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summer1
夏は、地獄だ。
焦げたアスファルト、肌を焼く陽射し、香水と制汗剤で噎せ返る車内、浮かれた露出、翻るセール広告、賑わう海水浴場、被りつく野球中継、露店のかき氷、乱れた恋愛、思い出を燃やす送り火。
湿度とともに、じっとりと肌に纏わりつき、しかし、ひと吹く風で全ての不快感が浚われる。
希望と絶望が不均等に編まれた“夏”という季節を、世界の中で感じる時、俺は今すぐに喉を裂いてしまいたくなる程に、地獄を、感じる。
しかし、裂いてしまえるだけの勇気がないことは、とうに、知っている。
* * *
俺は開け広げた窓のサッシに肘をつき、座ったまま身体を深く壁に預ける。
外界に投げ出した腕は、ほのかな風を感じ、しかし、涼しくはない。
ぐったりと熱さに沈んでいると、鈍った頭に響く声が俺を呼んだ。
「おい、トミセン!」
聞こえなかったのか、聞こえないふりをすると決めたのか。
当然、後者の強い意思でもって俺は、深く瞼を閉じる。
「無視すんな、ゴラァ」
怒気を孕んだ語尾と同時に、俺の頭に拳が落ちた。
サッシについていた肘が、勢いに任せてめり込んだ。
他人の目には触れない、恐らく自分だけが感じる、至極地味で痛烈な一撃に、ぐわっと身体を起こした。
「痛って!」
座っていた椅子が、やけに大きな音を立てた。
それを合図に、くすくすと笑い声の波紋が広がっていく。
「いつまでサボってるつもりだよ、もう授業終わんぞ」
ついこの間までむさ苦しい学生服に覆われていた男は、今はすっきりと夏服に衣替えし、眩しいくらいの白シャツを着る。
反して、薄く焦げた肌の褐色が、精悍な雰囲気を見せている。――ような気がする。
俺は小首を捻る理由である、赤茶色の髪に、弾みをつけて手を乗せた。
「お前は俺のサボりを指摘する前に、髪の色何とかしろ。指導入っても知らねーぞ」
そのまま、がしがしっ、とたわしで擦るように撫で回してやると、
「ちょっ、崩れる!」
と、慌てたように首を竦める。
「この、くるっくるな癖っ毛で何言ってやがる」
「まじで、やめろって!」
ジタバタと身体を捩り、俺の腕から逃げおおせた男が、軽く息を乱しながら、俺を指差した。
「つーか! 今そんな話してねーだろ、論点ずれてる!」
「お前、難しい言葉知ってんな。よしよし、そんなら期末も安心だな」
「俺達、高二だっつーのッ」
「堂々とした若さアピールだな、俺に喧嘩売ってんのか? ……まあ、いいや。お前ら、全員小テストはできたかー」
はーい、と、高校二年生という難しい年頃の割には少しばかり幼く、やけに統率の取れた挙手だったので、俺は小さく頷き、目の前の男に指を差し返した。
「おら、古河。号令するから席着け。――終わったら、全員のテスト回収して、生物学室な」
「何で、俺!」
「一番、元気が有り余ってそうだから」
問いには、端的かつ正確に回答してやる。
再び、噛みついてきそうな気配を感じたが、被さるように鳴ったチャイムに、渋々、自席へと戻り、クラスメイト達に倣って起立する。
爽やかな夏服に身を包んだ男女が一様に俺と向かい合い立ち、当番の号令を待つ。
人数にしては三十数名、何の変哲もない、ただの高校二年生の男女達。
一年前とは見違え、すっかり自分の着こなしが確立している夏服姿。
不揃いで、身の丈の成長もまちまちで、交わす瞳一つ一つに映る色も違う。
奥底で揺れる瞳孔の危うさは、まるで心の闇でも照らし出したような。
抱えている闇の深さもそれぞれ異なるのに、規律に従い起立するこの瞬間だけは、ぴたり、と呼吸が合う。
整然とした美しさが、愛おしく、そして、ひどく憎かった。
「ありがとうございました」
終業の挨拶で一礼する。
止んでいた空気が、ぶわり、と圧縮を解き、散開する。
俺は教材一式を脇に抱え、教壇を降りた。
教室を出る刹那に振り返り、不本意そうな赤茶色に声をかける。
「古河。生物学室に入る時にはきちんと、『富岡先生』って呼ぶんだぞ?」
意味を理解した途端、髪色と同じ色に顔を染めた男に笑って、俺は扉を閉めた。
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