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5話 ご飯はミルク粥
「湯浴みは済ませたのか、リデル」
「あぃ!」
「……」
お風呂から上がると兄のヴェインが廊下で待っていてくれた。全部自分で面倒をみせること!と両親から言われていても3歳の弟が心配なのだろう。
その点、父も母も顔を見せない辺り、騎士の家系としての振る舞いを徹底している。
修行なんか始めたら、獅子は我が子を〜とか言って本気で俺を谷に落としそうだ。
「まだ髪が濡れたままじゃないか。相変わらず、侍女の手を借りないのだな」
「あぅ…」
だって、侍女に髪を乾かせさせたら香油やら何やらを塗りたくられて何時間も拘束されてしまうんだぞ。無理無理、絶対逃げる。
「ほら、兄様がやってやるから」
ヴェインが俺の前髪を優しく払いながら、ほっぺを撫でた。湯上りの肌に兄の冷たい手は、ひんやりして気持ちが良い。
思わずうっとりと目を瞑って寝てしまいそうになる。
「抱っこするか?」
「んー……」
抱っこ。なんたる誘惑。
でも、ダメダメ。俺はまだ寝れないのだ。
この子にご飯を食べさせてあげなくちゃ。
「ありがと、でも、」
「でも?」
「ゴハンあげゆ」
「………あぁ、そういえばいたな」
「……」
いましたよ、兄様〜。ずっと、俺の後ろに立っていました。
黙っているから影薄いけど、図体はここにいる中で一番大きいから。そんな冷たいこと言わないであげて!
「お前、言葉は分かるのか?」
「………」
ヴェインの質問に少年はうんともすんとも答えない。じっと下を向いたままだ。
「フン、シリアルベートは気位が高いと聞いたが本当のようだな。まぁ、いい。
僕は、リデルを部屋に連れて行くからお前もついてこい」
「え、にぃさま…?」
「疲れたのだろう? 素直に兄様に甘えなさい。
部屋まで抱っこしてやろうな?」
「え、でもでも、ごはん」
「食事なら部屋に運ばせるさ。どうせ、コイツも碌な作法を身に付けていないだろう。
そんな奴を母上父上と一緒の食卓に座らせるわけにはいかない」
うーん、ちょっと言い方は厳しいけれど一理ある。いきなり皆と一緒に食事じゃ彼も緊張しちゃうかも?
「ん、わかった」
「いい子だな」
チュッと鼻にキスされて、そのまま抱き抱えれられた。やっぱり3歳児相手だと恥ずかしいこと普通にやるよなぁ…。
チュッチュ、チュッチュと事ある毎にキスの嵐だ。
「かわいいな、リデル」
「んー………ん、ん」
でも、口にするのは控えてほしい。
中身が子供じゃない俺としては、結構複雑な気分だ。
※※
部屋に着いて俺を優しくベッドに降ろすと、ヴェインは「食事を用意してくる」と言って部屋を出て行った。
「……」
少年は、部屋の隅のカーテンにくるまって隠れてしまった。プルプルと影が小刻みに揺れている。
俺みたいな3歳児にまで脅えるなんて…。
よほど恐い思いをしたんだな。
どうしたら、彼を安心させてあげられるんだろう……?
暫くして、ヴェインが2人分の食事を持ってきてくれた。
子供の食事にしては豪勢な料理が銀の食器に盛り付けられている。もう一つのトレーには、離乳食のような粥が用意されていて、多分こっちが少年用だ。
「いきなり人間の食事は胃が慣れないだろうから、パンをミルクで浸したミルク粥を用意して貰った。数日したら、僕達と同じ食事をとれるようになる」
「おにくとか?」
「あぁ、肉や野菜、なんでもな」
ヴェインは犬が嫌いみたいだが、こうやって細やかな配慮をしてくれるあたり、やはり育ちの良さが伺えるな。
侍女ではなく、ヴェインが食事を運んだのも少年を気遣ってのことだろう。
「ところで、もう名前は決めたのか?」
「なまえ?」
「犬の名前だ。名前が無いと不便だろ?」
名前って、俺が付けるもんなのか?
生まれたばかりでもないんだから、元々の名前があってもいいように思うけど…。
「名前は、使役する上で大切なものだ。
一度付けたら簡単には変えられないから、ちゃんと考えるんだぞ?」
「あぃ」
「………はぁ、しかし本当にアレは厄介そうだな。早く食事を与えて、リデルも早く寝なさい。明日、父上からお話があるそうだし」
「おはなし?」
「もうすぐ、4歳の誕生日だしな。修行とかそのあたりの話ではないか?」
う、うげ〜〜?!修行、ついに修行なんてもんが始まっちゃうのか!?
やだやだ、俺運動したくないっ!!!
「うぅ〜…」
「そう心配するな。兄様だってお前の年くらいには始めていたんだ。僕ができるなら、リデルなら楽勝だ」
いいえ、それは違います兄様。
貴方、自分のお姿を鏡で見たことありますか?普通のお子様じゃないですよ。
なんですか、そのしなやかな筋肉?!
