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じいちゃんから教わったこと(手を合わせる)
じいちゃんは、見えないものが見える人だった。
いつからそうだったのか、詳しいことはわからないが、見えないものが見える人だった。
子どもの時、いたずらすると、実際は見てないのによく叱られた。
見えないものが見える人だった。
だから、じいちゃんがこわかった。
じいちゃんは、お寺の住職と易(占い)で生計を立てていた。8人の子どもがいた。
昔は子だくさんの家族が普通だったのかもしれないが、じいちゃんとばあちゃんはよく頑張ったと思う。
じいちゃんが死んで、お寺はじいちゃんの息子(おじさん)が継いだ。じいちゃんの息子も、見えないものが見える人だった。
僕は、見えないものは見えない人だ。じいちゃんやおじさんのような不思議な力はない。
けれども、後継者のいないお寺を継ぐことになった。
毎日、修行しても見えないものは見えない。僕の人生は、これで良いのだろうか。
神仏に手を合わせることしかできない僕の苦難は始まった。
「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」
見えないものは見えないが、僕は今日も「南無妙法蓮華経」を唱える。いつの日か、見えないものが見えるのか。
でもきっと、見えるか見えないかは重要ではない。手を合わせることが大事なことだ。
それから何年か経ったある日、僕は大病をした。けれども助かった。生かされたのだ。
僕の寿命はいつ尽きるのか。それは誰にもわからないが、いつかは死ぬのが人間だ。
だからきっと、いつ死ぬかは問題じゃない。どんな人生を歩んだかが、きっと重要なことだ。
僕は見えないものが見えない。手を合わせて、世界平和と家族のしあわせを願う日々だ。
「じいちゃん、僕のこたえ(人生)は正しいかい?」
僕は今日も手を合わせて「南無妙法蓮華経」を唱える。
「じいちゃん、ありがとう。」
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