僕はあなたが嫌いです

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僕はあなたが嫌いです

 僕が一番嫌いな時間が始まる。  その時間は学校に登校する時でも、授業中でも、休み時間でも、家にいる時間でもない。  夕方のこの時間、空がオレンジになってくるのを見ると、自然とため息が出てくる。 「壮吾(そうご)、おまたせ。帰るぞ」 「……はい」  机の上に広げていた参考書をいそいそと仕舞って、言われるがままこいつの隣を歩く。 「今日はなんの勉強してたんだ?」 「数学と歴史を」 「俺の専門外だな」  とりとめのない話を続けて歩く。  その光景は普通の生徒と教師に見えているのだろう。他の人から自分たちがそう見られてると思うと、吐き気がするほど嫌悪感が湧き上がってくる。  こいつが僕の担任の教師。その事実に酷く腹が立つ。 「はぁ……やっと今日が終わる」  こいつはいつも同じ。車に乗り込むと人が変わる。  僕には本性を見せる。見たくもないのに、毎日こいつの表と裏の顔を見ないといけない。 「お前さ、どこの高校行くんだっけ?」 「……都立高校が第一志望」  自分のクラスの生徒の志望校すら知らない。それが素のこいつ。  僕以外の生徒や先生たちの前ではいい先生を演じてるのが逆にすごい事なんじゃないかと一瞬錯覚を起こしそうになる。 「併願は?」 「……知ってるくせに」  前言撤回。  僕の志望校は覚えてたらしい。 「そっか、そうだよな、聞くまでもない。お前の家は貧乏だもんな。私立に行く余裕なんてないはずだわ」  嫌な笑い声が車の中に響く。それから聞こえるのは罵詈雑言。運転に集中してるのかな? と不安になるぐらい色んな言葉で僕を馬鹿にする。 「あんな手紙ごときで俺が大人しくなると思ったか?」  今日はこいつの誕生日。  大嫌い、とはいえいつもお世話になってるから、僕はこいつに手紙を書いた。 「僕はあなたが嫌いです。理由はご存知でしょうから書きません。これからのあなたが何をしようと、僕はあなたが嫌いです」  赤信号。僕が書いた手紙を音読してから、その手紙をびりびりに破り捨てる。 「一々文字にしなくたって知ってる」  僕はまだ未成年なのに遠慮なくタバコを吸い始める。タバコの匂いが制服についたら怒られる。またぶたれる。 「お前の母親、まだ水商売やってんの?」  否定しても、沈黙しても、何をしたって肯定になってしまう。 「もう若くないだろうに、お前なんかを育てるために苦労なこった」  僕の家には父親がいない。母一人で僕を育ててくれてる。 「あんなボロアパートに暮らしててしんどくないの? 俺だったら死ぬわ」  お前だって昔はそのボロアパートに住んでたくせに。お前が隣の部屋に住んでなかったら、今頃僕は違う人生を歩めてる。 「どうせまだ母親に叫ばれてぶたれて過ごしてるんだろ? ヒステリックな母親を持つのは大変だな」  大変なんかじゃない。  僕は母親に感謝してるし、大好きだ。僕が叩かれるだけなら、それで母親の気が晴れるなら、僕は死んでもいい。 「自分の子供をぶつくせに心配性も拗らせるんだから、めんどくさい母親だよな。お前なんかを毎日家に届ける俺の気持ちも考えて欲しいわ」  お前なんかを家に届ける。こいつにとって僕は荷物と同じらしい。 「お前は何言っても言い返さないからいいわ。いいサンドバッグだわ。そこだけは褒めてやるよ」  自分で言うのもなんだけど、僕は普通の人より我慢強いと思う。  小さい頃から母親に何を言われても、されても、母親が興奮しないように何も言わずに過ごしていた影響なんだと思う。  だから、嫌いなはずだった勉強も我慢して続けた。我慢して我慢して我慢して、気づいたら学年一位になるほどになった。 「着いたからはよ降りろ。俺のクラスに学年トップがいるって評判いいんだから、勉強ちゃんとしろよな」  我慢するのはなんとも思わない。なんにも苦しくない。  けど、 「昨日、母親から前に使ってたスマホをもらったんです」  僕はポケットに入れてたスマホを取り出した。  電波の繋がってないスマホに使い道はない。みんながスマホで使うのは電波の必要なSNSやゲームばかり。でも、僕が使いたいのは電波のいらない機能。 「今日は先生の誕生日でしょ? 僕からの誕生日プレゼントはあの手紙と、それからこれ」  スマホの画面を見せるとこいつは一瞬だけ顔を曇らせたが、直ぐにいつもの涼しそうな顔に戻る。 「なるほど……何にもできないガキだと思ってたら、知らぬ間に少しは成長してたらしいな」  スマホの画面には録音機能が映し出されてる。 「学年トップの優等生が規則を破ってまで俺の本性を記録した。その勇気は称えてやろう」  教室から今までの僕たちの会話の全てを録音していた。この音声を母親に、クラスメイトに、他の先生たちに聞かせたら、こいつはあの学校に居ずらくなる。  そしたら、自主的に僕から離れてくれるはず。 「俺をなめないほうがいいぞ。それぐらいで俺が困るとでも?」  僕を挑発したって無駄だ。だって僕は、お前の弱みを握った。これがあれば僕が優位にたてる。 「それで? これからどうするんだ?」  僕がにやりと笑うと、こいつは俺より楽しそうににやりと笑い返す。  その涼しい顔が僕のせいで歪むのを見るのが楽しみだ。
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