89人が本棚に入れています
本棚に追加
『チェンジリング』
暴れ出せないくらいには動けない、緩い拘束を門倉に施す。
万が一の不測の事態で、実験台から落ちるのを防ぐためにだった。
そもそも、そんなにも激しい抵抗が出来るはずがない。
それは知っていた。
それほどまでに発情の衝動は凄まじいものだと、俺は常日頃から聞き及んでいた。
映像・文献等の資料や、実際に体験した先輩の研究者の話からの、しょせんは空っぽの知識だった。
あぁ、そうだ、――そうだった。
俺はいわゆる既にお膳立てをされた、つまり準備完了状態のΩにしか対峙したことがなかった。
だから、「発情状態を、何故にヒートと称するのか?」ということを今、初めて分かったような気がする。
その確信のきっかけを持てた。
ヒートが『体温、熱、熱による火照り、上気』を意味する言葉だとは知っていた。
しかし、これらはあくまでも知識上でのことに過ぎない。
その際に伴う感情の烈しさ、熱意、情熱、興奮、慌ただしさなどは全く知らなかった。
想定するどころか、想像すらしたことがなかった。
今、目の当たりにする門倉の状態と俺が抱く感想とが初めてだった。
俺を見上げて、門倉が言う。
「頼む。話をさせてくれ。お願いだ――」
黒いくろい目がまるで濡れているかのように、艶やかに俺には見えた。
最初のコメントを投稿しよう!