もどるな。

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もどるな。

「じゃあ、今日は四丁目の付近で配布よろしく」 「えええ…………」  担当者の人に電話でそう言われた時、俺は心底げんなりした。  俺の仕事は、住宅販売会社のチラシを配ること。いわゆるポスティングスタッフというやつだった。床の上に積み上がった大量のチラシ。これを、あの面倒臭い場所で配らなければいけないかと思うと心底げんなりしてしまう。確かに会社としては、いつも同じエリアばかりでチラシを配られてしまっては困る、違うところでも会社の宣伝をしてくれと言いたい気持ちはわからないことではないのだが。  この会社のポスティングスタッフには、大きく分けて二種類ある。一つはマンション担当、もう一つは戸建担当だ。マンション担当は、マンションや団地などを回ってポストに入れるのが仕事。戸建は文字通り、一戸建てを回ってポストに投函するのが仕事だ。当然、マンションや団地の方が大量のチラシを簡単に撒くことができるので、一枚あたりの単価が低く設定されている。戸建の方が数枚撒くだけでもかなり歩き回らないといけない事情から若干金額が高い。といっても、一枚二円とか三円とか程度の差でしかないのだけれど。  どちらの方が大量に稼げるのか?は担当エリアによる。俺は戸建とマンションの両方をやっていて、マンションをメインに回ってきたタイプのスタッフだった。が、最近は戸建をやってくれる人員が少なくなったとかで、戸建をやる枚数を増やしてくれとお願いされてしまったのである。戸建の方が体力気力を使う。あまり気が進まなかったが、これも仕事と割り切る他ない。 ――いやわかってる。わかってるけどさあ。  それでも、元々気が乗らない仕事。さらに四丁目メインで、と言われてしまっては余計気が重くなるのも無理からぬことではあるのだ。しかもよりにもよって、別のところに撒くつもりで駅を降りたところで指令が入るなんて、少々理不尽だとしか言い様がない。戸建をやるつもりでそのためのチラシは三百枚持ってきているが、今日は六丁目の方向を配るつもりでいてルートも計算してきていたのだ。急に四丁目、などと言われたら、どの道を歩くかなども再度計算し直さなければならなくなってしまう。  戸建もマンションも、“配っていいエリア”と言われている範囲は限定されている。
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