セカンドライフ

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セカンドライフ

 風の音しかしない静かな山の中、私は木造の古い家の縁側で座禅を組む。三年前に定年退職し、独り身だった私は退職金と今までの貯金で小さな山を買った。自分だけの場所、誰にも邪魔されない場所で、余生を、第二の人生を、歩みたいと思ったのだ。その場所で私は、趣味だった書道と読書にハマり込んだ。山の中にいたことで俗世とは離れ、清々しい気持ちになった。 ある日の食料品買い出しの際に寄った古書店で、読み古された鎌倉時代の僧侶の書を見つけ、興味本位で何冊か買ってみた。ずっと山の中で暮らしていたことで、自分がいつの時代にいるのか、何者なのかということを考えさせられていたこともあるだろう。無信教の私は、今まで仏教などとは無縁の生活をしていた。幼い頃に先祖の供養をしたきり、宗教というものには触れてこなかった。歴史もそうだ、まともに触れたのは高校生の時が最後だろう。しかし、読んでみるとこれが意外と興味深かった。そのうち、私は、著書の中から心に残った言葉を書にしたためるようになった。同じ本を何回も読んで、学んだ言葉を清書する。何時しかそれが日課となっていた。 朝六時半にアオバトの鳴き声で目が覚める。目が覚めたら、眼鏡をかけ、伸びをし、布団をたたむ。布団を押し入れに入れたら、時間つぶしに自分で編んでみた草履で外に出る。背の高いクヌギの木に囲まれた獣道を散歩する。道が舗装されていないので、運動にちょうどいい。十分ほど歩いて、川の上流に出る。冷たい水を手ですくい、顔を洗う。夏になると水浴びをすると気持ちがいいが、まだ気温もそこまで高くなく、水は氷が溶けたかのような冷たさだ。今はまだその時期じゃない、少し残念に思いながらも、首に巻いてきたタオルを水に浸ける。瑞々しいタオルをゆっくりと持ち上げ、力いっぱい絞る。水道をひねったかのように、川へ戻っていく水。それを眺めるのが、私の朝の楽しみだ。絞ったタオルで顔を拭き、もう一度川に浸けて、よく絞ってから、私は上に着ていたシャツを脱いで、汗をかいた背中を拭く。運動して火照った体に冷たいタオルが擦れて、気持ちがいい。空を眺めると、日が木の上の高さまで上っていた。汗を含んだシャツと濡れたタオルを手に持って、来た道を戻る。自分の山なので、上裸でいても、誰も何も言わない。そんなところも気楽で、気に入っている。来た道を戻りながら、鎌倉時代の僧侶である道元を思い出す。伝説上では、法華一乗思想に疑問を持ち、山を下りたところで、「悩んでいる暇があったら修行し一つでも煩悩を消せ」と喝を入れられたと伝えられている。道元の言葉ではなかったが、今日の言葉はこれにしよう、そう考えているうちに我が家に戻ってきた。玄関で草履を脱ぎ、床を踏むと、木が軋む音がした。玄関からまっすぐ、離れへ行く。襖を開けると、墨の匂いがした。書道用の部屋だ。いつもなら本を読んだ後にこの部屋に来るのだが、今日の言葉はもう決まっている。墨を擦る音が静かな部屋に響く。新聞紙を敷き、その上に半紙を広げる。書く前に、目を瞑って座禅をして、精神を統一する。言葉に共感した瞬間を思い出す。自分も若い頃はやるべき事に手を付ける前に悩み、時間を食ったものだ。案ずるより産むが易しというが、今日の言葉はそれに近いものがある気がした。頭の中を、言葉でいっぱいにする。そのあと、自分の体に力が入っていることを自覚し、ふっと息を抜く。息とともに頭いっぱいに埋め尽くされた言葉も吐き出す。頭の中を空っぽにして、目を開ける。目の前には白く、広がる半紙。筆を手に取り、私は言葉を書き出す。最後の一角を書き終えたところで、自分専用の判子に朱色のインクをつける。左下に判子を押したら、完成だ。作品はそのままにして、すずりと筆だけ持って、部屋の中の空いたスペースに移動する。