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このささやかな願いを
「神様、お願い。今すぐ私を殺して」
煙草の煙を吐いてから、私は静かに言った。
目の前の灰色の壁に彫りこまれた神は、どんな人の願いも叶えるという。その証拠に、壁の下には鮮やかな花々に溢れ、いかにもこの世ならざる雰囲気で私を迎えている。供え物の酒瓶もあるぐらいなのだから、噂は本当なのだろう。
ビルの谷間の薄暗い裏路地。
今は夜と呼ばれる時刻だが、昼間だろうとこの薄暗さは変わらない。
見下すようなサーチライトと共に、低く厚い雲に反射したネオンの濁った光が辺りを照らす。光の当たっていない、元が何か分からないような廃材やゴミの山の影は、虫食いの穴のような闇に落ちていた。
遠くでは悲鳴のような嬌声と、救急車両のけたたましいサイレンが鳴り響き、私の呟き声など簡単にかき消してしまう。それで構わないと思った。
別に生きている誰かに聞かせたいわけじゃない。
神様っていうぐらいなら、きっとどんな小さな声だった聞こえている。人間には出来ないことをやって見せるからこそ、神様なんだし。
「何とか言ったらどうなの? 居るフリ? それともホントはもぬけの殻?」
「いやぁ……それはさすがに、神様なら何でも聞けるってモンじゃ、ないんじゃない?」
不意に軽い男の声が降って来て、私は顔を上げた。
今の今まで人の気配も影も無かったというに。
けれどそれは私が「誰もいない」と思い込んでいただけだったのだろう。そもそも、人に聞かれて困るものじゃないから、入念に周囲を確認したわけじゃない。
男は斜め上にぶら下がる鉄骨の非常階段で、小さな瓶を傾けながら見下ろしていた。
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