『チェンジリング』

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『チェンジリング』

 暴れ出せないくらいには動けない、緩い拘束を門倉に施す。 万が一の不測の事態で、実験台から落ちるのを防ぐためにだった。  そもそも、そんなにも激しい抵抗が出来るはずがない。 それは知っていた。  それほどまでに発情の衝動は凄まじいものだと、俺は常日頃から聞き及んでいた。 映像・文献等の資料や、実際に先輩の研究者の話からの、しょせんは空っぽの知識だった。  あぁ、そうだ、――そうだった。 俺はいわゆる既にお膳立てをされた、つまり状態のΩにしか対峙したことがなかった。  だから、「発情状態を、何故にヒートと称するのか?」ということを今、初めて分かったような気がする。 その確信のきっかけを持てた。  ヒートが『体温、熱、熱による火照(ほて)り、上気』を意味する言葉だとは知っていた。 しかし、これらはあくまでも知識上でのことに過ぎない。  その際に伴う感情の烈しさ、熱意、情熱、興奮、慌ただしさなどは全く知らなかった。 想定するどころか、想像すらしたことがなかった。 今、目の当たりにする門倉の状態と俺が抱く感想とが初めてだった。  俺を見上げて、門倉が言う。 「頼む。話をさせてくれ。お願いだ――」 黒いくろい目がまるで濡れているかのように、艶やかに俺には見えた。  
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