そこにまた新聞紙と半紙を用意する。筆に墨を吸わせ、書き出す。頭は空っぽにして、ただ目の前の書に集中する。そしてまた、判子を押す。今度は、精神統一中に浮かんだ慣用句を書いた。そこまで書くと、ようやく私は息を大きく吐く。今日の書道はここまでだ。 墨の香りのする部屋を出て、居間に向かう。静かな空間に、木の軋む音だけが響く。居間には、この家を買うときに最も気に入った部分の一つである囲炉裏がある。水を入れた鍋を囲炉裏の火にかけ、人参、大根をささがきしながら上から降らせる。物足りないと思い、小麦粉と少しの水で水団を作って鍋に入れる。煮立ったら、味噌を溶いて出来上がりだ。おたまで一口分をすくって味見をする。うん、美味しい。火を消し、台所から箸と椀を持ってくる。部屋には味噌のいい香りが漂い、空腹の胃をさらに刺激してくる。水団も上手く作れた気がするし、今日の朝ご飯は完璧だ。囲炉裏の前に座り、おたまで汁をすくう、つもりだった。しかし、静かなはずの私の家に、小さいが、人の声がする。 食べることをお預けされ、少しムッとしながらも、玄関に向かう。玄関のガラス戸の向こうには、女性らしき小柄な影と、後ろに複数名の影が見える。それを見て、事件か何かがあったのだと思う。家の軋む音が聞こえたのか、女性の声で 「ごめんください」 と聞こえる。一応警戒して、 「ご用件は。」 と尋ねる。この時点で考えられるのは、声の主の女性が現在進行形で事件に巻き込まれている可能性か、近隣で警察が動くような事件があった可能性か、だった。せっかく買った山が事件に巻き込まれていたらたまったものじゃない。返事を聞く前に、そんなことを考える。次の瞬間返ってきたのは、予想だにしない要件だった。 「私、テレビジャパンの鈴木と申します。今、山の中の家を特集で扱っておりまして、よろしければお話をお聞かせ願いたいと思い、参りました。」 まさか自分のところにテレビの取材が来るとは思っていなかった。今日は書も書いた後で特に予定もなかったので、戸を開ける。そこには、リポーターらしき女性と、何やら重そうな機材を持った男性が三人いた。とりあえず重そうな機材を床に下ろしてもらって、話を聞く。彼女たちは、山の中で生活する人の生活を取材して回ってるらしく、普段の生活を見せればいいとのことだった。私は、今の生活も気に入っているが、テレビ取材という今まで経験がないことをされる、いい機会だとも思った。二つ返事で快諾したが、同時に、今日の日課は済ませてしまったことを伝える。男性が一人、会社に連絡してきていいか尋ねてきたので、私は許可をする。電話をしに行った男性が戻ってくるまで、今日のことを話し合う。周りは山だし、山を下りてもホテルどころか民宿もない。その状況を考えて、泊っていくことを提案してみる。徒歩で上ってきたようだったし、野営の準備をしているとは思えなかったからだ。布団は冬用に敷布団と掛け布団が二組ずつ。一組を女性に、もう一組はスタッフさんたちに譲ろうと考える。その場での権限は女性が持っているらしく、私は女性と話し合った。私の考えを伝えると、言葉に甘えて宿泊はさせてもらいたいと言ってきたが、布団に関しては、私はいつも通り寝るように頼まれた。山の中で生活する人のリアルな生活を取材したいから、とのことだった。納得して、布団の一組は自分が使うことにする。未経験の私は、台本はあるのか、とかご飯はどうすれば、と心配する。女性は台本はなく、気になったことを質問するからそれに答えてくれればいいと言い、そして、申し訳なさそうに、ここまで来るには徒歩しか手段がなく、食料を持ってくる余裕がなかったと言ってきた。幸い、備蓄してある根菜がまだあったし、全員、アレルギーはないとのことだったので、適当に自分が作ることにする。女性は取材費と言って封筒を出したが、私は断った。受け取らせたい女性と受け取る必要のない私とでしばらく言い合う。