。
魔法は未だに解けない。
カップラーメンを食べ終えると、空の容器をゴミ箱に捨て、流し台に箸を置く。
———今、丁度授業が始まったな。
茉莉はそんなことを考えながら、スポンジを泡立てると、箸を洗い、泡を水で流す。
———もう3週間も会ってないのか。
———もう3週間も教えてないのか。
———もう3週間も学校に行ってないのか。
3週間って思っていたより、長かった。茉莉はそんなことを考えながら、ベッドに横たわる。日はどんどんと高くなる一方で、茉莉は窓の外の景色を眺めながら、雲が流れるのを目で追った。
それから日は段々と沈んでいき、辺りは夕焼け色に染まって、それから月が出て、夕闇から闇に染まる。
「今夜は満月か」
茉莉はそう呟きながら、適当に紅茶を入れて、満月を眺めた。
時計を見ると、時刻は午後11時過ぎとなっていた。茉莉は紅茶を飲みながら、月光に魅せられて、窓を開ける。刺さるような冷気が一気に部屋全体に広がり、身震いをするも、茉莉は紅茶を片手に満月をじっと眺めた。
「もう3週間も経つんだって」
誰かに語りかけるような口調で言うと、あれほどはっきりと見えていた月は、ぼやけ始める。紅茶が心に染み、さらに視界がぼやけた。
「教師って最高の仕事なんだよ。生徒たちのことを一番に考えながら授業を考えて、テストを作って、プリントを作ってさ。楽しいんだ。大変だよ。でも、楽しいんだ。幸せなんだよ、その時間が」
紅茶をまた一口飲み、冷気を肌で感じる。吐く息が白く染まり、闇夜に光り輝いた。
茉莉は涙を拭うと、ぼやけていた視界がクリアになり、満月もはっきりと見える。
「午前零時を迎えれば、魔法は解ける。その午前零時はいつ来るのかなってずっと思ってるんだよね」
また視界がぼやけ始め、茉莉は空になったカップを近くに置くと、また息を吐く。
「ドレスを着て、舞踏会に行って、王子様に会いに行かなきゃなのに……」
私は満月から目を反らし、顔を突っ伏す。その優しい月光が隠れた心の傷によく染みた。
『とても素敵な話ですね。久しぶりにそう言う話を聞いて、心がほっこりしました』
ふと、校長が言った最後の言葉が脳裏に蘇る。茉莉はぼんやりと脳内でリピートしながら、顔を上げて、窓を閉めた。一気に温度が下がった部屋の中で、一度くしゃみをすると、ヒーターを付けて、ヒーターの前にうずくまる。
ただのお世辞なのに、どうも心から剥がれなかった。呪文のように、脳内でずっと再生されている。
教師になったのは、友達に数学を教えるのが切っ掛けだった。
数学がすごく苦手なその子に、どうやったら伝わるかを考えて、それでやっとその子が問題を解けたときには、本当に嬉しくて。
『茉莉は教師に向いてるね』
その子にそう言われたのだ。
それで、それから教師を意識するようになって、大学は教養学部に進んで、教員研修もして、それで教員免許を取って、晴れて教師になったのだ。
教えることが好きなのだ。それで「ありがとう」と言われるなら、尚更。
時計を見ると、時刻は午前零時になろうとしている直後だった。茉莉は時計をじっと眺めながら、長針が12の文字を指すのを待つ。
その瞬間、脳内で鐘が大きく鳴った気がした。
ゆっくりと魔法が解けていくような気がして、茉莉は体が何だか軽くなったような気がした。
———一月のシンデレラはもうおしまいだ。
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