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瑶林瓊樹(ようりんけいじゅ)
文化祭二日目。お昼前。高校全体の盛り上がりは最高潮。
廊下からは首から看板をかけた人たちの耳をつんざくほど大きな呼び込みと、楽しそうにきゃっきゃっと騒ぐ女子の声。
「……うるさ」
「星梨香! つまってるから早くして!」
「わかってるって!」
私たちのクラスのだしものはトロッコ。
教室にレールを作り、人が乗るトロッコも作った。普通お化け屋敷とかクレープとかじゃない? と思っていたが、結構形になっていた。
私は外の看板担当だったから気づいたらできてたんだけどね。
「じゃー押しますね」
私たちのクラスに必要な人数は五人。受付に一人、トロッコを押す係が二人、トロッコに体当たりして止めるのに二人のはずなのだが……。
「なんで私一人で押してるの!? 結構重いんだけど」
「あの猛スピードで突っ込んでくるトロッコを二人で止めるとか無理! そっちは星梨香一人で頑張って」
この時間の係が全員女子ということもあり、トロッコを二人で止めるのが無理らしい。
確かにあのスピードで突っ込んでくるトロッコを止めるのは三人欲しい。わかる、私でもそう思う。けどね、一人で押すのもなかなかしんどいくて大変。
「つ、次の方どうぞ……」
トロッコを押さえて動かないようにして乗ってもらい、人が乗った状態のトロッコを力いっぱい押す。
私は女子にしちゃあ力はある方だけど、これを続けるのはしんどい。
「おっ、やってるね〜賑わってるじゃん」
そう言って入ってきたのは次の時間の係の騒がしい男子たち。
時間を持て余したからという理由で早めに教室に来たらしいが、手伝ってくれる気配はなくただただ騒いでいるだけ。
手伝って欲しいという気持ちもあるが、苦手だから関わりたくないという気持ちが勝っている。お願いだから早くどっか行って。
「……どーぞ、乗ってください」
ああもううるさいし、疲れたし。何にもしたくない。全ての仕事を投げ出してどっか行きたい。私はそんなことを思いながら、今までと同じようにトロッコを押した。
「うぉっと……あれ?」
トロッコがやけに軽い。
乗ってる人はごつい男子二人。軽いはずがない。私は理由がわからず首を傾げていた。
「谷本一人で押してるの?」
突然聞こえてきた声にひっと情けない声を出しつつ、後ろを振り向いた。
「そう……だよ」
声の主は倉上大樹くん。次の時間の係の一人。
倉上くんはやかましい男子たちとも仲がいいのに、私みたいに大人しい女の子にも普通に話しかけてくれた。そんな倉上くんのことを私は優しい人と思っていただけだった。
「じゃあ俺も手伝うよ」
倉上くんの一言は思ってもいなかった事だった。
「いっいいよ、全然大丈夫! 倉上くんは係の時間まで休んでなよ! 私力あるし!」
私は一生懸命言葉を連ねた。
倉上くんに対して関わりたくないなんて思ってはいなかった。私なんかの手伝いを倉上くんにさせるのが申し訳なかった。
「谷本は女の子なんだから」
この倉上くんの一言を聞いた時、私の心臓は今まで聞いたことがないぐらいどくんと大きな音を出して飛び跳ねた。
「力仕事は任せて。俺一人で充分だから休んでてもいいよ?」
どくん、どくん。
私の心臓はずっと大きな音で飛び跳ね続けた。
「……それだと申し訳ないから、私も一緒に押すよ」
「いいのに〜俺ってそんなに力無さそうに見える?」
それからどのぐらいの時間かは覚えてないけど、倉上くんと二人でトロッコを押した。
倉上くんが喋りかけてくれて、私もそれに応えていたはず。はずなの。話していたということだけは覚えているけど、内容は全く覚えていない。
覚えてるのは飛び跳ね続ける心臓の音と、身体中がとてつもなく熱かったことだけ。
この日から、私の生活は一変した。
倉上くんの事を考えない日なんてなかった。毎日毎日、四六時中倉上くんの事を考えてた。倉上くんはどんな生活してるんだろ、家ではどんなことをしてるんだろ、趣味はなんなんだろ、好きな芸能人は誰なんだろう。
気持ちの悪い妄想もたくさんした。妄想はしてもしても次から次へと頭に浮かんできて、私は一人でにやつく事が増えた。
そんなある日、ふと気づいた。
私の気持ち悪い妄想の中でさえ、私たちは釣り合ってない。
倉上くんは誰とでも話せる人気者で、勉強はあんまり得意じゃないみたいだけど、体育祭でリレーの選抜選手に選ばれるぐらい運動神経が良くて、顔がかっこよくて、おしゃれで。
一方の私は? クラスの端で静かにしてるだけ。クラスメイトに話しかけられただけで、体がびくりとしてしまう。猫背で髪の毛はくせっ毛で、可愛いなんてお世辞にも言えなくて。
「……こんな私じゃ、倉上くんに近づく資格すらない」
スマホで可愛くなる方法と調べると色んなメイク動画がでてきた。メイクで顔が変わるなら苦労しないし、不器用だから向いてない。
次に調べたのは整形だった。
整形に抵抗は無い。クラスメイトが二重整形をしていたぐらい、整形は私にとって身近なものだ。