最終的に、お互い妥協して、食費だけもらうことにした。東京の物価で計算して渡されたので、おそらく食費よりも多く頂いてしまったが。電話をしに行った男性が戻ってくる頃には、大体のことは決まっていて、私のお腹が、思い出したかのように情けなく鳴く。そこで、水団汁があることを思い出した私は、遠慮するスタッフさんたちを半ば強引に居間に連れて行った。食器は、洗うのが面倒なので椀が五つあった。洗い物が面倒な時ように買っておいた割り箸を出す。水団汁は少し冷めてしまっていた。少しシュンとしながらも、囲炉裏に火を灯す。水団汁が温まるまで、沈黙が漂う。いつもなら沈黙を楽しむところだが、久しぶりに食卓を人と囲めて、さらに明日、未経験である取材をされるとなると、内心、子供に戻ったかのようにドキドキ、ワクワクしていた。 水団汁がふつふつと煮立ち始める。火を消して、人数分の椀に汁を注ぎ分ける。それぞれに箸を渡すと、一人ずつ、ありがとうございますと言われる。人と話すこと自体が久しぶりな私は、それだけで少し嬉しくなってしまう。四人が私が食べるのを待っているのだとわかり、先に食べることにする。 「いただきます」 手を合わせて、小さくつぶやく。まずは根菜から、箸を伸ばす。思った通り、長い時間汁の中にあった人参と大根は、味が隅々まで染みていて、とても美味しい。次は水団、とぷるんとした水団を持ち上げ、口に入れる。もちもちの食感と、小麦の味と香りが味噌と上手い具合に絡まって、こちらも美味しい。私が食べるのを見て、女性が小さくいただきます、と言って汁を食べ始める。女性に続くように全員食べ始める。無言で、口いっぱいに具材を詰め込んで食べ、汁をすする。何も会話はなかったが、水団汁は気に入られたようで、私も嬉しかった。 「ごちそうさまでした」 私がそう言うと、他の人たちも次々に食べ終わる。 「美味しかったです、ごちそうさまでした。」 全員を代表して、女性が頭を下げながら言う。 「お粗末さまでした。」 そう返して、食器を集めようとする。その手を女性が止め、 「お皿洗い、私たちにさせてください。」 と言う。私はお言葉に甘えて、皿洗いを頼むことにする。今日は予定が終わってしまって、この後特にすることは無い、明日はおそらく六時半に起きると伝え、トイレの場所と寝室の場所を教える。それ以外の部屋には入らないように、と言って。それにテレビ局の人達は頷いて、各々、機材を触りに行ったり、皿洗いをしに行ったりする。私はというと、予定も終わって、することがなくなってしまったので、読書をすることにする。いつまでもお金が残っているわけじゃないと思い、先日買った園芸の本を読むことにする。付近には猪や熊が出ることもある。なので、害獣対策も学ばなければならない。猟師の免許を取ることを考えたこともあったが、会社員時代に資格を取らされてきたことを思い出し、第二の人生では自分の趣味の範囲でしか学ばないことにしている。今まで頑張ってきたんだから、もう頑張らなくていいと思った。園芸の本をめくりながら、根菜の育て方の章に入る。章の切り替えを伝えるページをめくると、次のページから根菜についての基礎知識から豆知識が始まる。大根も人参も二週にいっぺんの買い出しで七本ずつ買ってきている。根菜は長く持つと聞いたことがあるからだ。本を読み進めると、驚くべきことが書いてあった。大根も人参も、常温保存では一週間も持たないと書かれていたのだ。確かに、二週間たった大根は中身がスカスカしていたことがあったし、人参は少ししなびていた。もう少し読み進めると、でも大丈夫!と枠で囲まれて、保存のコツが書いてあった。大根は葉を切り落とし、逆さにして土の中で保存、葉を切り落として人参は新聞紙で包むといいそうだ。冷蔵庫や電子レンジなどの文明の利器はこの家にはない。洗濯も、大きな桶と洗濯板だ。その、現代から少し離れた生活が楽しかったので、今更冷蔵庫を買う気にもなれなかった。