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吉太郎
もう一人のじいちゃん、祖父のことを書こうと思う。
大正生まれ。小さいころ、関東大震災を経験し、戦争を生き残った、じいちゃん。
お馬さんと縁があり、騎馬隊だったらしい。
そのせいか、競馬が好きだった。
時々、万馬券を当てると、よろこんでいた。
大当たりすると、ごちそうしてくれることが多かった。
じいちゃんの競馬好きは、頭の体操と、儲かったお金は孫たちに遣うためだった。
決して、自分のためだけでなかった。
話を戦争経験に戻すことにする。
騎馬隊だった、じいちゃん。
「2回、銃弾に倒れた。」と言っていた。
手術は、麻酔もないようだったらしく、じいちゃんは運が良かった。
射(撃)たれた場所がラッキーだったようだ。
命に別状はなかった。
じいちゃんは助かった、生かされたようだ。
「大砲を射(撃)っていた。」と、じいちゃんに聞いたことがある。
「戦争はだめだ。平和な、今が、しあわせ!」と、よく言っていた。
それを僕は覚えている。
そんな、じいちゃんを、時々、僕は思い出す。
戦争を生き抜き、草履の職人となった。
昔は、洋服でなく、着物の方が多かったらしい。
雨が降ると、草履が濡れる。
草履をカバーするビニールを自転車で売り歩いていたようだ。
当時は、随分、売れたようだ。会社は、かなり、儲かったそうだ。
じいちゃんは、ただの職人だったが、会社の方たちに頼りにされていた。
病気をして会社を辞めるまで、真面目に働いた。
僕たち、孫のために、稼いでくれて、いつもかわいがってくれた。
じいちゃんとの思い出は尽きない。
じいちゃんを悪く言う人を、僕は聞いたことがない。
大正、昭和、平成という激動の変化を生き抜き、いつも穏やかで、笑顔で、元気だった。
清貧(せいひん)な方だった。
若いころは知らないが、信心深く、神々に愛された方だったと思う。
仕事を辞めるきっかけになった大病は、くも膜下だった。
当時は、ほとんど助からなかったのかもしれない。
トイレで倒れたじいちゃんを、たまたま帰省していた、じいちゃんの娘が見つけて、直ちに救急車で運ばれた。
爆発的な痛みは一瞬おさまったかに見えだが、ご縁あって救急病院から別の病院に転院した。
そこで、第二の爆発があったようだ。
手術は無事に成功し、治療のためのネジだか、ピンだか、クリップだかが、頭に入ったサイボーグ(人造人間)じいちゃん。
神々に生かされた、じいちゃんだった。
じいちゃんの奥さん(妻)、僕の祖母は、僕が生まれたときには、あの世だった。
僕は、じいちゃん子だった。
僕は初孫ではなかったが、じいちゃんと同居していたので、内孫の長男として、ほんとうに愛されていたと思う。
もちろん、僕の弟たちも、じいちゃんは、分け隔てなく、かわいがってくれた。かわいがってくれていた。
孫たちは、じいちゃんが大好きだった。
じいちゃんが死んだとき、皆が、大勢の方々が、悲(哀)しんだ。
けれども、天寿を全うした、じいちゃんを、僕はとても誇りに思った。
じいちゃんの生きざまは、僕たちに、何かを教えてくれた。
僕にとっては、最後の最期まで、懸命に、生き抜く人間の強さを、じいちゃんは、生きざまで教えてくれた。
じいちゃんは、間違いなく、成仏したと思う。
じいちゃんは、そっと、僕たちを、いつも見守(護)っていて、困ったときには、守(護)ってくれている。
僕が、7年前に死にかけたとき、じいちゃんが助けてくれたのかもしれない。
じいちゃん、ありがとう。
僕は、じいちゃんを忘れない。
じいちゃんみたいな、じいちゃんになりたい。
吉太郎の孫だから、僕の名前は、大吉。
大吉のルーツは、じいちゃん、吉太郎さんだ。
見えないものが見えた、じいちゃんと、吉太郎じいちゃんのおかげで、僕も、生かされた。
僕は、今日も生きる。
心を強く、生きる。
じいちゃんたちに感謝!
じいちゃんたち、ありがとう。
生きてて、よかった。
生かされた命が尽きるまで、僕は、神々につかえて、生きる。
神々が喜ぶこと、ご恩を返し、生きる。
生き抜く。
僕は、今日も祈る。
世界平和
宇宙天地和合
いつもありがとうございます。
わたしが関わった、関わっている、すべての人を御守(護)りくださいませ。
南無妙法蓮華経
南無観世音菩薩
南無金龍
アーメン
合掌!
愛をこめて
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