エピローグ

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エピローグ

「昴っ!」  私は勢いよく扉を開けると、目を見開いて演奏を止めた昴が「どうしたの?」と私に尋ねる。昨日知り合ったばかりだが、何だか既に信頼感を抱いていた。 「」 「何が?」 「通ったの! が!」  昴は首を傾げて、それから何のことか分からないまま、取り合えず拍手をする。「おめでとう」と優しい笑みを浮かべながら言って、私は「ありがとう」と言った。 「何の企画が通ったの?」 「小説の企画」 「小説? 楓は小説書いてるの?」  私は力強く頷くと、昴が目をキラキラと輝かせ、「凄い!」と興奮したように言う。 「私、ずっと駄目で。プロットを書いても、全部不採用。本も出版したことなんて、もう随分前の話だし。出版した数も片手で数えきれる程しかない。読者からも酷い言われようで、落ちぶれた小説家だったの」  昴がきょとんとした様子で「小説家になれるだけでも凄いんだよ?」と言う。本当にそうだ。あの新人賞だって何万という人が書籍化を目指して応募したのだ。そして私はその何万のうちの1番に選ばれたのだから。小説家になりたくてもなれない人なんていっぱいいる。だからこんなことでくよくよしていちゃいけない。 「昴のお陰だよ。昨日、昴が弾いたピアノの音色を聴いていたら、浮かんできたんだ。これがなかったら、きっと私はまた駄目なままだった。ありがとう」 「そんな。俺は別に。ただピアノ弾いてただけだし」  昴は破顔すると、照れた様子で首筋を掻く。 「じゃあお祝いしないとね。小説、書き終わったら俺に読ませてよ」 「勿論。これは昴がいたから書けたんだもん」  私はにっこりと笑うと、昴が頷いた。それからまたあの曲を弾きだす。 「ねぇ、気になってたんだけど」 「ん?」  昴がピアノを楽しそうに弾きながらそう言うと、私は「この曲、何ていうの?」と尋ねる。 「Träumerei」 「トロイメライ?」 「そう。夢想にふけるって意味があるらしい」 「へぇ……」  私はピアノの演奏を聴きながら、心の中で何度も呪文のように「トロイメライ」と唱える。何だか魔法の呪文のようにも聞こえてきた。 「みたいでしょ?」  私はびくっとすると、昴がニコッと笑う。 「凄い、私も同じこと考えてた」 「いやー、共感者がいて嬉しいね」  それから最後に向かって一気にピアノを弾き進めていくと、最後の音を優しく弾き、音を反響させる。タイトル通り、夢見心地になる。  私は拍手をすると、昴がニコニコしながら「どうも」と言って、それから「おめでとう、楓」と言った。  そこでガラガラッと音を立てて、音楽室の扉が開く。そこには音楽教師の如月先生が拍手をしながら立っていた。英国の貴族で育ったような上品な雰囲気を醸し出しながら、こちらに近づいてくる。 「如月先生……。あっ、すみません。勝手に入っちゃって」  私はそう言うと、如月先生が「いや、いいよ。好きに使ってくれて」と言う。 「それにしても、今のトロイメライ、安堂が弾いたの?」 「え? いや、それは昴が……」  私は後ろを振り返ると、昴の姿はどこにも見当たらなかった。 「あれ……?」 「どうした?」  如月先生が不思議そうに私を見ると、私は「いえ……」と言う。一体何が起こっているのだろう。 「それにしても、トロイメライなんて懐かしいなぁ」  如月先生は椅子に座ると、ピアノの鍵盤を優しく撫でるように弾き始める。 その音色を聴いて、私は口をあんぐりさせた。  昴の時とに襲われた。  死神の青年がパッと浮かび上がって、陰からこれから亡くなる人たちを見つめている。それから死者をあの世に運び、最後には涙を流す。 「いやー、久しぶりに弾いたけど、良い曲だよね」  私はウキウキしている如月先生を見ると、如月先生がサラサラヘアーを靡かせながら、「ね?」と共感を求めてくる。私は何が起こっているのか分からないといった雰囲気のままこくりと頷くと、如月先生がパッと笑顔になった。 「如月先生、ピアノ弾けるんですね……」 「ん? 俺、ピアノ弾けないと思われてたの? 授業でけっこうピアノ弾いてるよね?」  如月先生がくすくす笑いながら、「大丈夫?」と言うと、私は混乱しながらも「……はい」と頷いた。 「俺さー、ここの卒業生なんだけどさ。コンクールが近いと、家だと集中できないからよくここで練習してたんだよね。すごく熱心に弾いてたから、何だか俺の記憶の断片っていうか、っていうかが、まだここに残ってる気がしてさ」  如月先生はピアノの蓋を閉じると、黒いボディを我が子を可愛がるように撫でる。 「俺が高2の時だったから、トロイメライもコンクールで弾いてさ」 「結果は、どうだったんですか……?」 「ん? がちまたで有名になった瞬間だね」  如月先生はニコッと笑うと、私は「昴……?」と呟く。 「あれ、知らなかった? 俺の下の名前。って言うの」  ――その時、昴と如月先生が重なって見えた。
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