保存方法はわかったものの、猪は雑食で鼻がいいと聞く。きっと、土の中で大根を保存すると、翌日にはなくなっていることだろう。縁側付近の土地を少し耕して、保存して、柵で囲むか。そんなことを考える。保存方法のコツが終わると、本格的に、野菜作りのための説明が始まる。パラパラとめくって、常温保存が可能な野菜のページでページをめくる手を止める。じゃがいも、玉ねぎなどがそうだった。それを頭に入れて、本を閉じる。いつかは自給自足生活をしなければならなくなるだろう。そのためにまずは、次の買い出しで猪対策の柵を買おう、と決める。ふと辺りを見回すと、日が沈みかけていた。そろそろ夕食の準備を始めようと思い、立ち上がる。自分一人だと昼の余りで夜を済ませるところだが、五人で食べると、すっかり食べきってしまっていた。依頼された側だが、一応客人をもてなそうと思い、夕飯の献立に頭を捻らせる。一人なので、大根と人参、小麦粉と米、最低限の調味料しかない。時計を見ると、十八時七分を指していた。そうだ、と思い立って、懐中電灯とスコップを手にする。日が沈むまであと少しだ。急いで草履に足を通し、外に出る。確か、この間散歩したときはこの辺りにあったはず、と地面を懐中電灯で照らし、探す。案外それはすぐに見つかった。頭の先の部分だけを出したそれの周りを、スコップで掘る。日没を知らせるアオバトの鳴き声が聞こえるころには、ほとんど全体が見えるくらいには掘り進めていた。あと少し、そう思って、つかんで、根元から折る。手に入れたのは、旬のたけのこだった。まだ先の方しか出ていなかったし、きっと食べ頃で美味しいに違いない。ほくほくとした想いで、元来た道を戻る。手も服も土にまみれていたので、服だけでも、と思い脱ぎ掛け、家に女性がいることを思い出す。汚れてしまったが仕方がない、そう思ってそのまま帰る。玄関で服に付いた土を軽く払い、家の中に入る。玄関に掘りたてのたけのこを置いて、洗面所に向かう。服を脱いで洗濯かごに入れ、ついでに軽くシャワーを浴び、新しい服を着る。  綺麗になったところで、玄関に置いてきたたけのこを取りに行き、居間と台所の電気をつけて、調理場に入る。洗い場で土を落とし、たけのこの衣を剥ぐ。昼は味噌を使ったから、と考え、醬油を使ってたけのこで煮物を作ろう、と考える。たけのこと大根とを一口大に切り、彩りが足りないと感じて、人参も切る。たけのこを調理したことはなかったが、柔らかかったので、すぐに味が染みるだろうと思い、先に根菜を水を入れた鍋に投入し、火にかける。ぐつぐつし始めたら、たけのこを入れ、酒とみりんと醤油で味を調える。居間には、醤油のいい香りが広がった。具材に火が通ったことを確認して今から廊下に顔だけ出して言う。 「晩御飯作ったのでよかったらどうぞ。」 寝室用に、と案内した二階から物音がして、四人が下りてくる。四人が居間に入ったところで、 「今日は採れたてたけのこの煮物ですよ。」 と言いながら綺麗に洗ってあった椀に注ぎ分け、箸を添えて床に置く。四人が朝と同じ配置に座ったところで、 「いただきます」 と言って私が食べ始める。四人が私に続いていただきます、と言って食べ始める。たけのこは思った通り柔らかかったし、味がしみ込んだ根菜も美味しい。出来に満足しながら箸を進める。食事中は昼と変わらず、終始無言だった。最後の一滴を飲み干し、食べ終わって、箸をおく。 「ごちそうさまでした。」 手を合わせてそう言った。まだ食べている途中だった男性が口を開く。 「リアルな生活を取りたいので、朝から張り付くつもりですが大丈夫ですか?仮眠をとったので、起きてからの姿も撮るつもりです。もちろん、映したくないところは言ってもらえれば後からカットします。」 まだ山に来る前は見ていた、テレビのことを思い出す。芸能人の二十四時間密着取材だって面白いところだけを切り取っていた。