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ボロボロの精神。そこに追い討ちをかけるような雨。
私は傘も差さずに、どしゃ降りの雨の中を重い足取りで歩いていた。周りの目なんて一切気にしない。気にされもしない。だって皆スマホに夢中で、周りを見てすらもいないからだ。それが今の私にとっては好都合だった。
でも一人だけ、私のことを見ていた人がいた。
「お前さん、行くところが無いんだろう? なら俺が助けてやる」
雨が降りしきる中、私は見ず知らずの老人にそう言われた。朧気に歩いていたら、いつの間にか着いていた見知らぬ屋敷の前で倒れ込んでいたらしい。老人は現代では珍しい、赤色の和傘を差しており、灰色の袴は古風な人をイメージさせた。白髪はどこか貫録を感じる。
老人はそっと和傘の外に手を出すと、大粒の雨に打たれた手を差し伸べた。手の皺でさえも貫禄に感じられ、思わず見入ってしまうと私はハッとなる。老人を見上げて、その瞳を見た。信念の強い、真っすぐな瞳を。
この人は、私を待っている。私の選択を。
危険だ。そう、私の直感は言った。直感に頼らなくても、私は老人の手を取ることが危険であることは重々承知だった。ピカピカの黒い乗用車。外車で、車種を調べなくても自ずと分かる高級車だった。後ろには黒いスーツを着たガラの悪い男たちが立っていて、こちらを睨むように見ている。
テレビで見るだけだったから、実際にヤクザを目の前にするのは怖かった。こんな人たちを父は相手していたのかと思うと、父の精神を尊敬する。でもその分、恨まれることも多かったんだろうなと思った。
だからあんな残虐な——そこで私はまた考え込んでしまっていることに気づく。我に返ると、もう一度老人のことをちゃんと見た。ガラの悪い男たちを引きつれる一人の老人。組長、と捉えてもいいのだろうか。私は、生きた年数分刻まれた皺をじっと眺めた。
老人は微笑みもしない。何も言わない。怒りもしない。じっと私の選択を待っていた。差し伸べられた手は強い雨に打たれたままである。
私はこの道が危ないことを知っている。言ってはダメだと私の心が叫んでいた。いつもの私なら、当然老人の手を取らないだろう。
でも今の私は、いつもの私と違う。
一人ぼっちになった私は、その光に縋るしかなかった——
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