1人が本棚に入れています
本棚に追加
▽××◎◇×※※
さて、あなたが、そんな小説への愛と憎悪が交錯する夜を過ごしているように。
私にも、そんな夜があるのです。
一人、残業でオフィスに居残る。
気の利いた差し入れをしてくれるような上司もおらず、手伝いましょうかと言ってくれる後輩OLもいない。
ただひたすら、いつ果てるとも知れない作業を、孤独に積み重ねる退屈な夜。
とはいえ、機械的な作業ではありません。
緊張も思考も強いられます。
退屈なのに、気が抜けない。それはもう、地獄のような矛盾の夜です。
小説とは関係のない仕事ですが、多少、似たところはあります。
そう言えば、最初の一文字も同じ。
と、気を持たせるほどのことでもありません。
小論文なのです。
私の勤務先は、大学受験生向けの通信添削で有名な会社。
担当は、日本史。
知識教育偏重への批判で比重が高まっている、小論文の添削なのです。
単純に正解と照らし合わせてチェックを入れるだけではすまない。
読むだけでも結構、骨。
そして、模範解答を参照し、マニュアルに沿って赤字を入れていく。
文中で触れるべき歴史上の出来事がすべて入っているか。その年号、地名、人名に誤りはないか。
しかし、もっと重要なのは、論旨の整合性が取れているかなのですが、こちらは一筋縄ではいきません。
一見、おかしくないようで、何となく違和感が残る答案が、毎回かなりの数送られてきます。
すると、最初からもう一度慎重に読み返し、その違和感の正体を探らねばなりません。
隠れている論理の綻びを発見するまでに、かなりの時間がかかります。
でも、まあ、それはよいのです。
一番悩ましいのは、そもそも文章としてきちんと書けていない答案、日本語が怪しい答案なのです。
一度、先輩の添削者に
「こういう場合、どうしてますか?」
と訊いたことがあるのですが、その人は
「まあ、基本的に無視だね。そこは社会科の領分じゃないでしょ」
とおっしゃいました。
確かにその通りです。これはむしろ、現代国語の守備範囲ですし、そこまで添削していたら、それこそ仕事がいつまでも終わりません。
せいぜい最後のコメント欄に、「文章力をつけましょう」とでも書き込めばいいことです。
それに、「文章としてどうか?」という判断には、多分に主観が入ります。好みもあるでしょう。
ですから、私も微妙なケースには目をつぶり、一切手を加えないことにしました。
ですが……
箸にも棒にもかからない、悪文もあるのです。
微妙どころか、誰が読んでも「これはひどい!」と悲鳴を上げたくなるような悪文。
高校生にもなって、この程度の文章しか書けないのかと暗澹たる気分になるほどの悪文です。
小なりと言えど、論文なのです。
SNS投稿レベルの文章で、大学に入れると本気で思っているのでしょうか?
何より、言葉というものを軽んじきった態度が、私には許せないのです。
私たちにとって日本語は、あらゆるコミュニケーションの基礎となる、大切なもの。
それをいい加減に取り扱い、汚いゴミのように書き散らした、拙劣な文章を読まされる苦痛。
超短編グランプリ審査員のあなたなら、きっとわかってくださいますよね?
最初のコメントを投稿しよう!