職業小説家

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 僕が職業として小説家を選んだ理由かい? それは、単純に教師という職業が嫌になってしまったからだよ。  僕は元来、人にものを教えるということには向いていないんじゃないかと勘付いてはいたんだ。しかし、僕が出来ることと言ったら、教師くらいしか無かったからね。句を書いてもそれほど注目を受けた訳ではなく、漢詩に至っては、既に書く人どころか、読み手すら絶滅の危機に瀕している。結果として、自立して自分の世帯の経済を維持していく為には、教師を続けるという選択肢しか無かったのだよ。  教師については、向いているとは到底思わなかったし、どうも生徒が、怠けていたり真面目にやっていないのを、僕は許容できる人物では無いようだったね。え? 評判を聞いたが、生徒の授業の評判は(すこぶ)る良かったと? そうさね。それは噂話として、僕の耳にも入らないことは無かったけれども、どうもその事、自分の評判だったり、そういうことが良好であっても、自分が教師を続ける、僕自身のモチベイトを保ち続ける、決定的な動機に至らなかったことは確かなことだ。(もっと)も、その評価を耳にしなければ、僕は教師なんぞとっくに辞めてしまっていたのかもしれないけれども。しかし僕は、今振り返れば、教師を辞めたら一体何をしていたのか、何も出来ないと分かっていたからこそ、教える場所を変えてでも教師という職業に捉われ続けていたのだろうね。  職業小説家になったことは、これは池辺くん(*1)の手腕さ。何しろ僕自身が半信半疑だったし、後で聞いた話だと、東京朝日新聞でも、断ってくると思う見込みで、交渉したのだとさ。しかし池辺くんは、こちらの要望を全て呑んだ上で、「それでも不安なことがあったら、何でも仰って下さい」とまで言ってくれたんだ。ここまで請われたら、受けないわけにはいかない。その前に「日本」や「読売」あたりからも、声はかかっていたけれども、あんなに熱心だったのは、東京朝日……というより池辺くんしかいなかったね。僕も相当に驚いた。だけど結果的に、東京朝日の専属の小説家になってみたら、非常に良くしてもらった。大病した時も、高額の見舞金までくれた上に、仕事を再開しようとしたところ、「友人の許可が無く仕事をさせることは出来ない」とまで言って、連載が止まることを心配しないよう言ってくれたよ。尤も、僕自身は入院先のベッドの上で、やることがなくて書いただけなのだけれども、そういう心配をしてくれることは大変に有り難いことではあったね。 (*池辺三山・東京朝日新聞主筆)  僕が、新聞社専属の小説家になってみて、何が大事かと痛切したのは、締め切りだったね。僕自身が締め切りに追われるということは、殆ど無かったことなんだけど、僕が推薦した作家の中で、締め切りに間に合わなかったり、途中で終わってしまう人が何人もいたことには、それは大変に驚いたし、仕事というものを分かっていないと思ったね。クオリティにこだわり過ぎるよりも、きちんとその日に、仮に出来損ないであっても、きちんと紙面に載せることが大事さ。小説家を職業にするなら、不出来と思うものだって、ちゃんと決まった日時、決まった場所に書いたものを載せる義務がある。その覚悟のない、「小説家」がこんなにもいるとは、全く思いもしなかったことだね! 僕だって自分で読み返したくない作品はうんざりするほどあるさ。だけれども、結果的に評価してくれるのは、発表された作品で、それを読んだ読者だからね。僕が気に入らないからって、それを「無かったこと」にするのは、どうも小説家としてそこまでやっていいのか、という懸念が残るところだ。それは今でも強く思っているよ。  小説家になって良かったこと。そうさね。人を叱る義務が無くなったことかな。もちろん、ここに来る、木曜日に集まってくるような連中には怒るようなことはあるけど、叱って正さなければいけないという日常の圧力、そういったことからは随分と解放されたかな。ただ、創作というものに、僕はちょっと楽観視しすぎていた節があった。書いていればいいのだろう、と思っていたけど、書き続けることが、どれだけ大変なことなのかまでは、僕の想像を超えるところだったね。恐らく教師だって、多数の人たちは「教えていればいい」と思っているに相違ないと思うが、その中でどれだけ大変な思いをしなければいけないのかは、これは実際にやってみないと分からないことだね。  きみが来るつい先だって、第四次新思潮の芥川くん久米くん、松岡くんといった若い連中が来ていたんだ。その中で、創作するに当たって、技巧を超えたもの、生きていく上で、主義主張を超えたもの、そういうものから解放されて、その上で創作していく、人生を進めていく、ということがあっていいのではないだろうか。そう云った観点から、文学論を僕は再び、学校にて論じてもいい、と発言したところ、彼らは沸きたってね。彼らと僕は二十四・五歳ほど離れているんだ。これくらい歳も違うと、やはりかわいいと感じるものだね。実際に教壇に立つのかって? それは朝日との契約の内容を、少し変えねばならないだろうから、すぐにという訳ではないだろうけど、反対はされないだろう。あんなに嫌だった教師というものに、再びなるのかって? ふふ。僕はもう10年程、教壇から離れているんだ。講演はたまにするにしても、こう、日々作文をしているだけというのからも、別の世界があってもいいじゃないかと思ってね! そういう天からの流れがあるとしたら、それに(あらが)わずに、それに任せてしまった方がいいと、もし教壇に立つとしたら、そういう話をしようと思っているんだ。  ところで、きみは初めて見る顔だね。どういったところからところから来た人なのかな。ーー何と。104年後から。2020年から来たと。僕のところには、だいぶん珍しい客が来ることには、それは慣れているというものの、ここまで珍しい客はさすがに初めてだね。僕の話は大分したね。次はきみから、色々話を聞かせて貰おうか。それはもちろん興味はあるさ! 何しろ僕は、現役の職業作家なんだから! (インタビュー日時・1916年(大正5年)11月9日 東京市牛込区早稲田南町7番地・夏目金之助先生宅にて) *スター特典として、余談も収録しています。
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