きっと、画になるところしか放送はされないだろう。 「いいですよ。」 そう言いながら、自分の食器を片付ける。 「あ、皿洗いはまた、任せてください。」 そう言う男性。お言葉に甘えて、洗い場に食器を置くだけおいて居間に戻る。 「お風呂はどうしますか?私は湯船に浸かる習慣がないのでシャワーだけですが。」 そう言うと、食べ終わった女性が口を開く。 「職業上、慣れてるので気にしないでください。一人は徹夜しますが、私含め他三人は起きたと連絡があるまでは二階で休憩をとらせてもらいます。ご不明点などあれば、いつでも聞いてください。」 そういって、軽く頭を下げる女性。 「わかりました。」 そう答え、火を消し、鍋に蓋をする。煮物はたけのこ丸々一本を入れたことによってかなりの量になっていた。明日の朝ご飯にも食べれそうだ。 「じゃあ私はそろそろ寝ますので。ゆっくりしてくださいね。電気とかも、自由に使ってもらって構いません。使わない部屋の電気だけ消しておいてください。」 普段は日が沈む前に夕飯を食べ、日が沈むころには布団に入っているのであまり電気は使わないが、仕事でやることがあるかもしれない、と思い、許可を出しておく。では、と言って居間を出て、自分の寝室に行く。暗いまま布団を敷き、横になって目を瞑る。しばらくして、襖を静かに開ける音で少し目を覚ます。機材を持った男性が入ってくるところだった。男性はスマホで足元を照らし、部屋の隅に移動して静かになった。スマホで何かをしているようだった。少し、人がいる中で眠るのが恥ずかしくなるが、無理やり目を閉じて、私はそのまま夢の世界に入っていった。  アオバトの鳴き声がして目を開けると、窓から光が差し込んでいる。朝だ。部屋の隅から機械のボタンを押すような音が聞こえたが、気にせずいつも通りに布団をたたみ、押し入れに片づける。大きく伸びをして、部屋を出て、ゆっくりと階段を下りる。いつもと同じように、草履を履き、外に出る。外の空気を吸って、もう一度大きく伸びをする。クヌギの木に囲まれたいつもの獣道を通って、川に行く。タオルを持ってくることを忘れたことに気づいたが、気にせず、冷たい川の水で顔を洗う。冷たくて、さっぱりして気持ちがいい。軽く服で顔を拭い、元来た道を戻る。男性はずっと、一定距離を保ちながら後をついてきた。家に戻り、草履を脱いで、洗面所に行く。濡れた服を脱いで、新しい服に着替える。今日は溜まってきた洗濯物をしなければ、そう思いながら、居間に入る。蓋を開け、鍋の中を覗くと、昨日の煮物残りがある。囲炉裏に火を灯し、顔を上げると、「私を食事に誘って」と書かれたスケッチブックを持った女性が目に入る。私は台所から二つ、椀を持ってきて、煮物を注ぎ分ける。女性のいる方、囲炉裏を挟んで私の真正面に女性用の煮物を置く。自分の席に座りなおして、手を差し出して 「よかったらどうぞ。」 という。女性が後ろにいた男性にスケッチブックを渡したのを見て、私を映していた男性がカメラを下ろし、女性の方に向ける、マイクを持ったもう一人の男性とともに女性の食リポを撮る。女性は 「美味しそう、いただきます。」 と作った笑顔で言う。具材一つ一つを持ち上げて撮影した後、 「材料はどうしているんですか?」 と私に向かって尋ねる。これが取材か、と思い、 「野菜は二週に一回、山を下りて店で買っています。たけのこは昨日、近くの竹林で掘ってきました。」 と答える。女性はすごーい、と少しオーバーなリアクションを取り、 「竹林まで所有されているんですか?」 と聞いてくる。 「この山一帯、私の土地ですよ。」 そう言って、煮物を食べ進める。残り少なかった煮物を食べ終わるまで、この山の面積について紹介する女性。食べ終わり、箸をおいたところを見て、 「山での暮らしは何年目ですか?」 と聞いてくる。 「三年目ですね、退職を機にこの山を買って、それから住んでいます。」 