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ひこうき雲 その1
あぁ…あれは、どこに行くんだろう?
会社が入居しているオフィスビルの10階にあるテラスで、柵に寄りかかりながら空を見上げる。
そして、いつものように飽きることもなく空を見続けている。
そこそこの広さがあるウッドデッキ仕様のテラスには花壇や観葉植物が程よく配置され、それらの近くには こじゃれたウッドベンチが幾つか置かれている。
今は昼休み。
このオフィスビルで働いている各社の社員たちが三々五々、同僚や友人同士でそれらのベンチに腰を下ろしては談笑している。
そういう人たちは、大概、このビルの低層階にある飲食店で食事を終えた人達。
お昼ご飯を食べた後、すぐに仕事部屋に戻るのは どうにも味気ない。
仕事前にちょっとしたワンクッション置くことで、午後からの仕事へのエネルギーを十分にチャージしているようだ。
私、鈴木 晶麗(すずき あきら)は、と言えば。
基本的には、食事を何処かの店で食べることもないので、同僚からのランチの誘いには ほとんど乗らない。
ノリの悪い人間だと思われているかもしれないけれど、自分を殺してまで付き合わなければいけないものではないと思っているから、そう思われても構わない。
お昼休みには、決まって、このテラスに足を運ぶ。
雨の日ですら、傘をさしてでも。
いつもベンチに座るわけでもない私には、雨だからといって、ここに来ることを拒ませる理由もない。
私のお気に入りの場所は、花壇や観葉植物が傍にある しゃれたウッドベンチではない。
それは、それらの裏側に当たる、ほぼ、誰も来ないこの場所─そう、まさに今、私が寄りかかっているテラスの周りに張り巡らされている柵がある場所だ。
今日の空は、真夏の暑さが引いてきて、秋らしい雲…うろこ雲だとか、イワシ雲だとか、そういった雲が所々に浮いている、空の高さがしっかりと感じられる青空だ。
そのイワシの群れの中を突っ切るように一筋の直線が雲となって描かれていく。
飛行機雲。
幾つもの飛行機が昼休みという限られた時間の中でも、空を横切り飛んでいく。
このテラスから見える飛行機は、離陸していくコースを飛んでいる飛行機だ。
それを見るのが私の密かな楽しみ。
どこに飛んでいくのか、それを想像したり、想いを馳せることが楽しいのだ。
ウッドベンチに座っていた人達が、そこここで立ち上がる気配を感じる。
そろそろ戻らないと、いけない時間か…
私も名残惜しさを感じながら、そのお気に入りの場所から離れた。
テラスからビル内に戻ると、そこはすぐにエレベーターホール。
高層階にオフィスがある人達は、当然のようにエレベーター前で待っている。
私が勤める会社はこのビルの15階から20階にある。
17階が私の職場。
高層のオフィスビルなので中程の位置になる。
エレベーターホールの裏手に当たる階段を使うには、ちょっと気力が必要。
でも、エレベーターを待っている時間も、下から既に そこそこの人数を載せて上がってくるエレベーターに乗り込んでいくのも、中々に気怠い。
だから、私はいつも階段を使うことにしている。
エレベーターを待つ人を横目に見て、階段へと向かう。
特にジムだとかヨガだとか、そういったことをしていないのだから、普段から階段を使って上り下りするのも一つの立派なエクササイズになるだろう…と、自分で一人納得している。
階段の踊り場に足を入れると、すぐ傍からカンカン…と、耳慣れた靴音が響いているのが耳に入ってきた。
私の頬は、一瞬にして熱を持つ。
それを誤魔化すようにして、素早く階段の踊り場から死角に当たる柱の後ろ側に身を翻す。
それと時を同じくして、靴音を響かせている人物が目の前の踊り場に足を進み入れ、直ぐに踊り場を曲がり切って上の階に向かう階段をリズミカルに登っていく。
私はそれを柱の陰から そっと覗いて、手を胸に当てる。
ドキドキ…いつもよりも少し早く動く鼓動が手に響く。
はぁ…やっぱり、カッコいいなぁ…
溜息ともつかない吐息が自然と漏れ落ちる。
入社して3年。
その年月と同じだけ、気に掛かっている人がいる。
入社式で見かけて以来、ずっと。
それは…今、目の前を靴音も軽やかに階段を上がっていった彼── 宮本 一生(みやもと いっせい)だ。
背も高く、顔立ちも涼やか。
容姿端麗。
いやが上にも、目を惹いてしまう容貌をしている。
決して、自分は面食いではないと思っている。
けれど、彼を初めて見た時から、何故か勝手に自分の心の中に棲みついてしまった。
新人とは思えない落ち着きと聡明さが感じられる横顔の所為だったかもしれない。
自分が配属されたのは総務部、宮本 一生は営業部。
彼は、すぐに仕事でも頭角を現して、3年目にして すでに営業部のエースとまで言われるようになった。
部署が違うので、毎日顔を合わせるなんてことはないけれど、出勤時だとか、今日のように昼休み時間だとか…そういった時に偶に姿を見かける。
もちろん、話したことはない。
同期ではあっても、遠い存在。
毎日 見上げている空を、悠々と飛んでいく飛行機のような存在だ。
彼が響かせる靴音が少し遠ざかったのを耳にしてから、私は再び階段の踊り場に戻って、自分の職場がある17階に向かって足早に階段を上がっていった。
【その2に続く】
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