もどるな。

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 *** 「じゃあ、今日は四丁目の付近で配布よろしく」 「えええ…………」  担当者の人に電話でそう言われた時、俺は心底げんなりした。  戸建の方の人手が足らないから助けてほしい、そう頼まれて大変な戸建のポスティングスタッフも引き受けると決めたのは確かに俺だ。俺自身だ。そして、いつも同じエリアにばかり配られてしまっては不動産販売会社の人も困ってしまう。それもよく知っているけれど。 ――いやわかってる。わかってるけどさあ。  それでも、元々気が乗らない仕事。さらに四丁目メインで、と言われてしまっては余計気が重くなるのも無理からぬことではあるのだ。しかもよりにもよって、別のところに撒くつもりで駅を降りたところで指令が入るなんて、少々理不尽だとしか言い様がない。戸建をやるつもりでそのためのチラシは三百枚持ってきているが、今日は六丁目の方向を配るつもりでいてルートも計算してきていたのだ。急に四丁目、などと言われたら、どの道を歩くかなども再度計算し直さなければならなくなってしまう。  スタッフが一番嫌がるエリアは、一つ一つの家が離れていて長距離を歩かなければならなかったり、坂が多くて歩くのがしんどい場所と相場が決まっている。四丁目はまさにその両方の条件を満たす地域で、なるべくならあまり配る機会を増やしたくなかったのだが。 ――そりゃ、ダイエットしたくてこの仕事始めたけどさあ。そもそもデブなんだから、あんま歩かせるようなことさせないでくれよっつーか。  大学に入って半年。高校受験のストレスでお菓子を食べなくってしまい、体重が十五キロも増えてしまった俺。この仕事を始めたのは、そんな増えすぎた体重をどうにか落として、健康な体を取り戻すために他ならなかった。ポスティングスタッフというものは嫌でも長距離を歩くことになるので、ダイエットには最適なのである。加えて、俺はお世辞にも社交的な性格とは言えない。接客業なんてものが出来る自信もなかったし、金額そのものは安いとは言え、人と特に接する必要もなく自分の最良でできるこの仕事は比較的向いているものであったのだ。
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