そう答える。 「前職は何をしてらしたんですか?」 と聞かれ、 「中小企業に勤めていました。」 と答える。女性の後ろでは、手元を映してないうちに、スケッチブックを脇に挟んだまま、男性が急いで女性の分の煮物を食べている。女性は相槌を打ちながら、 「山の暮らしの魅力は何ですか?」 と聞いてくる。少し考えて、 「静かで、誰とも関わらなくていいところですね。今まで仕事でたくさんの人と接してきたので、第二の人生は現代と離れた暮らしをしようと思って山を買い、今は毎日静かに暮らしています。」 と答える。 「この後のご予定は?」 と聞かれ、 「ついてきてもらえばわかります。」 と言って立ち上がる。女性が空になった椀を映して美味しくてぺろりと食べてしまいました、と言っている間に、スケッチブックを持った男性が近づいてくる。 「話しかけない方がいいタイミングってありますか?」 と小声で聞かれ 「読書中と、この後書道をするので、座禅を始めたら静かにお願いします。」 と小声で答える。女性の食事に対しての感想が終わったところで、スケッチブックを持った男性は再び映らないような位置に移動し、カメラがこちらに向く。 「こっちです。」 といって、居間を出て本を集めた部屋に行く。その道中でスケッチブックを持った男性から何やら言われる女性がうなずいていた。部屋の襖を開け、本が無造作に置かれたところが映される。 「ここは何をするところなんですか?」 と聞いてくる女性。 「散らかっていますが、読書用の部屋です。」 そう答え、今日読む本を探す。適当に、手に触れた本を開く。本人の手記のコピーが乗っている仏教の本だった。しばらく、その本に目を通す。半分ほど読んだところで、ある言葉が目に留まる。本にしおりを挟んで、 「移動します」 と言って立ち上がる。離れまでの廊下で、 「仏教に関心がおありなんですか?」 と女性が尋ねてくる。 「えぇ、山の中で一人静かに暮らしていましたら、だんだん俗世と離れた気がして。そんな時に仏教の本に出会って、興味を持ちました。」 と答える。離れの戸を開ける。いつものように墨の香りがする。部屋の中に入り、昨日書いた作品をまとめ始める私に 「ここは何の部屋なんですか?」 と女性が尋ねる。 「趣味の、書道をやるための部屋です。」 と答え、部屋の隅から大きなファイルを取ってきて、昨日の作品を加える。 「そのファイルに作品を?」 と聞かれ、 「えぇ。」 と答える。昨日使った新聞紙を回収して一か所にまとめている私に 「中を見せていただいても?」 と女性が言う。 「いいですよ。拙作ですが。」 と私は言う。カメラの向きがが私からファイルに変わり、女性がページをめくり始める。食事の時はあんなにリポートしていたのに大丈夫だろうか、というぐらい、静かに、静かにページをめくる女性。ファイルには今月の分しか閉じておらず、すぐに見終わったみたいだった。 「あまりの綺麗さに言葉を失ってしまいました。」 と感動したような顔で弁解する女性。 「ここに書かれている言葉は何ですか?」 と聞かれ、 「主に鎌倉仏教で有名な僧侶の言葉です。あとは、それに関連する慣用句とかですかね。」 と答える。カメラが再び私に向いたのを確認して、新聞紙を床に敷き、半紙を広げる。墨を擦る音が部屋に響く。準備が終わって、私は座禅を組む。ちらっと、しおりを挟んだページを確認して、目を瞑り、今日の言葉について考える。今日の言葉は、鎌倉時代の仏教布教に大きく貢献した一遍という僧侶の言葉で「降れば濡れ、濡るれば乾く袖の上を、雨とて厭う人ぞはかなき」だ。要するに、「あるがままを受け入れなさい」ということだ。あるがまま、と私は考える。定年するまでの私は、あるがままだっただろうか。あるがままを受け入れていたというより、流されていただけではないのか。そう考える。たいていの人は、流されて生きていることだろう。