旅する山犬

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因幡(いなば)(のくに)を出た山犬はまず宮津を目指し、一晩で若狭(わかさ)国、近江(おうみ)国を抜けました。 美濃(みの)国へ入ったところで夜明けを迎え、足を止めます。 鬼神は本来、自らの肉体を持ちながらも腹は減らず、疲れを知らぬ存在です。 理由がなければ物を食べる必要がなく、休む時は主人の影の中に隠れます。 因幡真神は特別な存在です。 トオルと体を共にしているため、鬼神でありながら(けだもの)でもありました。 「吾は飲み食いをせねばならぬし、体も休めねばならぬ。さもないと主人が死んでしまう」 山犬は人里離れた場所で清らかな湧き水を見つけると、喉の渇きを潤しました。 木の(うろ)で体を丸めます。 昼の間は人目につくため、夜を待って旅を続けるつもりです。 大きくあくびをすると、因幡真神は眠りに入っていきました。 夕べになって目を覚ました山犬は、ふたたび東へ向けて走り出しました。 東海道を避け、人気(ひとけ)のない山の中を走って美濃国から信濃(しなの)国を経て武蔵(むさし)国に入ったのは、因幡を発ってわずか2日後の夜明けのことです。 秩父へ至った因幡真神は、見えない力に引き寄せられ、霧深い山の中に立つ社の前に立ちました。 「御嶽山(みたけさん)大口真神(おおぐちのまかみ)の社であった。そこで山姥(やまうば)出会(でお)うた」 老女は妖怪の類ではなく、信心深い地元の者でした。 ただ山犬が思わず山姥と見間違えるほど骨太で、上背がありました。 かつて長いこと駿河国で武家に仕えていたのですが、15年ほど前から故郷に戻って暮らしているのです。 山犬の姿を見かけると、老女は飛び退って平伏しました。 「おいぬ様、(かしこ)くもこの年寄りの前にお出ましくださるとは」 そうして地に(ぬか)づくと、「もったいない、もったいない」と繰り返しました。
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