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待ち焦がれた男を前にして、これは激怒してもいいのではないだろうか、いや、激怒するべきだろう。
と、星乃は思った。
「星乃先生! ありがとうございました。またよろしくお願いしますね」
「ふふ。また、ね」
カーテンをくぐって出ていく依頼者を笑顔で見送った星乃は大きくため息をついた。
「あー、もう、嫌になっちゃう」
さっきの依頼者が、今日は最後の依頼者だった。
今日は、厄日だろうか。
クレームを受けるし、予約がないのに鑑定を受けさせろとゴネる依頼者がいるし、かと思えば、ドタキャンをされる。
なに一つとして順調に進まない一日だった。
それもこれも、朝、家を出るときに親から出された話題が既に最悪だったのだ。
朝、出勤しようと星乃がバッグを手にした時だ。
母親がニコニコと話しかけてきた。
「ねぇ、星乃さん、ちょっといいかしら」
「……。急ぐんだけど……」
すでに嫌な予感はしていた。
「ちょっとでいいの。このお写真の方なのだけどね」
と言って母が見せてきたのは、立派な表装をされた写真だった。
いわゆるお見合い写真。
「だから、私はお見合いをする気はありません!」
「そんなこと言わずに。良い方よ、ほら」
と言って、母親が見合い写真を開く。
キリッとした表情で写っている男性は、星野よりも年上に見えた。
プロフィールには、一流大学、一流企業の名前が見える。
「私よりもいい人がいるでしょ。私、行くから」
「ねぇ、星乃さん。働くのはとってもいいことだと思うんだけど、そろそろ家庭に入ってもいいんじゃない?」
「今時、専業主婦なんて流行らないし、ガラでもありません」
「そうだけど、占い師なんて子供騙しみたいなことをいつまでも続けてもねぇ」
母親は「困ったわねぇ」と頬に手を当ててため息をつく。
「何度もいうけど、占いは子供騙しなんかじゃないわ。それに!」
「それに、運命の人を待つっていうんだろう? それこそいつまでも、子供みたいなことを言っているんじゃないよ。星乃」
「お父さんまで」
「うちには資産はあるから、星乃がやりたいことをやってくれて構わないと、私は思っているけどね。でも、そろそろ、自分の人生とか幸せとかを真剣に考える歳じゃないかな」
「ちゃんと考えてます! 遅刻するから! 行ってきます」
「あ、星乃ちゃん。これ持っていってね」
「もう! お見合いなんかしないから!」
母親が強引に星乃のバッグの中に見合い写真を入れる。
本当に遅刻しそうだったので、取り出す間もなく星乃は自宅を出たのだった。
「あー、家に帰りたくない」
帰れば、見合いのこと占い師の仕事のことを言われるに決まっている。
星乃は帰り支度をしようとブースの裏にしまってあったバッグを手に取った。
中から見合い写真が飛び出していた。
星乃は、開かずにゴミ箱に捨てた。
「見合いの話も、占い師の話もいつまでも私の前に現れないあなたが悪いのよ。義隆」
星乃には前世の記憶がある。
ある大名家の末姫として生まれた記憶だ。
その人生の中で、星乃は生まれ変わっても忘れられない恋をした。
貧しい下級家臣の次男を愛した記憶だ。
来世、生まれ変わったら、その時は、一緒になりましょう。
そう、約束したのだ。
星乃がその思いと記憶を持って生まれたのだから、これは決して嘘偽りの記憶などではない。
だから、絶対に、彼はもう一度、星乃の前に現れるはずだ。
彼を待つために、星乃は占い師をやっている。
「星乃さん、ちょっといいですか」
ブースの奥、事務所の方から尾崎が顔を出して星乃を呼ぶ。
「尾崎? なに? 嫌な予感がするんだけど」
「相変わらず感が鋭いですね。追加の鑑定依頼ですよ」
「ええぇ? もう、22時過ぎているんだけど? 誰よ」
「河野社長です。紹介したい人がいるから是非鑑定してあげて欲しい、だそうですよ」
