第1話 ダイナーから帰れない

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第1話 ダイナーから帰れない

 さびれた街のレストラン。それがわたしの仕事場だった。  このダイナーで、わたしのシフトは一七時まで。なのにもう一八時。夜番の男の子がまだ来ていない。早く娘のモリーを迎えに行きたいのに。 「ジャニス、帰っていいよ。後はするから」  もうひとりの夜番、チェンが言った。チェンは中国系移民で気のいい男の子。だけど身体が弱くて、今日も風邪(かぜ)をひいている。 「ぶわっくしょん!」  鉄板でベーコンを焼きながら、チェンのくしゃみは止まらない。マスクはしているけど、わたしが代わったほうが良さそう。 「お疲れ様、ジャニス」 「チェン、ちょっと一〇分ほど休んでらっしゃい」 「大丈夫だよ」  マスクをはずして笑顔を見せるが、両方から鼻水がたれている。それは大丈夫ではない。 「オバサンの言うことは聞くものよ」  チェンの背中を押して休憩に行かせる。  お店のスタッフは若い子が多く、三十歳を超えたわたしには、まず歯むかわない。それはいいけど、自分はお節介な性格もあるから、どうしても母親のような立ち位置になっちゃう。  ほどなくして、カリカリのベーコンと、スクランブルエッグができあがった。きれいな皿に載せ、カウンターの客にだす。店内にいるのは、この客が一人だけ。  このあたりは工場が多いので、日中は労働者が多い。反対に夜はめっきり少なくなる。  夕方のピークは過ぎたので、ここからはチェンひとりでもなんとかなるか。帰るまでのあいだ、テーブル席にたまった皿をさげることにしよう。  カウンターから出てテーブル席を片づけていたら、おどろいた。カウンターの客以外にいないと思っていたら、男がひとり、壁ぎわのテーブル席で寝ている。へんな男で、女性の革靴を抱きしめたまま寝ていた。  見た目も最悪で、ボサボサの髪に伸び放題のヒゲ、キャメル色のウールジャケットは洗い方を知らないの? というほど、ヨレヨレだ。  むかいの席には、大きなリュックが投げられていた。おそらく元は白い帆布(はんぷ)。それがもはや色はグレー。一〇〇ドル賭けてもいい。これは旅行者じゃない。  テーブルの上には、五、六本のビール瓶もちらかっていた。この店は前払い制だ。これだけ飲めるのだから、お金は持ってる? いや、これが最後のお金だったのかも。 「ほっとけ。酔っぱらいに話しかけて、得することは、なんもねえぞ」  カウンターの客がふりむいて、そう声をかけてきた。常連のおじいさん。夫婦喧嘩をするたびに、ここで夕食を食べている。昨日もいたから今回の喧嘩は長そうだ。 「ちゃんと焼けてる?」  わたしは聞いた。常連のおじいさんは、なんでもよく焼かないとうるさい人。 「おう。あんたの焼いたベーコンは、数少ない楽しみのひとつじゃ。わしは死んだら火葬して海にまけと言うとるでな、ここのベーコンも一緒に入れるかの」  それってカリカリ過ぎない? とは思ったが置いておく。  さて、どうしよう。へたに起こして怒鳴られたりしないかな。
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