それにひきかえ、俺の貧弱さたるや普通の3歳児さもあらん的な体型ですから!
見て! このまん丸ぽんぽこを見て!!
「よしよし」
ちょっと涙目になったら、撫で撫でされました。やらなくていいとは言ってくれないんですね。
「それじゃあ、僕は部屋に戻るな」
「ぁぃ」
「おい、お前! 僕の可愛いリデルに何かしてみろ、ただじゃおかないからな!」
ヴェインが突然大声を出したので、俺も少年もビクゥッと体を震わせた。
「に、にぃさま!こわがるっ」
「恐がるように言ったんだ。あまり隙は見せてはダメだぞ? それじゃ、また明日」
パタンと扉が閉まり、俺は溜息をついた。
恐がったら、懐かないと思うんだけどなぁ…。
さて、ご飯をあげなくちゃ。
普通に呼んでも絶対来ないだろうし、お皿とスプーンを渡しても使い方が分かるとは限らない。それに獣人って猫舌なんだろうか?
犬だから猫舌ではないのか? 犬舌?
「ごはんだよ〜」
「……」
はい、無視。分かってた。
俺はお皿とスプーンを持って、ゆっくりカーテンの前まで近づいた。
クンクンと鼻を鳴らす音が聞こえるので、お腹は空いているみたいだ。
「おいちーごはんだよ〜」
カーテンの外側に座り、ミルク粥をスプーンで掬ってみせる。ふんわりとミルクとパンの甘い匂いが立ち込め、俺のお腹がキュウキュウと鳴った。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ…」
ふぅふぅと息を吹きかけ、ミルク粥を冷ます。ひとくち口の中に入れれば、甘く温かい味が口いっぱいに広がった。
「おいち…」
「………」
クンクンクン……。
お、さっきよりも鼻息が荒くなった。
「ふぅーふぅー、あむ…あーおいちーねぇ〜?」
クンクンクンクンクンッ……!
「かーてん、あけるよ〜?」
「………ッ!」
あ、すごいヨダレ。自分の指を咥えているせいで、指までベタベタだ。
一生懸命、食べたいのを我慢してたのか。
「たべゆ?」
「………ッ!」
「おぃちぃ〜」
「………ッ……ッ」
スプーンでふぅふぅしてから彼の口元に運んであげる。しかし、警戒した面持ちで鼻をヒクヒクさせただけで口は開けてくれない。
ふぅふぅ、ぱくり。ふぅふぅ、ぱくり。
少年が食べてくれないから、その度にミルク粥が俺の口の中に消える。はたから見たら、まるで意地悪しているみたいだ。
「ッ………!」
「わっ?!」
ガチャンッ
我慢の限界に達した少年が俺の手から皿を床に叩き落とした。そして、そのまま皿に顔を突っ込んでミルク粥を啜ろうと舌を伸ばした。
「だめっ!」
そんなことしたら火傷するだろ!
「…………ッ!」
少年がヒンッと鳴いて、ミルク粥を吐き出した。顔が真っ赤で涙目である。
「あちゅちゅ、だしょ!
はい、あーーんよ。あーーーん」
俺は自分の口を大きく開けてみせる。
訝しげにだがちろりと口を開けてくれた。
よーしよしよしよし、そのまま開けておいてくれよ〜? 今、冷ましてやるからな?
「ふぅー、ふぅー、……あい」
「………」
少年の口に直接ミルク粥を食べさせてあげる。ちょっとだけ舌を伸ばして熱くないか確かめた後、ぱくりと飲み込んでくれた。
「おいち?」
「………」
俺の問いには答えずに、ぱかっと無言で口を開ける。
はいはい、おかわりだな?
待ってろ、ふぅふぅするから。
「ふぅ、ふぅ、……」
「………」
何度か繰り返し食べさせてあげて、最後にはペロリと一皿まるごと完食してくれた。
ずっと食べさせていたので、俺のやわ腕はすっかり疲れてしまった。
スプーンって、意外と重いんだな。
「…」
少年がコテンとその場で丸くなった。
「え、」
そのポーズはまさか、ここで寝るのか?
床だぞ。固いぞ?冷えるだろ?
ベッドがあるんだから、そっちで寝たほうが……
「ベッド…」
「………ふッ」
あー嫌なの?ここがいいんですか?
でも困ったな…風邪ひいちゃうじゃん。
うーんとしばらく悩んだ俺は、ベッドに走った。羽毛布団をベッドから引きずり下ろし、カーテンの前まで運ぶ。
「あぃ」
そっと布団を渡してあげれば、その中に潜り込んで丸くなる。
これなら風邪をひく心配はないだろう。
「ぼくもたべよ」
俺は、すっかり冷めてしまった自分の食事にようやくありつけた。
いっぱい食べて、俺も体力をつけないとな!
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