「あの人! また勝手に紹介して! もう、こんな時間に非常識よ」
「まあまあ、占い師なんて人気商売なんですから。ファンがつくのはいいことですよ」
「でも……」
星乃は不満を押し隠せない。
本当に今日は、厄日だ。
「オーナーもせっかくの紹介んだから、受けてあげって」
「……。もう! わかったわよ! それで終わりだからね!」
「はいはい。紹介者をタクシーで向かわせたそうなので、そろそろ着くのでは? 諦めて鑑定して、今日は終わりにしましょう」
尾崎が秘書のように、予定を取り仕切るのも腹が立つ星乃だった。
別に尾崎は、秘書ではない。
星乃に勝手に心酔して、勝手に秘書のポジションに収まっているだけなのだ。
「……終わったら、デザート食べたい……」
「はいはい。用意しておきますからね」
「いつものケーキ屋さんのモンブランだからね」
「買ってありますよ」
「……なら、やる」
星乃が得意にしている占いはタロットカードだ。
他の占いもできるが、タロットカードが一番相性がいい。
次の依頼人を待つために、星乃はタロットデッキを用意した。
「あっ」
疲れていたのか、デッキを取り落としてしまった。
テーブルの上にカードが散らばる。
一枚だけ、絵図が見えるように落ちた。
カードは、WHEE of FORTUNE- 運命の輪。
いやに示唆的な一枚だった。
「えー、何かあるの? トラブルはいやだな〜」
星乃は無事に最後の依頼が終わるように祈った。
終業後のケーキをご褒美にして、本日最後の依頼人を待つ。
程なくして、カーテンをくぐって入ってきたのは、冴えないサラリーマンだった。
河野社長に言われて、不承不承やってきたのだろう。
その顔には「占いなんて信じませんから」と書いてあるようだった。
星乃は、その冴えないサラリーマンの顔を見て歓喜に震えた。
これ、この顔!
忘れもしない、ずっとずっと探していた大切な人!
「義隆!!」
ガバッと星乃は立ち上がって、サラリーマンに抱きついた。
「ハァァァァ!?」
サラリーマンはよろめいて、カバンを取り落とす。
「義隆! やっと会えた! ずっとずっと待っていたのよ!」
抱きついて顔を見上げる。
視線があったのは、「なに言っているんだ、こいつ」という困惑の顔だった。
「義隆、どうしたの?」
「占い師って聞いてきたんだが……。ここはそういう店、なのか……?」
星乃は一瞬、なにを言われているのか分からなかった。
要は、占いではなく性的なサービスをしているのか、と言いたいらしい。
思い至った瞬間、星乃は義隆の顔を強かに殴っていた。
「あんたっていう人は! 生まれ変わってもデリカシーがないんだから!!」
「ぐ、はぁ!!」
顔を殴られた義隆は、後ろに倒れて頭を打った。
「いててて……。おい、言うことはないのか」
「ふんっ! 義隆、あなたが悪いのよ」
義隆は、打ちつけた頭に氷を当てて星乃を睨みつけている。
氷は尾崎が買って来たものだ。
星乃は椅子に座って明後日の方向を向いていた。
完全に怒っている。
「さっきから、義隆、義隆って誰かと勘違いしているんじゃないのか? 俺は黒須裕樹だ」
「……。あなたは義隆よ。私が見間違えるわけないじゃない」
「なぁ、さっきからあんたはなにを言いたいんだ。殴られたんだぞ、俺は。せめて説明してくれよ」
「私は、星乃。あなたは義隆。それ以上の説明がいる?」
「おい! 怒るぞ、俺は!」
「……。あなた、本当に覚えていないのね……」
星乃は、黒須を睨みつけた。
「いいわ。説明してあげる。私とあなたは、生まれる前、そうね、簡単に言えば前世で恋人同士だったの」
「はぁ? 前世? お前さんはそういう占い師なのか?」
「違うわよ!! 黙ってきなさい!」
「おい」
「恋人同士だったけど、身分が違ったわ。私はある大名家の末姫。あなたは、下級家臣の部屋住。それが、偶然、出会って恋に落ちたわけ」
前世とはいえ、星乃にとってこれは実感を伴った生々しい感情だった。
本人を目の前にして語るのは、なんだか恥ずかしい。
