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旅する山犬
山犬(狼)の鬼神・因幡真神が地を蹴ります。
月の昇る方角、東へと向かい風を切って走るその様は、まるで地面すれすれを飛ぶ影のようでした。
青白橡の毛は、星々の光を浴びてかすかに光っております。
毛皮のところどころに浮かぶ浅葱色の渦巻文様は全身に八つ。
山に棲む並の狼の数倍もある体はしなやかで、弓矢よりも早く走っているのに、ほとんど足音が立ちません。
「鬼蜘蛛はひと足先に上総へ帰った。異人である胡蝶の無意識が具現化したのが鬼神だ。たとえ因幡へ来るまで数日かかったとしても、主人のいる場所へ戻るのは瞬きをする間も要らぬよ」
因幡真神はトオルに代わって、祖父母に餞の言葉をもらいました。
なでしこはとくに、孫を可愛がっておりましたので、「無理をしないように、風邪などひかないように」と、真神の首筋を撫でながらいつまでも繰り返します。
仁王丸に、「もう放してやれ。旅に出たくて、うずうずしておるぞ」と諭され、彼女はやっとふんぎりました。
「吾は矢のように飛び出した。我が主人はもう、あの場所に用はないのだ」
山犬はトオルの中におりましたので、当然ながら彼が見聞きしたこと、考えたことは全て知っております。
彼が心ここにあらずで聞き逃したことでさえも、よく存じておりました。
東下して国守の菅原一家を助けたい、月姫様をお守りしたいと思い描いた時点で、少年は故郷を飛び出して異国の空の下に身を置く定めとなったのです。
トオルの祖父母は小屋を出て、しばらくの間、東の方を眺めておりました。
山犬は振り返りません。
主人もきっと、前しか見ていないことを知っていたのでした。
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