もどるな。

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 *** 「じゃあ、今日は四丁目の付近で配布よろしく」 「えええ…………」  駅前でげんなりしながらそう返した時。俺はあれ?と首を傾げた。六丁目に配るつもりでチラシを三百枚持ってきたのに、急に電話で連絡が来て四丁目に配れとお願いされる。前にもこんな面倒くさいことがあったような気がするのだが。  蝉がみんみんと鳴き喚く、八月下旬。大量のチラシと飲み物を入れたリュックを背負い直し、俺は妙な既視感について考えていた。何だろう。ずっと、八月の終わりだなあ、ということを思っている気がする。いくらダイエットのためとはいえ、何でこうも家の個数が少なく、坂道が急な四丁目にばかり行かなくてはならないんだろうか、とも。  四丁目のエリアはずっと避けてきたはずだ。そんなに何度も何度も足を踏み入れていないからこそ、もっとこのへんにもチラシを配ってくれと催促されたはずだというのに。 ――四丁目、できれば行きたくねーんだよなあ。坂多いし……広いわりに、家が密集してねえし。  何かが、妙だ。 ――そりゃ、ダイエットしたくてこの仕事始めたけどさあ。そもそもデブなんだから、あんま歩かせるようなことさせないでくれよっつーか。  おかしい。これも、何回も同じ言葉を心の中で呟いたような。 ――体力、もつかなあ。つか、四丁目だったら百枚ちょいしか配れないんじゃなかったっけ。……遠回りして六丁目の方にも寄って、残りは捌かないと駄目かあ。持って帰ったらもったいないし、意味ないし。  線路沿いの道を歩いて、息を切らせつつ歩道橋を渡り。駅前のカラオケ店やコンビニが立ち並ぶ大通りをまっすぐ進んで、二つ目の信号で右へ。そこから伸びる長い坂を上った先に、四丁目のエリアがある。  その坂がまた、急勾配なのだ。車がスリップしないいように、滑り止めの丸い凹みがついているあたりお察しである。マンションがいくつかと、少数の戸建が点在しているが、住んでいる人々は毎日この坂を上り下りしているのかと思うと実に気の毒だった。なんせ、駅へ向かうにはこの急勾配の坂道を下る以外に方法がないのだから。 「ふいいい……」  まだ一枚も配っていないのに、坂道を登りきる頃には俺は息も絶え絶えとなってしまっていた。これから配布本番だと思うと、心底げんなりしてしまう。 「坂田さーん……俺もう、ここに配るの嫌だって言ったじゃないですかーもー……この坂道見てから言ってくださいよ、まったくもー……」  やっぱり、そうだ。  俺は公園のベンチに座って飲み物を飲んだことで、ようやくはっとして顔を上げた。
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