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 こうして私は、悪文地獄から解放されたのです。  もちろん、一人豪田直だけが悪文なのではありません。  しかし、他の連中は指導が功を奏し、徐々にまともな日本語が書けるようになっていきます。  私は平穏を取り戻し、鬱になる寸前で救われました。  豪田直殺害事件も、未解決のままです。  美少女がこの世から失われたのはやはり寂しい限りですが、乃木坂や欅坂へ行けばいくらでもごろごろしている時代です。  それよりも、言葉が守られたこと、私自身の心の平和が守られたことの方が重要だと思いました。  ところが!  ああ、ところが!  何と言うことでしょう。やがてまた、私のストレスは溜まり始めたのです。  豪田直に匹敵する悪文回答者が現れたのか?  いえ、今度は、仕事が原因ではないのです。  他ならぬ、この超短編グランプリが、私のストレスの原因なのです。  先に書いたように、私は常連応募者。  でも、これまでに何ひとつ受賞した経験はありません。  漱石賞はもちろん、龍之介賞、鴎外賞……いえ、それ以下の佳作にすら入ったことがないのです。  だからと言って、そのことが不満なのではありません。ストレスになっているのではありません。  受賞に至らないのは、私自身の小説がまだまだ未熟で至らないせい。それは、重々承知しているのです。  実際私は、不満どころか、自らを切磋琢磨するため、超短編グランプリの傾向を分析するため、受賞作品を読み込んで勉強しているくらいです。  しかし、それがよくなかった。  もちろん受賞作の殆どは、評価されるだけあって学ぶところの多い優れたものでした。  なのに、受賞作品にも、時に散見されるのです。  悪文が。  コピペのミス、変換ミスがある。  文法上の誤りがある。  雰囲気ばかりでよく伝わらない文章があり、逆に骨組みだけで味もそっけもないあらすじのような文章もあります。  小説は、ストーリーが面白く、キャラクターが魅力的であることが第一で、文章上の問題点はいくらでも修正が出来る。  そういう考え方から、これらの小説が評価されたのかも知れません。  しかし、ストーリーもキャラクターも、小説に固有のものではありません。  映画でも漫画でもゲームでも、表現できること。  では、小説が小説である独自性とは、何か?  それは、言葉によって、言葉のみによって、読者の心を揺さぶり、ひとつの世界を創造するという一点にあるのです。  なのに、小説を構成する唯一の素材である「言葉」が、このように粗雑に扱われている作品が評価されてしまってよいのでしょうか。  きちんと推敲さえしていれば、大半は投稿前に直せたにもかかわらず、それを怠っているような作品が。  これは小説への冒涜ではないか。  密かに恋していた少女から、藤沢周平の『蝉しぐれ』を借り、文学の魅惑に目覚めた私には、小説とは、ただ意味だけしかないコンピュータ言語とはまったく違う、妖しくも美しい「言葉の世界」に他ならず、したがって日本語の美しさこそが、ストーリーやキャラクターを超えて最も重視すべきポイントに思えるのです。  そう思う度、私のストレスはまた膨れ上がってきました。  早晩また、天誅を下さずにはいられなくなるほどに。
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