色んな病院のホームページを見て私がしたい整形を調べて、値段を書き出した。
私がなりたい顔になるには、どこの病院でも少なくとも二〇〇万はかかるらしい。整形した後に休ませるダウンタイムというのもあるらしく、その期間のことも考えたらもっとお金がいる。
倉上くんと離れる前に、卒業する前に、私は理想の顔にならなきゃ。
卒業まで一年生半もない。そんなに短時間で一気にお金を稼げる仕事なんて、私は一つしか知らなかった。
「セリカちゃんだよね?」
深夜、駅前。待ち合わせ場所に時間通りに来たのは普通のサラリーマン。三十代半ばって感じ。
「アラヤさんですか?」
「そう! アラヤです。間違ってなくてよかった〜」
アラヤと名乗った男は安堵したのか、ふぅっと息を吐いた。
「セリカね、アラヤさんに会えるの楽しみにしてたの! 早く行こっ!」
エンコーをしてる時は違う自分を演じた。顔が可愛くない私が男を満足させるには、男が好きな性格にならないと。
若くて、元気で、少し馬鹿っぽい女の子。それを演じてれば顔が良くなくても満足してくれた。ってか、ネットでエンコー相手を探す奴なんて穴があればそれでいいの。
「早水さんにまた会いたいな〜って思ってたら連絡くれたから嬉しかったの! 早水さんもセリカに会いたかったの?」
「もちろん、会いたかったよ。セリカちゃんは僕の疲れをとってくれる天使だからね」
「天使って……なにそれ嬉しい! 今日もセリカのこと楽しませてねっ!」
天使? あまりに馬鹿馬鹿しい言葉が聞こえたから笑うところだった。
早水は奥さんが子供を産んだばかりなのに、それを放っておいて私を抱くクソ男。それでも、私のことを気に入ってくれててよく声をかけてくるから、それでいいの。私が欲しいのは快感なんかじゃない、相性もどうでもいい、どんなおじさんに抱かれてもいい。
全てはお金のため、整形するため、倉上くんと釣り合うため。
私は好きな人のためならなんだってできる、どんなことも我慢できる。
私は好きな人のために、倉上くんのために生きてる。
みんな好きな人無しに生きられるのかな? 私だったら、好きな人がいないなんて考えられない。生きていけない。
それぐらい私は倉上くんの事が好きでたまらない。
「これで一通りは終わりました」
高校を卒業してから一年。一年もかかってしまった。
卒業するまでを目標にお金を貯めていたけど、結局貯めることができず、整形とダウンタイムが終わった私は十九歳になっていた。
それでも、私の胸は高鳴っていた。まるで、倉上くんの事を好きになった時みたいに心臓はどくんどくんとうるさい。
「何かあったらまたいらしてください」
先生の話なんて聞かずに、私は病院から飛び出した。
早く会いたい、早く私を見てほしい。
何度も性病になりながら、エンコーだけじゃ足りなくて風俗店でも働いて、やっと貯めたお金で可愛くなった。
この顔なら、今の私なら、倉上くんと釣り合える。釣り合えるはず。そのために私は体を売り続けたんだから!
病院から地元に戻り、倉上くん実家の前まで来た。倉上造園と大きく書かれたぼろ看板。その看板近くの倉庫からは男の人の声が聞こえる。
「大樹、そこの脚立外運べ」
「はいよ」
倉上くんは高校生の時から家業を継ぐと言っていた。ちゃんと継ぐんだ、すごい。なんて呑気なことを考えていると、倉庫から倉上くんが出てきた。
「この脚立はどこに置くんだよ」
「もっと奥運べ、それでそこらへんしまえ」
「なら初めからそう言え!」
私は咄嗟にしゃがんだ。
あれ? なんで私はしゃがんだの? 可愛くなった私を見て欲しくてここに来たんじゃないの?
「置いたぞ。それで次は何すればいい?」
「今日は高橋さんとこ行くから軽トラ持ってこい」
「はいよ〜っと」
倉上くんは土で汚れてるけど、高校生の時と変わらない。制服も似合ってたけど、仕事服も似合う。
「……だめだ」
一瞬で気づいた。わかった。わかってしまった。
私は倉上くんに釣り合うために、近づく資格を持てるように頑張った。好きでもない人に抱かれて、お金をもらって、整形して、やっと理想の顔になれた。
顔が良ければ倉上くんと釣り合えると思ってた。そうすれば全てが解決する。そう思って疑わなかった。
けど、それじゃあだめだった。こんな事をしてはいけなかった。
私は汚れた、たくさんたくさん汚れた。もう何をしても汚れがとれないぐらい汚れた。
それなのに倉上くんは何にも変わらない。誰にでも優しくて、それでいて誰よりも綺麗な人。
そんな綺麗な人に真っ黒に汚れてしまった私が近づけるはずがない。可愛くなかった時の私より資格が無い。
綺麗な倉上くんに、私なんかが近づいてはいけない。
そのことを一瞬で理解してしまい、恐怖で足が震える。もっと早く気づいていたら、途中でやめていたら、こうはならなかったかもしれない。今のこの最悪な状況にはならなかったのかもしれない。
「……これから私はどうやって生きていけばいいの?」
その一言を発するのは、私にとって酷く心を痛めつけるものだった。
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