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ひこうき雲 その4
「部屋に戻りますので、この手、離して下さい」
笑いながらも、決して離されることのなかった彼の右手を自分の腕から即刻離したくて、手に力を籠める。
けれども、びくともしない。
彼が掴んでいる力を緩めるどころか、むしろ、強めたからだ。
「あの!あなたのおもちゃのように遊ばれる理由は一切ないので。早く、その手を離して下さい」
「嫌だ」
「はぁ?!」
この人は、子供なのか?
おもちゃを取り上げられるのを嫌がっているような。
思わず、見上げる形になって彼の顔を睨みつけてしまう。
数分前の、胸を叩いていた あのドキドキを、とって投げ捨てたい気分。
「だって、君、絶対に誤解してるから」
「誤解?」
「そう、誤解。そうだな…3分、3分だけ俺に時間をくれない?」
彼は、笑い声は もう流石に上げてはいなかったけれど、表情には しっかりと笑みが残っている。
こんなに私から思いっきり睨みつけられているというのに、なんという余裕。
癇癪を起す女の扱いには手慣れているとでも?
「…一秒たりとも、譲りませんが。それでも良ければ」
「勿論。サンキュ」
「…そろそろ、この手を離してもらえませんか?逃げませんから」
「あ。了解」
さっきまで全く離れる気配のなかった彼の手が、あっさりと遠ざかっていく。
離された部分が、なんだかスースーして おかしな感じ。
彼の顔を睨みつけていた顔は、無意識の内に彼が掴んでいた右腕の部分に向いていた。
その事に構うこともなく、彼が柵に両腕を載せて空を見上げながら話し出した。
「君、俺と同期の鈴木 晶麗さんだよね?君は俺のことを知らないかもしれないけれど」
「…宮本 一生さんですよね?うちの会社であなたのこと、知らない人は いないと思います」
「そっか。それは光栄。で、本題ね」
「本題?」
「そう、本題。とりあえず、そのまま聞いていて」
「…分かりました。じゃぁ、続きをどうぞ」
彼は空に向けていた顔を一度、軽く私の方に向けて「ありがとう」と言ってから、再び、空に顔を向けた。
「俺が君のことを知ったのは、初めは上司の話からだった。新しく総務に入った君は、とても優秀で頼りになるって。お前も同期入社なんだから、彼女に負けないように頑張れって発破掛けられて。
そう聞いたら、どんな子なのか気になるじゃない。
他の同期の奴に話を聞いたり、顔を教えてもらったり。わりと意識して君の姿を探して見たりして、君の存在をリアルに認識したんだけれど、俺の中で、ずっと君は随分とカッコいい人だったんだ」
「カッコいい?どこが?」
さっきから、彼の言葉は爆弾のようだ。
一体、どうなって そうなるのか。
私の反応など織り込み済みとでもいう風に、彼は顔を空に向けたまま、でも、少しだけ口元に笑みを浮かべた。
「自分で気づいてないところがいいよね。そうだな…まずは、きちんと礼儀をわきまえているところ、仕事に対してしっかりと責任を果たすところ」
「それは当たり前でしょう」
「その当たり前が、残念ながら出来ない人間もいる。そして、女子っぽくないところ」
「女子っぽくないって。かなり失礼な話ですね」
「あぁ、ごめん。また誤解の傷口を広げるところだった。女性らしさがない、とかそういう意味ではなくて、女子特有の群れたがる、噂好き…そういったところが無いよね、っていうこと」
「…はぁ、まぁ、そうですね」
「いつでもしっかりと前を向いて歩いていて、姿勢も良くて。シンプルだけど、センスを感じさせる服装で」
な、なんだろう。
これは、新手の嫌がらせ?
ほめ殺し?
【その5に続く】
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