青春編/第一章『大良河原の戦い』

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青春編/第一章『大良河原の戦い』

 時は遡り、弘治二年【一五五六】卯月【四月】の二十日の美濃。長良川南岸に斎藤新九郎義龍、北岸に斎藤山城守道三が布陣した。此れが長良川の戦いの始まりである。 事の発端は前年の天文二十四年【一五五五】神無月【十月】の二十二日に斎藤山城守道三の長男である新九郎義龍が、弟の孫四郎龍重と喜平次龍之を暗殺した事である。元々、新九郎義龍は山城守道三の妾である深芳野の子である事に対して、孫四郎龍重と喜平次龍之の母は山城守道三の正室である小見の方であった。その為、山城守道三は孫四郎龍重と喜平次龍之に家督を継がせる、としていた。然し、美濃の守護である土岐氏の追放や他国からの侵攻によって美濃三人衆らを始めとした重臣らの信頼が得られず、領国経営に支障が出てくると、山城守道三は新九郎義龍に家督を譲り隠居した。此れにより、山城守道三側の家臣が新九郎義龍側に傾き始め、山城守道三は「美濃の大躻」と断じたりして新九郎義龍側に付いた家臣を呼び戻そうとしたり、孫四郎龍重や喜平次龍之らを擁して新九郎義龍を守護代より引き摺り下ろそうとした。 此れに不満を持ち始めた新九郎義龍は、弟の孫四郎龍重と喜平次龍之を暗殺したのである〔諸説あり〕。そして今、長良川の端で狼煙が上げられた。 長良川で奮戦する山城守軍の後方で床机に座して「二頭波頭立波」の道三流斎藤氏の家紋が記された采配を振ろうする此の山城守道三は、家臣である加藤弾正右衛門兵衛清忠より報を受けた。 『加藤弾正右衛門兵衛、山城守様に此処に御報致します。敵勢二千が織田上総介様方に向かっているとの事。』 尾張の守護代織田上総介信長が岳父の山城守道三を(すく)う為に美濃長良川へ向かって居るのに対して、新九郎義龍が兵を遣わせた、という弾正右衛門兵衛清忠の其の報が山城守道三の耳の中に漂うと、稲妻の様な迅速な驚愕によって双眼を何度も瞬かせた。そして、凝と思考を巡らせて長良川の軍兵を目に入れた。 『其方に百の勢を託す故、何としてでも上総介殿を敵軍より護り抜くのじゃ。』 山城守道三は双眼を火の輪の様に光り輝かせ、決死の面貌で弾正右衛門兵衛清忠に下知した。
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