知らぬ間に社会の歯車の一部になり、流れるように生きていく。本当にそれでよかったのだろうか。思い出して、少し後悔をする。その時、ハッと気づく。あるがままを受け入れるとは、過去の自分も受け入れてあげることなのではないか、と。過去の自分も、今の自分からすれば変えようのない事であり、そこに、ただ存在する事実である。少し、言葉の意味が分かったところで、大きく息を吐く。そして、目を開けた。筆をとり、目の前に広がる白い半紙に言葉を書く。書き終わると、一遍の言葉は少し抽象的すぎたので、すずりと筆を持って立ち上がり、場所を変えて新聞紙と半紙を用意する。深く息を息を吸った後真っ白な紙に「あるがままを受け入れよ」と書く。書きながら、自分に言われているようだ、と思う。終わって一息ついた後、判子を押し忘れたことに気づく。インクと判子を用意して、集中して、二回、判子を押す。これで完成だ。満足して立ち上がり、強張った肩を回す。 「今日は何を書かれたんですか。」 と聞かれたので、 「鎌倉仏教で有名な一遍という僧侶の言葉に感銘を受けたので、それを書きました。」 軽く伸びをしながら答える。女性はずっと、私の今日の作品を見ていた。 「さて、日が暮れる前に洗濯をしに行きます。」 読書の時間が長すぎて、時刻はもう十六時となっていた。最近の日の入りの時間は十八時半辺りなので、それまでに洗濯と晩御飯を済ませなければいけない。  洗面所に移動し、棚から桶を出す。蛇口にホースをつないで、少し水がたまるのを待つ。洗濯板を出すと、女性が驚いたように 「洗濯機は使わないんですか?」 と尋ねてくる。 「はい、できるだけ、文明の利器という感じのものを生活に取り入れたくないんです。」 答えている間に水がたまり、蛇口を締める。洗濯かごを近くに持ってきて、昨日汚したシャツを手に取る。粉洗剤を少し使って、洗濯板でごしごしと洗う。洗っては干し、洗っては干しを繰り返す。すべてが終わるころには、日没まであと三十分という時間になっていた。 「もうすぐ日が暮れますね、急いでご飯を作らないと。」 水を捨てて桶と板を乾きやすいように壁に立てかけながら言う。洗面所を出て、少し暗くなった廊下を歩く。居間には、あと少し残った煮物が残っていた。鍋は一つしかないので、今夜はこれを食べることになりそうだ。でも、それでは代り映えがしない。棚から小麦粉を取り出し、手を洗って、急いで水団ならぬ、うどんもどきを作り始める。 「今は何を作っているんですか?」 と後ろから声がかかる。 「朝の残りがまだあるので、それをメインにしようと思って、主食のうどんもどきを作っています。」 と答える。答えながらも作る手は止めない。椀一杯分のうどんもどきを作って、居間に戻る。囲炉裏に火を灯し、うどんもどきを加える。具材が増えたせいもあるのか、煮立つまでに少し時間がかかった。汁が少ないと思い、水と調味料で汁を作る。それを入れるとまた、時間がかかってしまった。日はもうかなり沈んでしまっている。ようやくふつふつとなった辺りで、椀に注いで、急いで食べる。女性が何か言いたそうにしていたが、リアルな生活を映したいのなら、日没までに布団に入らなければと思った。食べ終わって、少し、一息つく。女性に向かって 「お構いもできずすみません、日没までに寝るのがいつもの流れなんです。」 そう言って、洗面所に行って歯磨きをし、早歩きで寝室へ向かう。カメラを持った男性が急いでついてくるのがわかる。押し入れから布団を出すと、アオバトの鳴き声が聞こえてきた。辺りは真っ暗になる。布団を敷いて、横になり、私は目を瞑った。 「カットします」 そう、暗闇から男性の声がする。 「電気をつけてもよろしいですか?」 と女性の声もした。 「いいですよ。」 と答えながら、体を起こす。部屋が明るくなり、テレビ局の人たちが全員いることがわかる。 「ありがとうございました!」 