それもこれも、義隆ー黒須が覚えていないのが悪いのだ。
「あー、お転婆な姫に付き合わされる小姓、とかそんな感じか」
「どうして、そう言うことはわかるのよ?」
「そう言うこといってうまく高い商品に誘導しようとしてるな」
「違うってば! 愛し合っていたの! でも、長くは続かなかった。私は許嫁の元に嫁いだ。あなたがどうなったかは、知らない」
「占い師なら、もうちょっとうまいストーリー考えたらどうだ?」
「だから、真面目に聞きなさい!! 別れる時に約束したの! 来世こそ、一緒になろうって。迎えにいくからって言ってくれたのに! あなたは
全然、会いに来てくれなかった! だから、前世でも得意で、あなたが喜んでくれた占い師として有名になれば! あなたが気がついてくれると思ったのに! なのに!」
星乃は情けなくなってしまった。
有名大学をいい成績で卒業した。有名企業の内定だってとったし、公務員試験だって余裕だったと思う。
それでも、そんないいキャリアを捨てでも再会したかった最愛の人。
その人に会うために、選んだ占い師という職業。
せっく出会えたと喜んだら、本人はなにも覚えていない。
それどころか、頭のおかしい人か、うんくさい霊感商法だと思われる始末。
これでは、なんのために占い師になったのか分からないではないか。
「私は、こんなにもあなたを待ち焦がれていたのに!! 前世で、あれだけ約束したのに! 前世の私は、神にも仏にも祈ったわ! それこそ、いろんな呪術まで試して!」
情けなくて涙が出てくる。
「今生だってそう! あなたとの記憶を理解できるようなってから、全部、告白もお誘いも断ったし! あなたが好きそうな場所にも行ってみた。占いだって、おまじないだって、できることは全部、全部やったのに! それでも、あなたが現れないから、占い師になって有名になって、あなたに気がついてもらおうと頑張ったのに!! もしかしたら、今、ここには生きてないんじゃないか、今生は会えないんじゃないかって、不安で、不安で……」
涙を滲ませて黒須を睨みつける。
前世でも、同じを思いを抱いたような気がする。
「あなたさえいなければ、こんな思いをしなくて済んだのに!!」
「……、……! ……」
星乃が黒須を睨みつけた時だ。
黒須がはっとした表情で、星乃を見た。
混乱したように、頭を振ってもう一度、星乃を見る。
「星姫……? え、いや、でも、なんで……、いや俺は……」
「!」
「最後にあった日、同じことを言っていた。え、なんでこんなこと思い出しているんだ? いや、あの日、確かに……『こんな思いを知りたくはなかった』って、言って……」
それは、確かに最後にあった日に星乃が、星姫が言った言葉だった。
出会わなければ、苦しい思いを知らずに済んだのに、と。
黒須は、突然、思い出したのか、混乱しているようだった。
ぶつぶつと、「いや」「でも」「この記憶は?」とつぶやいて記憶を反芻しているらしい。
そんな黒須を見ていて、星乃はふつふつと怒りが湧いてきた。
「もっと、もっと早く思い出しなさいよ! もっと、早く迎えにきなさいよ!!」
うわーん。と泣きながら、星乃は黒須の胸をぽかぽか殴った。
黒須は、突然、おもい返された記憶に混乱し、星乃に殴られ、どうしたらいいか分からず狼狽えていた。
「えーっと、その」
「思い出したんでしょ?」
「ああ」
「じゃぁ、いいから抱きしめて!!」
「お、おう」
言われて黒須は星乃をそっと抱きしめた。
「本当にあなたって、締まらないわね」
「そんなこと言われても、急にこの状況で」
「黙って」
「はい」
星乃は黒須を黙らせると、腕を背中に回して抱きついた。
黒須も戸惑いながら、抱きしめる腕に力を込めた。
星乃は、やっと夢に見ていた腕の中にいることに安堵して涙をこぼした。
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