小夜子と私

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 それから一体どうやって家に帰ったのだろう。  小夜子が池に飲み込まれた音を聞いてからの行動は曖昧なもので、現実味を帯びていない。  その場に来た大人に声をかけたのか、近くの交番にでも飛び込んだのか。今みたいに小学生が携帯電話を持っているのが当然の時代ではなかったから、助けを求めて駆けずり回ったのだとは思う。  ただその晩のことは、もう思い出せなかった。  次に覚えているものは、新聞の見出しであった。  『社前公園池に転落 女子児童一名死亡』  体が震えた。それ以上は恐ろしくて、続きを読むことができなかった。  この悲劇的なニュースは瞬く間に拡散された。  お葬式もお別れ会も行われたはずなのに、私は参加することができなかった。  いや、参加しなかったのだ。  親友の死に真っ向から向き合うなんて、怖くて心が砕け散りそうだった。  私は自室に引きこもり、小夜子が描いてくれた絵を抱きしめ続けた。  せめて犯人を捕まえなければ。今のままでは小夜子も浮かばれない。  そう思って大人たちに「二人組の男子中学生に追いかけられた」と説明したはずなのだが、錯乱していると思われたのだろうか、それはうまく伝わらなかったらしい。     死体が池から引き揚げられた数日後。  巷を騒がせていた不審者が捕まり、事件は一応の決着を迎えた。  小夜子はおかしな男に追いかけられたせいで、足を滑らせて池に転落した不幸な少女になった。  小夜子を死に追いやった真犯人である中学生たちは、しばらくしてその姿を消した。県外の高校に進学したのだと風の噂で聞いたのは数年経った後だ。  私には、何も残らなかった。  それからの私の人生は悲惨なものだ。  何の喜びも悲しみもなく、ただ空虚に年だけを重ねていく。同級生たちが進学し就職する中、私は部屋にこもり続けた。  年を経るに連れて、どうしてあのとき一緒に死ななかったのかと後悔するようになった。  小夜子と一緒に溺れ死ねたら、どんなに幸せだっただろう。  希死念慮はどんどん膨らんでいき、一人で抱えるには辛い重さになった。  それを感じ取ったのか、家族関係は修復できないほどに拗れていった。両親はまるで私がいないかのように振る舞い、腫れ物を扱うようなその姿に、両親を信頼することができなくなった。  何もない私には、小夜子との思い出だけが頼りだ。  このところ外に出られるような体調であれば、公園へ散歩しに行くようになった。  うさぎ小屋を見て懐かしさに耽ったり、遊具を見て微笑ましく思ったりする。撤去されてしまった遊具もあるけれど、思い出は心に残っている。  あの頃は良かった。幸せな瞬間だったと思う。  今はもう死んでしまいたいのだ。  水の一雫になって、小夜子と一緒に溶けてなくなりたい。  近頃、死にたい気持ちが酷く強くて苦しい。  理由は明白であった。  公園で見かけたとある親子連れである。父親と母親らしき男女が、ベビーカーに小さな子供を乗せて仲睦まじく散歩をしている様子を見た。  普段なら気にも留めない光景だ。けれども男の顔に見覚えがあった。  忘れられない、忘れるはずもない。  あの男だった。私と小夜子を遊び半分で追いかけ回した忌々しい男のうちの一人だったのだ。  男はベビーカーを押しながら、散歩道を和やかに歩いていた。  すぐそこに、自分のせいで子供が落ちた池があるというのに。  男は随分と成長していた。  当然だ。件の事件から十四年も経っている。当時中学生だったのだから、今は二十代後半ぐらいになっているだろう。  細身なのは昔と変わらなかったが、髪を短く切って溌剌とした表情の男は、好青年然とした父親になっていた。  傍らにいる女性が、時折子供に話しかけては、男と顔を見合わせて笑みをこぼす。  男がたいそう幸せそうに思えてならなかった。  私はその光景を見て、心臓が締め付けられるような痛みに耐え忍ぶことになった。  私から幸せを奪っておいて、お前は幸せになるのかと叫びたくなる。その親子連れの前に仁王立ちになり、「人殺し」と罵声を浴びせてやりたかった。  頭のおかしい奴だと思われてもよかったから、どうにかしてその男に、一泡吹かせてやりたかったのだ。  しかし、そのようなことをして何になると囁く自分がいた。  いくら男を貶めたって小夜子は戻ってこないのだから、やるだけ無駄なのだと。  