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 少し肌寒い、秋の夕暮れ。数年ぶりに幼なじみと再会する無人駅には、死んだ水のにおいが漂っていた。 「久しぶり。元気だった?」  数年ぶりに再会する幼なじみは、誰もいない改札をくぐるなり無邪気に微笑んで、私の手を取った。私はただ一言、機械的に「うん」とだけ答え、静かに目を逸らす。どうしてもそう言わなければならない気がして、死ぬほど憂鬱な本当の自分を思考の隅へと追いやった。 「瑠衣……動画見たよ。大変だったね」  話の矛先を逸らすように、私は彼女の抱える問題に言及した。何の面白味もない私の話なんてどうでもいい。そういうことにしたかった。 「……いいよ。ちょうど休みたいと思ってたとこだし」  昔から絵に描いたような自由人だった瑠衣は、高校を卒業後、大学には通わず東京でアルバイトをしながら動画投稿者として生計をたててきた。投稿を始めてわずか一年足らずで事務所と契約を結ぶまでにファンを増やし、沢山の人が彼女に注目し始めていた。 「今時、炎上なんて誰にでもあることだしね。瑠衣の気の済むまでいればいいよ」  視聴者に暴言を吐いて炎上し、批判が殺到したため事務所から活動休止を言い渡された。そう聞けば、誰もが自業自得だと嗤うだろう。それでも、私は全く瑠衣を責める気にはなれなかった。  私は瑠衣を愛車の助手席に乗せ、近くのファミレスへ向かった。店内は日曜にも拘わらず閑散としており、高校生のアルバイトと思わしきホールスタッフが暇そうに突っ立っていた。私たちは特に話し合うわけでもなく、当たり前のように西日の差す窓際の席に腰を下ろした。入り口から真っ直ぐ進んだ一番奥の、海が綺麗に見える席だ。  学生時代、よく帰りがけに二人でこの席に座り、フライドポテトを摘まみながら海に沈む夕日とSNSのタイムラインを交互に眺めていた。高校は別々だったが、帰りに最寄り駅でばったり鉢合わせして以来、しょっちゅうここで時間を潰しすようになった。親には図書館で勉強していたと嘘をつき、特別な時間を楽しんだ。  もう二度とあの時の光景が再現されることはないと思っていただけに、胸の奥が締め付けられるような感覚が押し寄せる。それは感動でも懐旧でもなく、もっと薄暗い、何か別の感情のように思えた。  何故、今更こんなところへ来てしまったのか。何故、今の私が瑠衣との再会を望んだのか。自分でもよくわからなかった。そしてもちろん、瑠衣が再会の相手に私を選んだ理由もだ。彼女には会いに行く友達なんて腐るほどいたはずだ。それなのに、何故よりによって――  秋の夕日は既に地平線の向こうへ沈み、茜色の光が扇状にぼんやりと広がっている。夕飯にはまだ少し早い。私は店員に声を掛け、ドリンクバーを注文した。 「それにしても、まさかここまで事が大きくなるとは思わなかったなー」  グレープフルーツジュースを飲みながら、瑠衣は不貞腐れたように言った。彼女の口の端でストローが潰されている。昔からの癖だった。 「詳しい事わかんないけど、アンチと喧嘩したんだっけ?」 「うん。罵倒されたから、倍の言葉で返してやろうと思って。そしたらやりすぎちゃった。性格悪いからさ、クソ意地悪な言葉をぽんぽん思いついちゃって。私は悪くないって言ってくれる人もいるけど、あれはさすがに悪いこと言ったなって自分で思う」 「何て言ったの?」 「とても言えないよ。もう削除しちゃったし。自分でもびっくりしたよ。まさかあんな言葉を他人に向けるなんて。……なんかさ、自分はもっと冷静で、大人な対応ができると思ってたから」 「わかる。うまく立ち回れると思うよね。でも意外と子供だったりする。自分も、周りの人たちも」  私も苦いコーヒーを飲みながら、知ったような口ぶりでそれっぽいことを言う。 「周りもかぁ。まあ……確かに。毎日毎日大人げない悪口メールが届くよ。早く死んでほしいんだってさ。私に。私の暴言が許されなくて、どうしてお前らの暴言が許されると思ってんだって言ってやりたいけど、ああいうのは結局放っておくのが正しい対応なんだろうね。向こうは言いたい放題だけど、こっちが言えることなんて限られてるし」  瑠衣はコップの底に残った氷の間にストローを入れ、最後の一滴まで飲み干そうとしている。 「もし、ホントに私が死んだら、あの人たち喜ぶのかな。それとも焦るのかな」  瑠衣のらしくない言葉に、私の心臓はびくりと跳ねあがった。 「やめてよ。ただの反応見て楽しみたい暇人でしょ。気にしなくても、ほっときゃそのうち消えるよ。叩けるなら相手は誰だっていいんだから」 「別に大丈夫だよ。本気じゃない。正直あの一件があってからさ、自分のアンチに対してそんなに傷ついたり恨んだりしなくなった。実は前からちょっとだけ思ってたんだ。自分も同じ事をすれば相手を恨めなくなるんじゃないかって。まあ、やりすぎちゃって今に至るんだけど……」  暫くの間、会話が途切れ、奇妙な沈黙が生まれた。私はおもむろにメニュー表を広げ、頼むつもりもない期間限定メニューを意味もなく読み上げたりした。昔から異様に沈黙が怖かった。相手が何を考えているかわからないうえに、自分はあれこれといらない考え事をしてしまう。次は私が質問される番だろうか。彼女は今の私についてどれだけ知っているのだろう。  しかし、瑠衣は特に何も聞いては来なかった。静かにメニュー表に目を通すと、「ハンバーグにしようかな。フライドポテトも頼む?」と言って目線を合わせてくる。カラコンでやや拡張された黒目に不安げな私の顔が映っている。 「どうしたの?」 「別に。私はスープパスタにする。ポテトも頼んでいいよ」  誤魔化そうとすると、どうしても早口になる。いっそ質問攻めにしてくれたらいいのにとも思ったが、同時に今の自分の状況について誰にも知られたくないという思いを拭いきれずにいた。
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