そう言いながら女性が頭を下げる。 「いえいえ、こちらこそ。人と話すのは久しぶりで楽しかったですよ。最後の方はバタバタしちゃってすみません。」 正直な感想と謝罪を述べる。 「いえ、日没までに寝るってすごいですね。」 感心したように女性が言う。 「なるべく自然に近い生活がしたくて。」 と答える。言い終わると、女性が何やらカードを手渡してきた。猫の柄の、かわいい名刺だ。 「これ、私の名刺です。今回の取材について何かありましたらご連絡ください。」 「わかりました。」 と言いながら名刺を受け取る。 「テレビはなさそうですが一応、放送は二週間後の土曜日、夜十時からテレビジャパンで流します。」 と教えてくれたので、その日はテレビのある居酒屋にでも行こう、と決める。 「わかりました。」 私がそう答えると、 「では、あまり長居しても悪いので、私たちは撤収させていただきます。取材への協力、改めて、ありがとうございました。」 そう女性が言って、全員で頭を下げ、部屋から出て行った。私は疲れからか、ひどい睡魔に襲われ、見送ることもできずにそのまま寝てしまった。 「いらっしゃいませー。あ、久しぶりじゃないですか。最近いらっしゃらないから心配していたんですよ。」 居酒屋の店主が言う。カウンターに座り、 「枝豆とビールください。」 と頼むと、元気よく返事が返ってくる。目の前でビールを注ぐ店主に 「十時になったらテレビジャパンの放送に変えてもらえませんか。」 と頼んでみる。 「いいよ、今テレビ見てる人いないし。」 そう言いながらビールを出してくる店主。いつもは十八時半には寝るのに、今は十時になる数分前。我ながらよく頑張っていると思う。チャンネルを変えさせてもらって、十時になるのを待つ。パッと画面が切り替わり、放送が始まる。テレビに映る自分を見て、老けたなぁと思ってしまう。 「テレビに出たんですか?」 と枝豆を出しながら店主に聞かれたので、 「そうなんですよ。」 と少し照れながら言う。自分の日常が、見ていて楽しくなるよう編集されているのを見て、すごい、と思いながら枝豆を食べる。久しぶりのビールも美味しかった。番組は三十分で終わり、ニュースが始まる。でも、見終わると眠気に襲われてしまって、勘定を済ませた後、さっさと家に帰り、布団に入った。楽しい二日間だった。取材を受けてよかったと思い出しながら考え、私は眠りについた。 「ごめんください」 大きな声が家に響く。昨日、夜遅くまで起きていたせいだろうか、時計を見ると九時になっていた。最低限の身だしなみを整え、玄関に向かう。戸を開けると、スーツに運動靴といった不格好な男性が立っていた。 「朝早くにすみません、私、こういうものです。」 差し出された名刺を見ると、聞いたことがある、有名な出版社の方だった。 「どういうご用件で?」 全く見当もつかない。 「昨日放送されたテレビジャパンの中で作品を拝見し、出版させていただきたく、こうやって足を運んだ次第です。書道の作品を、うちで本にしませんか。」 一人で暮らすのは好きだ。山の中で一人静かに本を読み、作品を作る。その生活は楽しかった。でも、いくら頑張って書いて、自分が満足するほどのものを書けたとしても、見てくれる人はいなかった。それでも、三年間、好きだからという理由だけで書き続けていた。誰に見せるわけでもない、自己満足の作品を。自分で選んだ生活だから、と諦めていた。それでも、自分の作品が本当に本になり、世に出回ったとき、やっと見てもらえる、そう思った。書店に並べられた本を見たときは本当に嬉しかった。そんなつもりで受けたわけではないけれど、あの取材が、私の孤独な生活を、静かだけど人のいる生活、にしてくれた。取材を受けてよかった、心の底からそう思う。そしてまた、私は今日も筆を持つ。
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