元旦の地震について

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元旦の地震について

 元旦、みなさんは如何お過ごしでしたでしょうか?  能登および日本海側での大地震や津波に直面された方々には、早く元の生活に戻れるよう、心よりお祈りしています。  正月、うちは妻が出勤、僕は非番だったので息子と一緒にブランチくらいの時間におせちを食べました。  その後は録画していた紅白を観ながらのんびり。髭ダンのチェスボードが好きだったので聴けて良かった。King Gnuも出て欲しかったなー、なんて思いながら。  慌てて、家事全部をやり、届いた年賀状を確認。まだ出していないので、届いたのにだけは返信をと、書き書き。  全部済んだら息子と近所の小さな神社へ散歩がてら初詣へ。ちょっと遅かったから宮司さんたちはいなく静かなもので。すると向かいから、中学の時に息子の担任だった先生が車で登場!(卒業の時、定年された)  偶然の再会に、お互い喜び近況報告。出だしからいい事がありほっこり。  その後、家に帰り車に乗り、年賀状を郵便局までレッツゴー!  息子も機嫌がよく、車内ではしゃぐと車が揺れるほど。ジャンボリーミッキーを聴くと、声を上げてよくはしゃぐ。  で、郵便局の駐車場に到着。  後部座席の息子は静かなのに車がものすごい勢いで揺れる揺れる。 「おい、はしゃぎ過ぎー」  と振り向いた瞬間、スマホからの警戒アラートが!  うわっ、地震だ。かなりデカい。周りに大きな建物はない、ここは安全だ。  するとカーナビが急にテレビ画面に。地震速報と津波、大津波警報が。カーナビにこんな機能があったことを初めて知り、アナウンサーが何度も逃げる指示を出していたことに恐怖を感じた。テレビを消そうとカーナビに変えラジオに戻すも、また強制的にテレビへ。  東日本大震災を思い出し、恐怖と涙が。  あの時は病院内で大揺れに見舞われ、取り敢えず患者を安全な位置へと。カテーテル治療中だったので、すべて抜去。いけすかない医者と一緒だったので、お互いに「お前と死ぬのは嫌だ」と言っていたっけ。  その後すぐ、緊急医療チームが東北へ。  でもその夜に長野県でも地震が。チーム不在、緊急車両もない、だから県内には人を出せず。  テレビに映る津波の画面。あれは衝撃的でした。福島で頑張っている人たちに応援するのみ。放射線技師会に「行きたい」と志願するも、「若者はダメだ。年配者だけで行く」と却下された記憶が。  頼むから沿岸の人たち逃げてくれ。寒いだろうから、安全な家に住んでる方は、その人たちを泊めさせてあげて、と願うばかり。  障害のある息子も何か異変に気づいているみたいだったので「車は大丈夫。お父さんがついているから、何も心配することはない」と。  コンビニへ寄り、好きな肉まんを買って帰宅。怖がらないように、楽しくモグモグ。紅白のディズニーメドレーをつけ、ようやくリラックスしてくれました。  ラインや妻方の親に年始の挨拶をしていなかったので、無事を伝えつつ年始の挨拶を。  今年一年、健康と安全を願います。
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