私は荒れ狂う心を押さえつけて、静かに親子連れを見送った。心のどこかに、コールタールみたいにドロドロとした憎悪が湧き出した。  それから幾度か親子を見かけることがあった。  男は毎回来ているわけではないようで、女性と子供が二人連れで歩いている方が多い。  子供はベビーカーに乗らなくても多少は歩けるらしく、危なげながらもひょこひょこと母親の前を行く。  母親はそんな子供を後ろからこっそり撮影したり、「リュウくん早いねぇ」と声をかけたりしていた。  私はその母と子の姿が羨ましく思える。  小夜子が生きていれば、あの女性ぐらいの年齢だ。子供だっていたかもしれない。  私にもまた違った人生があり得ただろう。  小夜子と二人で子供を連れて、この公園に遊びに来ていた未来だってどこかにあったはずなのに。  どうしてこんなことになってしまったのだろうか。  辛い。あんな男は不幸になってしまえばいいと呪う自分が嫌になる。  あの男だって、自分の大切なものを奪われてしまえばよいのだ。妻も息子も何もかも失えばよい。生きる気力も湧かず、毎日苦しみながらじわじわと死に向かっていく辛さを味わいながら、この世に生を受けたことを後悔してくれたなら、どんなに清々しいだろう。  渦巻く感情が止められない。苦しい。本当は誰も憎みたくない。ただ静かに眠ってしまいたい。  それなのに、夜の後には必ず朝が来るように、私は彼らを恨まずにはいられない。  今更前に向けるほど、失った時間は短くないというのに。  それ以上親子を見ていると、よからぬ思想に取り憑かれそうだったのでベンチを去った。  うさぎ小屋に子うさぎが生まれたと聞いていたので、そちらに向かうことにする。  私は親子がいなくなった後の散歩コースをとぼとぼと歩いた。  うさぎ小屋は散歩コース途中の開けた場所に設置されている。  昔は運が良ければ、飼育員のおじさんが野菜屑を渡してくれて、ちょっとした餌やり体験ができたものだが今はどうだろうか。  小学生の頃には大きく見えていたうさぎ小屋も、年をとるにつれてどんどん小さく見えるようになってしまった。  うさぎたちは相変わらずどこを見ているのかわからない表情で、可愛らしい鼻をモヒモヒと動かしながら、一心不乱にキャベツやにんじんをかじっていた。  わらわらと愛らしい毛玉たちが集まっているものだから、どこに小さいうさぎがいるのだかわからない。  おまけに小屋の前には、小学生にも満たないであろう小さな子供たちが、黄色い声をあげながら網に張りついている。  仕方なく遠巻きから小屋を眺めていると、同じように佇む少女がいた。  禿に切り揃えた前髪から濡羽色の瞳が覗く。肌は血の気が引いたように青白く、手足は繊細なガラス細工のように華奢であった。  何より息を飲んだのが、少女があまりにも小夜子に瓜二つだったことである。  私は反射的に彼女の腕を掴んだ。 「サヨちゃん」  少女の目がこちらを向いた。  瞳孔が開いた瞳に私が映る。  恐ろしい、恐ろしいほど小夜子に似ていた。   「サヨちゃん……?」 「サヨじゃなくて、加代だよ」  彼女は瞬き一つすることもなく、自身の掴まれた腕を見た。慌ててその手を離す。 「お姉ちゃん、誰?」  小夜子だと思って咄嗟に話しかけたものの、舌足らずな彼女の話し方は、小夜子にまるで似ていない。  偶然小夜子にそっくりな女の子が、うさぎ小屋を見ていただけなのだ。 「加代、もう行くね」 「待って!」  思わず手を掴んだ。  離してしまうと二度と会えなくなってしまいそうな、そんな儚さが少女にはあった。 「ねえ、向こうのベンチでちょっとだけお話しない?」  そこまで言って、ふと成人女性が小さな子供の手を掴んで声をかけるのは、傍から見ればかなり問題のある事案なのではないかと思う。  防犯ブザーでも鳴らされたものなら、白昼堂々女子児童に声をかける不審者のできあがりであった。  何より、私が憎々しく思っているそういった手合いの人間になるのは回避したい。私の軽率な行動で、この少女を傷つけてしまうのは本意ではなかった。 「ごめんね。知り合いの子に似ていたから、勘違いしちゃった。急にびっくりしたよね。ごめんなさい」  パッと手を離して、傷つける気はないのだとアピールする。  少女は相変わらず、黒々とした眼をこちらに向けていた。 「いいよ」 「え?」 「加代、暇だからいいよ。お話してあげるよ」
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