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Food chain その7
「もう、諦めたのかと思ってた」
「諦めるわけないじゃん!すっごく気になってたんだから。あれから、毎日毎日、夢に見るほどまでに、ずっと、ずーーーッと、考えてたんだからね!」
「相当、記憶の奥底の奥底の奥底の…マントル級の奥底に埋もれてしまっていたと」
ふぅん、と目を細めて目の前に座る私の顔を見る、雨宮君。
それに負けじと睨み返す私。
ここは、彼が通う大学のカフェテラス。
雨宮君と公園で偶然の再会を果たしてから、既に二か月…
それでも、やっと、思い出の欠片を かき集めて思い出した言葉。
それを伝えようと、もらった連絡先に電話したら、直接、ここに来いと言われた。
「人を呼び出しておいて、その態度はなくない?」
「呼び出すって言ったって、すぐ近所じゃん?大体、お前の女子大に男一人で入れないし、駅前のカフェとかで落ち合うよりも便利だろ」
…そうなのだ。
彼と私は、目と鼻の先ほどの距離にある大学に それぞれ通っていたのだった。
最寄り駅から大学に行く道すがら、雨宮君は、このニか月の間にも、何度か私が女子大の門を入っていく姿を見かけたらしい。
私は、全く気付いていなかったけれど。
だって…
「飲み物はおごってるんだから、文句言うなよ。で、思い出したって?」
目の前にあるコーヒーカップに手を掛けながら、挑発するような視線を向けられて、私も更に目に力を込めた。
「え、えっと、ね…あの…」
「あの?何?」
「だから、その…」
「だから、何?」
「つまり…」
「つまり…実は、思い出してない、って?」
「ち、違うって!ホントに思い出したって…ただ、これ、言っちゃったら、もう会えないのかな…とか思ったり…」
「なんで?」
「だって、さ…この答えを雨宮君に伝える為だけにくれた連絡先だったじゃん、これ…」
「ま、ね。でも、何も田中は困らないでしょ?何といっても、記憶の奥底、マントル級に埋もれているぐらいの存在だしね、俺」
「そんなことない!!」
思わず、テーブルに両手を勢いよく打ち付けて立ち上がってしまった。
周りにいた学生や先生たちが何事かと視線を送ってくるのをスミマセンと小さく呟きながら、もう一度、椅子に腰掛ける。
…だって…
このニか月の間、駅から大学まで歩いている間だって、思い出すのに一生懸命で、そのことばかりを考えてて、だから、雨宮君の姿も目に入らなくって…
思い出せなきゃ、雨宮君とは もう逢えない、って思って…
「どうしたんだよ、いきなり。びっくりするじゃん」
「だって、雨宮君がそういう言い方するから…。もうこれからも会えなくていいって思ってるんだったら、さっさと思い出した言葉伝えて、とっくに ここから帰ってる」
「田中…」
感情に任せたままの言葉。
その事を、口に出してから後悔が走る。
私の名前を口にした雨宮君の声が微妙に戸惑いの色を含んでいるのを感じてしまったから。
さっきまで目を合わせていた雨宮君の目を、今は見る事が出来ない。
「あんまり言わないと嘘言ってるみたいになるから、伝えて帰るね。私が言ったのは──」
それでも…
もう、この心から溢れ出した感情の渦は止められない。
悔しい。
このニか月ほど、私はずっと雨宮君のことばかりを考えていたのに。
雨宮君にとって、私は初恋の人。
けれど、それは、昔…小学校の時のこと。
私だって、雨宮君は昔のクラスメートの一人にすぎなかった。
でも。
このニか月で気付いたんだ。
一週間だけ付き合った優しい彼に振られたことよりも、雨宮君ともう会えないかもしれないと思った事の方がずっと悲しく感じている自分を。
だから、必死で思い出したの。
雨宮君に逢いたかったから…!
それぐらい、私にとっては、絶対に逢いたかったんだ、雨宮君に。
雨宮君にとっては、今の私は、ただの昔馴染みでしかないって分かっていても。
目が潤みそうになって、瞼に目一杯、力を籠める。
落ちている視界に、強く握り締める自分の両手が見える。
「私が、言ったのは」
一息に言おうとした時だった。
向かい側から、スッと手が伸びてきた。
そして、私の固く結ばれている両手の上に重なる。
「…合っていても、合ってなくても…、俺はこれからも逢いたいよ…田中 翼に」
思いもしなかった言葉に、反射的に顔を上げた。
そこには、これまで見たことがない表情の雨宮君の顔があった。
クールでもなく、挑発するようなでもない…真剣な表情。
目の端に映る彼の耳の辺りが少し赤らんでるのも、再会してからの雨宮君からは想像もできない。
「…私…も…。私も…雨宮 空君に逢いたい…これからも」
我慢していた涙が、ポロリと一つ零れた。
それを拭おうとしたら、少し早く雨宮君の手が頬に触れた。
「あの時は、田中が俺のことを助けれくれた…これからは、俺が田中を助けるよ」
「ダメだよ…私だって雨宮君を助けるよ」
触れていた雨宮君の手が、私の頬を軽く抓った。
「生意気」
「な、何すんの~!痛いじゃん!」
思わず、握り締めていた両手を自分の頬に当てる。
頬を抓られた痛みの涙が、薄っすら浮かぶ。
たった今までのロマンチックな空気はどこへやら。
雨宮君は小憎らしい笑みを浮かべながら、完全に私を自分の掌で転がすかのようにして からかっている。
きっと、私達は、こんな風に これからも過ごしていくんだろう。
悔しさもあるけれど、そんな雨宮君には、ありのままの自分で向かい合えるはず。
「で、思い出した言葉は?」
ついさっきまでとは違う余裕な表情を浮かべている雨宮君。
やっぱり、このまま、雨宮君のペースなのは面白くないし悔しい!
そんな余裕ぶってる顔、できないぐらいドキドキさせてあげるから。
私は やおら立ち上がると、ツカツカと歩いて向かい側に座っている彼の隣に立ち腰を屈(かが)める。
「『雨宮 空って名前の所為で雨が降るんだったら、今度の運動会、雨が降りそうになったら、私の名前の翼を傘にして絶対に雨を降らせないよ!』だよ」
意表を突かれたような雨宮君の耳元に顔を寄せて、吐息がかかるようにして そう囁いた。
【Food chain】 END
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